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時間の密度

全国あちこち転々としていると、時間の密度が高くて仕方ない。1年前が3年前みたいな感じ。

数年ごとに知らない土地から知らない新しい土地に移り住んできた。やどかりみたいに、殻から殻にお引越しするだけなららくちんでよいのだけど、子持ちの引越しとなるとそうもいかない。あふれくるこまごまとした荷物と段ボール段ボール段ボール・・・まだ開けてない段ボールがあるのに次のお引越し。ちょっと長めの旅芸人みたいな生活だなとよく思った。

そして日本といえども世間は広い。ちょっと地方を移るだけで、ゴミの出し方(プラスティックを燃やせるか燃やせないかの差はとても大きい)から言葉の違いから、野菜や牛乳の味の違いからちょっとした習慣の違いまで、とにかく新しい驚きがいっぱい。

しかも子どもを二人連れての移動、である。毎回、新しい子育てのコミュニティに恐る恐る入っていく。子どもが知らない土地で友だちができなかったらどうしよう・・・。母親としては心配が尽きない。

知らない人たちの中に入っていかなければいかない不安を親が見せると、子どもはそれを汲み取ってしまう気がした。常にいっぱいいっぱいな自分が一度それをやるとどこまでも転げ落ちて、不安にとどまってしまいそう・・・なので、とにかくふんばることにした。

いつでも誰かに話しかけるのは自分から。明るく笑顔で。そんなことを続けていたら、いつの間にかごく自然に誰かに話しかけられるようになった。
もともとコミュ障だったはずなのにいつの間にかコミュ強になっていたのだから子育てとは自分の可能性への挑戦でもあるのかな。

そして、中には親子ともにとても仲良くなれる人もいた。いろんなところに一緒に遊びに行って、たくさんの思い出もできて・・・。

それでも、毎回わりとすぐに訪れてしまう"さよなら"。そんなことを何度も何度も繰り返していたら、自分も子どももいつの間にか心がいっぱいになっていることがあった。そういうときはふとしたことで、ぱちんと心がはじける。そして大泣き。泣きながら帰ってきた道を、何度通っただろう。

ある時、アニメの”どろろ”を親子で見ていて、番組の終わりに流れるamazarashiの"さよならごっこ"を一緒に歌うようになって、息子が言った。「ねえママ、これってぼくたちの歌じゃない?”さよならごっこは慣れたもんさ でも手を振ったら泣いちゃった・・・”ぼくたちもさよならに慣れてるよね。でもいつも泣いて帰ってきたよね、最後に学校に行ったときとか・・・」

時間の密度が高いのは、出会いと別れの感情の密度の高さだったのかもしれない。殻のないやどかりはたくさんの荷物ごと移動し、まだ見ぬ土地へ移動して、新しいこんにちはとさよならを繰り返すしかなかったのだけれど。