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斎藤茂吉の歌を読む

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の
澄み透るまのいろの寂しさ 

                          

24歳位の頃、短歌を始めた。きっかけは失恋。気持ちの沈んでいる時に何気なく出てきた言葉が57577だった。メランコリーな感情が編み出した言葉は定型詩だったという人は多いのではなかろうか。自作の場合現在は定型詩でも散文でもなく、自由詩が最も深く心情を表現できるように感じる。

昔の歌を読み返していて正直、美意識過剰で素頓狂で顔から火が出るけれども今よりいいなあと思える。若さゆえの怖いもの無さがあった。最初に使ったテキストがNHK短歌で、数年の中断はあるものの現在まで投稿を続けている。初めて買ったテキストの冒頭に載っていたのがこの茂吉の歌だった。

虫好きで、小学生の頃から北杜夫のどくとるマンボウ昆虫記を愛読してきた。自分は滅多に本を読まない母が誕生日に買ってくれた。マンボウシリーズはたくさんあるが、北氏の虫に対する哀惜の込められたこの昆虫記が一番好きだ。だから、作品に頻繁に登場する北氏の父である斎藤茂吉を学校でつばくらめの歌を習うよりも前に知っていた。

有名な歌人らしいけれども子供にはおっかない雷おやじ。論争に大真面目にムキになる可愛らしいところもある。教科書にある遠田のかはづの歌はいいなと思ったけれど、臨終近い母を詠んだとの解説の印象が強くて歌そのものを味わったとは言い難い。だから学生時代の斎藤茂吉に対するイメージは北杜夫の怖いお父さんで歌人、に留まっていた。

それが、この冒頭歌。歌集「あらたま」所収。見た途端、字の向こうから立ち昇る魔力に憑りつかれた。火に誘われ浜辺を彷徨うよるべない魂を想起した。海女が焚く火を詠んだ歌だがもちろんそんな背景は知らず、字だけで惹き込む力に恥ずかしながら初めて茂吉の偉大さを理解した。同時にマンボウシリーズの雷おやじが眼前に迫ってきて、こんな言い方はそぐわないかもしれないが、恐れ入りましたとその場で平伏したくなった。


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