それでも前に進まなきゃ。

やっと落ち着いて一連の出来事を見つめられるようになったので、言葉にしてみる。

第8回名古屋学生演劇祭が終わった。
決勝まで進んだが、全国には行けなかった。純粋に勝負に負けて悔しいのと、座組の皆の努力を結果に結びつけられなかった申し訳なさで心がぐちゃぐちゃで、打ち上げの間人目もはばからず泣き続けた。1ヶ月分の涙が出た。家に帰る頃にはもう涙も出てこなくて、心にぽっかりと穴があいたような感覚がした。

でも悪いことばかりではなくて、いくつか結果も残せた。まず、ミソゲキコラボ企画の選出団体となった。ナンジャーレの半額券は本気で狙っていた(だって半額だぞ? ひとりの団体にとってこれほど有難いことはない)ので、とても嬉しい。在り処はこれからも名古屋で続けるつもりで、そう考えるとこの賞は大きな一歩なのではないだろうか。
それと同じくらい嬉しかったのは、在り処に出演する役者が全員ドラフトで指名されたことだ。さらに、小生までオレンヂスタのニノキノコスターさんに指名していただいた。スタッフも合わせると、在り処の座組の過半数がドラフトで指名を受けたことになる。在り処のメンバーの名前を呼ばれるたび、「そうですよね、この人最高ですよね」と心の中で勝手に共感した。小生は良いと思う人しか座組に入れない。ドラフトが終わった後の、舞台上から見るガラガラの座席が誇らしかった。賛否両論あるけど、小生はドラフトは良い企画だと思う。

『窮鼠たちのメメント・モリ』は、小生の怒りをぶつけた戯曲だった。「だった」というのは、上演された演劇は全く別物になったからだ。
よく「駄目人間」だと言われる。それは否定できないし、自分でも生きることが壊滅的に下手だと感じるけど、小生は「普通の人」とカテゴライズされた人の方がよっぽどやばいよなあと思う。現実にはこんなにも沢山の不条理な暴力が溢れていて、理由もなく暴力にさらされる人がいて、暴力を規制するのではなく被害者側に自衛を強要する理論がまかり通っているのに、何故毎日平気な顔で生きられるのか。おかしいとは思わないのだろうか。小生は社会の一員として今の社会が許せないから怒っているのに、何故社会からはみ出したような扱いを受けなければならないのだろうか。そういった「他人事」に対する怒りを書かなければいけないと思った。
最初の動機はどす黒い感情だったし、役者さんにも醜さをさらけ出すことを強制した。だが、不思議なことに舞台の上に立ち上がった演劇からは、人間に対する祈りや希望を感じた。演劇は上演されるときに変身するから面白い。千秋楽で、ブルーの転換照明になった瞬間拍手が沸き起こった。その音を聞いた瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれた。人間のことが好きだと思った。あの拍手の音を小生は一生忘れないだろう。

ご縁があって、ミソゲキに参加させていただけることとなり、在り処の続きは約束されている。とても有難いことだと思う。だけど、『きゅうモリ』と約2ヶ月向き合ってきて、小生にとっては『きゅうモリ』が世界のすべてだった。全国への道が絶たれて、世界を突然失ったようで、自分が空っぽに感じる。なのに、猛スピードで次の作品のことが決まっていく。やらなくてはいけないことが沢山あるのに、まだ何も動けていない。自分だけが取り残されているようだ。早く追いつかなきゃ。小生も前に進まなきゃ。
打ち上げで座組の人とあまり話せなかった。まだちゃんと感謝を伝えられていない。小生がぼさぼさしていたせいで、在り処の打ち上げはまだ行われていない。きちんと言葉で伝えなくちゃ。前に進むには、後片付けを終わらせなくちゃいけない。

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