理想像

彼女は、どことなく薔薇のような美しさと危険な香りのする人だった。
学生の頃、一度夢に見た。僕はネクタイを締めて朝8時前。3万そこそこするくらいのビジネスバッグを持ち、スタイリッシュに決めたスーツと共に鏡を覗き、家を出るところ。後ろから彼女の声が聞こえる。少し丸みを帯びた愛嬌のある小柄な女性。奥さんだろう、ネクタイが気に食わないらしく締め直し、ほっぺにキスをして見送ってくれた。1日今日も頑張れる気がする。
目が覚めて今日の夢はなんだったんだろう、どうも現実味のある夢で、これが正夢というやつかななんて考えながら、物思いに学校へ向かう。いつもとは違う朝だ。

そして学校の最寄り駅から3駅ほど手前で彼女が同じ車両に身を乗り出した。
彼女である。とても可愛らしく、身内には愛嬌を振る舞うのがとても上手だが、隣に立った見ず知らずのサラリーマンには背中を向ける。薔薇の棘をふれたかのようなちくりとした感覚がそこにはあった。僕は彼女のことがどうも頭から離れなくなってしまったようだ。

ある日ダラダラと寝転びながら携帯を触っていると、彼女のアカウントが目に写る。一方的に見ず知らずの人を知るというのはどうも罪悪感のような、言葉にならない気持ちが押し上げてくる。ただ僕は自分の手を止めることができるほどできた人間ではなかった。おそらく人間みんなそんなもんだろう。

そして彼女のアカウントを見てみるとそこには煌びやかな日常、なんてものではなく不自然なほどに静けさがする落ち着いた日常と彼女のキャラクターが浮かび上がってくる。そして僕は夢に見た奥さんと初めて電車で見た彼女をなんとなく思い浮かべた。僕はとうとう彼女が好きになってしまったようだ。他の男に背を向け腹をこちらにだけ向けてくれる。薔薇の棘は取れ、愛嬌振る舞う彼女を想像してしまうほどに。危険な思考をしているという自覚はあるものの、頭の中の女性像と彼女をどうも被せてしまい、僕は彼女のことを想像することに夢中になってしまっていた。

そしてそのアカウントから彼女のもう一つのアカウントが。ロックはかかっていない。おそらく親しい人にだけ見せる彼女の本当の一面が覗けるといったようなものだろう。僕は想像する彼女と、実際の彼女が違ったらどうしようと少し恐怖を覚えた。もしかしたら僕が好きなのは彼女ではなく、僕が押し付ける女性像なのではないかと。
とうとう僕はその一面を見てしまう。   

彼女はジャニオタだった。

そして彼女はコムドットが好きだった。

そして僕は彼女が嫌いになった。

そのアカウントは何も裏垢なんてものではなく、ただのアイドル推し活アカだった。彼女も僕と同じで、アイドルともしも自分が熱愛してしまったら、なんてことを恥ずかしげもなく書いている。コムドットの推しのメンバー。もちろん僕が一番嫌いなやつだった。全員いけすかないがその中でも特に嫌いなやつ。

彼女がしていることは今僕がしていることと同じじゃないか?と思うとその瞬間に僕は彼女が嫌いになった。  
 
いつか思った
「もしかしたら僕が好きなのは彼女ではなく、僕が押し付ける女性像なのではないかと。」

その通りだった。

僕は彼女に一つだけメッセージを匿名で送ってやった。
「理想像は押し付けない方がいい。現実は残酷だぞ。」と。

返事が来たのかどうかは知らない。


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