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きょうだい会#08(20230310)

 「自分を語る、ということ」
 これまで、きょうだい会では、「自分語り」を中心に置いていこうとお話をしてきました。
 
昨年8月にきょうだい会を発足して、半年以上経ちました。
そこで、あらためてこれまでのことを振り返りたいと思います。
ざっくばらんにお話を聞かせてください。

Q1:きょうだい会に参加してみようと思ったきっかけは?
 Q2:当時は、きょうだい会にどんな期待をお持ちでしたか?
   (もしくは)こうなりたいというイメージはありましたか?
 Q3:きょうだい会に参加してみて、自分自身に何か変化はありましたか?
 Q4:きょうだい会を誰かにおすすめしたいと思いますか?
     誰に、どのように、おすすめしたいかをお聞かせください。
 
「きょうだい会でできること」
前回は、きょうだい会に参加していただいたM子さんについてみんなでお話をしました。わたしは、M子さんが遺してくれた思い出とともに、精神疾患を抱えている人の「退院直後のケアの重要性」についてあらためて考えるきっかけになりました。
 
わたし自身、兄の入院を2度ほど付き添ったことがあるのですが、身体の病気のリハビリと同じように、こころの病気のリハビリについて、もっと情報公開した方が良いと痛切に感じました。
 
そこで、前回みなさんでお話したことを資料として作成しました。
今日はこれをたたき台として、みなさんと対話したいと思います。
  
◼️きょうだい 横のつながり
「きょうだい」という言葉にこめた意味は、(血縁や戸籍ではない)ヨコのつながりを意識したいということでした。

いまの社会では、どうしても生まれた時から、親と子、学校の先生と生徒、病院では主治医と患者、会社では上司と部下、というタテの構造に組み込まれてしまっています。(無意識に)この人のいうことは聞かなければならない、とか、自分のことを話しても聞いてもらえない、と、なかなか自分の思い通りではない、ギスギスした感じになることもあると思います。
 
この点について、わたしは兄と対話をするまでは、まったく気づいていなかったのです。母の生前は、きょうだいは、親を介してお互いの存在を認めているのですが、親がいなくなって(いなくなることが分かって)初めて、きょうだいが真っ向から向き合うことになるのです。

わたしはそれまで兄の存在にフタを閉めて生きてきたのですが、そうもいかないと気づいた途端に、にっちもさっちも行かなくなってしまったのです。
 
もちろん、タテとヨコの関係というのは、どちらが良い悪いではなく、自分と相手との関係がどんなケースでどんな形が望ましいか、ということを考えるためのモデルとしてお話してみたいと思います。
 
Q:身の回りで、タテの関係とヨコの関係をあげてみましょう。
 
 
■きょうだい会の活動について
 さて、そうしたヨコのつながりを持ちたいということで始めたきょうだい会ですが、これからの活動についてみなさんに相談させてください。
 
(精神疾患を抱える人を取り巻く現状)
きょうだい会の対象は精神疾患を抱える人と、そのきょうだいが主体となります。精神疾患を取り巻く現状と課題としてまとめてみました。(あくまでわたしの主観です)※資料参照
 
(地域における精神看護の実態)
きょうだい会の活動の背景として、わたしたちが知っておいた方が良いと思う数字データを示しています。このようなデータをどこでどのように調べれば良いのか分からないということも課題のひとつです。※資料参照
 
(地域で安心して暮らしながら回復する)
前回お話してホワイトボードに書き出したイメージ図です。わたしの経験上、たとえ精神疾患で入院したとしても、退院後に回復するプロセスが見えていれば、本人は「安心して入院する」ことができるし、家族も「安心して入院に同意する」ことができると考えています。
 
正直に言えば、わたしが20代の頃(1990年頃)、兄が発症したときは、「兄の人生はどうなるのかしら・・」と思ったのですが、いまにしてみると、いくらでもやり直しがきいた、ということが分かった訳です。現に、まだ兄は生きていますから、これは本当にありがたいことです。
 
Q:退院後のケアとして、きょうだい会はどんなことができるでしょうか?
 
 
続く・・・
 
 

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