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Gogh -ゴッホと静物画展より‐

 1853年にオランダの北ブラバント州で生まれ、主にフランスで作品を制作したフィンセント・ファン・ゴッホは、日本の美術愛好家の心を掴んで止みません。それでは、なぜ彼の絵画は、我々の心に響くのでしょうか? それは、つぎの二つの切り口が考えられます。一つには、ゴッホの色彩感覚ではないでしょうか? ゴッホの作品は、その独特の色彩感覚で知られています。彼は色を劇的に、そして感情的に使用しています。これは、日本の伝統的な芸術、特に浮世絵や日本画にも見られる特徴だと言われています。そのため、ゴッホの色彩感覚は、日本の美術愛好家にとって親しみやすいのではないでしょうか。これは、19世紀後半に、ヨーロッパの芸術家たちの間で発生した「ジャポニスム」の影響をゴッホも受けたからと言われています。ゴッホも、浮世絵の大ファンであり、その影響を強く受けたことにより、彼の作品には、浮世絵の特徴である鮮やかな色彩、明確な線描、平面的な構成などが見られる様になりました。二つには、日本のファンも、ゴッホの人間的な生涯を知っているからではないでしょうか? ゴッホの生涯は困難に満ちており、その苦悩と情熱が作品に反映されていると言われています。彼の人生経験からか、彼の自己表現の強さと、人間の内面世界への深い洞察が、彼の絵画を魅力的にしていることは疑い様がありません。日本人は、芸術を通じて人間の感情や精神を探求することが好みで、そのため、ゴッホの作品は、日本人にとって非常に魅力的になっていると思います。
 今回、2023年10月から24年1月に、SONPO美術館で開催された「ゴッホと静物画」展に行ってきました。ゴッホが画家として活動し始めたのは、1980年、27歳の時だそうで、ベルギーのブリュッセル王立美術アカデミーで絵画の勉強を開始したそうです。その後、オランダのハーグに戻り、ハーグ派で学んだ際には、屋外での自然観察を基に、農村や海岸の風景やそこで働く人々などを中心に、灰色系の色調を中心に、暗い色を使うことが多かったそうです。多分、このままでは、現在の日本絵画ファンの心を捉えることは無かったでしょう。1886年からはパリに移り、新印象派の絵画を目することにより、明るく、大胆なタッチの絵に、大きな影響を受け、ゴッホの絵も明るい色彩が目立つ様になった様です。今回の「ゴッホと静物画」展でもこの辺りにハイライトした展示となっておりました。
展示されていた『髑髏:ドクロ』は、この期間の最初の時期での習作だと思います。


『髑髏』 1887年ゴッホ作
SOMPO美術館での撮影
(ピント外れで申し訳ありません)

髑髏というモチーフにちょっと驚かされましたが、1887年作成されたもので、印象派の影響の下に作成されたようです。この『髑髏』は、静物画の習作ですが、その筆使いと色使いでは、すでに後の代表作の片鱗が伺えます。只、彼の数奇な生涯を知っている私たちには、単なる静物画に留まらず、どの様な気持ちで生と死を見据えていたのかを考えさせられてしまいます。この様に、ゴッホは、パリで習作として静物画に取り組んでいたようで、当時、パリの絵画会でも、画家の請負業務としての宗教画や貴族の肖像画を描くことから、人物画ではない題材が多く描かれていたようです。この様な流れの中でも、静物画の中でも花を題材とした流行があったようで、ゴッホも花瓶に生けられた花を描いておりました。

『青い花瓶にいけた花』 1887年ゴッホ作 

 この『青い花瓶にいけた花』は、1887年作の様で、私としては、タッチはゴッホ的で違和感は、ありませんが、花の明るい様相には驚かされました。その色合いは、何といっても朗らかに感じられ、楽しくなるような絵画でした。解説では、花の絵を描くことにより色彩の研究を行っていたとのことで、彼の色彩感覚が養われた一例だそうです。因みに、背景は、補色(赤と緑の関係)を使って、主題の花瓶と花を活かしている様に感じられます。私が高校で美術を習った際には、補色は使わない様にと教えらえたことがあり、この作品は、補色を利用して効果的な絵画を生み出していることに少し驚かされました。ただ、補色もベタ塗ではなく、点描的に描いていることが良いようです。この絵からは、ゴッホもこの時には、絵画に夢中で、将来にも明るい希望を持っていた一人の青年であったような気もします。
この後、浮世絵に大きな影響を受けた経緯があり、最終的な独特の画風を用いた名画を残していくわけですが、この『アイリスのある花瓶』もその内の一つで、この絵からは、圧倒的な青のアイリスの存在感が、黄色のバックグラウンドからとの補色の関係から迫ってきます。作成されたのは1890年で、悲しいことに晩年の数多い有名な作品の一つとなっております。


『アイリスのある花瓶』 1890年ゴッホ作

この作品は、ゴッホがフランスのサン・レミの精神病院に入院していた時期に描かれたそうで、日本の浮世絵の影響を色濃く受けているとされています。それは、輪郭線がはっきりしていること、西洋絵画らしくないクローズアップや平面的な色の塗り方などが挙げられています。ゴッホは、絵を描き続ける中で、どんどん頭がおかしくなってくると感じ始めていたとされ、この絵画を「病気の避雷針」と呼んだそうです。つまり、絵画は、精神的な苦痛から逃れるための手段であった様です。
この様に、彼の作品は、ゴッホの病気と闘いながらも美を追求し続けた彼の姿を象徴しており、そのためか、彼の作品は今日まで多くの人々に愛されているのではないでしょうか。特に日本人にとっては、浮世絵から始まる色彩感覚、漫画やアニメで一定の完成が見られている抽象的な画面表現と同じような切り口から、感覚を刺激されるのでしょうか? ゴッホの作品好きは普遍となっていると思われます。

追伸 SOMPO美術館では、驚いたことに一部作品を除いて写真撮影OKでした。


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