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田村市木こりツアー参加体験記_1

私のもっぱらの興味は林業です。
興味を持った経緯は今まで書いてきた通りですが、簡単に書くと、自分がゲストハウスとして活用している物件はなんと自分の祖先が植えた木で建てられていて、自分の伯父は今でもちゃんと山を管理しているということが分かったからです。
詳しくは以下に書いています。

自分が林業を始めて、山の管理を継承できないかな、でもハードルが高いなと思いながら漫然とSNSを眺めていたところ、ある日広告が流れてきました。

「田村市林業体験ツアー」だと!?
WEBメディア「たむら暮らし」は読んでいた(なんなら妻は記事を書いていた)し、記事を通じて田村市は林業が盛んなことも知っていたので、これは参加したい!と思い、申し込んでみました。
「移住ツアーだから、県内からの参加はダメなかなぁ、林業への興味はめちゃくちゃ高いんだけどなぁ」とドキドキしながら待っていたら、参加OKとのこと!
田村市ふとっぱら!
ということで参加してみました。
※後から聞くと、事務局をしている(一社)Switchさんが田村市に掛け合ってくれていたとのこと。ありがてぇ。

1日目:独立した林業家を訪問

初日は地元のカリスマ林業家、桑原さんと久保さんのお話を聞きました。

堅い木を豆腐のように切れるチェーンソーを実演する桑原さん

桑原さんは地元生まれ、地元育ち。田村森林組合に就職し、林業のキャリアを始めました。5年もすると班長として現場を任されるようになり、10年すると業界構造に違和感を覚え、自分の林業を追求するために独立されました。そして独立してからも10年近く経つそうです。

林業業界はなかなか独特なので、私もこのツアーに参加するまでよく分かっていませんでした。ここでちょっと解説します。
林業でよく聞くのが「森林組合」です。これは「山主」つまり山を所有している人の組合です。山主は必ずしも「林業」(つまりチェーンソーを持って木を伐採したり)するわけではありません。なので、木を伐採したり、その後に植林したりするのを山主は「森林組合」に依頼することが多いようです。
森林組合はJAのように国に補助金申請をしたりする事務機能のほかに、作業班を組織しており、作業班が林業の実行部隊となっています。作業班の人は常時雇用の人もいれば、冬の農閑期だけ日当で働く人などもいます。
その他に、民間の林業会社もあります。自分の周囲だとアメリカ屋さんや水野林業さんなどのお名前をよく聞きますね。自分で山を保有して木を植林、伐採して出荷したり、他の山主や森林組合から発注されて木を伐採したりします。

桑原さんいわく、森林組合は業界構造上、どうしても補助金の出し手である国のほうを見がちだとのこと。そうすると、例えば山の健康的には4割間伐をしたほうがいいのに、補助金の要件となっている3割間伐で止めてしまうなどのケースがどうしても発生してしまう。なので、桑原さんは山主と対話して、山のベストを追求するスタイルの林業をしたくて独立したと言います。

次に、久保さんのお話を聞きました。

アーボリストの久保さんが扱う道具はたくさんある

久保さんは震災復興支援をきっかけに福島県に移住してきた方です。その中で林業と出会い、現在はアーボリストとして活動されています。アーボリストの詳細については以下の記事へ。

久保さんのお話で印象的だったのが安全への追求です。もともと、林業は日本の全産業の中でダントツで危険な仕事。自衛隊よりも労災率が高い。でもそれでは林業家のなり手が増えないし、減ってしまう。
久保さんは日本アーボリスト協会に所属しており、その協会では世界中の林業の事故例が共有され、再発防止策が研究されているそうです。なので、技術も道具も日進月歩で進化しているらしい。
また、ヨーロッパの林業家はかなり教育されており高学歴で、貴重な林業を担うからリスペクトされているとのこと。そういった人を死なせてしまっては社会の損失だからと、安全が追及されているということもあるでしょう。 ヨーロッパで職人の地位が高いというのは料理業界とも似ていると感じました。シェフやサービスマンもヨーロッパではとても地位が高いですが、日本では低く見られがちです。

2日目:森林組合を2つ訪問

2日目は2つの森林組合を訪れました。
午前中はふくしま中央森林組合ゲストハウスnafshaがある岩瀬地区も管轄する森林組合です。田村市内の都路地区の林業はちょっと変わっていて、昔も今も広葉樹が中心。かつては海のある浪江町方面に鉄道(トロッコ的な)が引かれて薪や炭を水運経由で首都圏に出荷していたとのこと。戦後、燃料革命で薪や炭の需要が無くなり(ということは戦後直後まで首都圏でも薪や炭で煮炊きしてたんだ!)、しいたけ原木に切り替え、主にナラ材を出荷していました。東日本大震災前まで。
原発事故のために中通りで唯一避難地域となった都路地区は放射線量が高く、12年経った今でもしいたけ原木の出荷はできていないそうです。だけど、木を切って山を新しくしていかないと産業が復活する可能性もゼロのままです。そのため、都路では出荷できなくても木を伐採しているとのこと。原発事故の影響はまだまだ続く。

木を更新するために皆伐している都路の森

続いて、田村森林組合を訪問しました。こちらは桑原さんの出身組織。林業が盛んな地域の組合なので所帯も大きく、50人を越える人が働いています。
ここで、勤続40年以上の大ベテランである管野専務から、森林組合についてや現代の林業の潮流などについて教えてもらいました。
田村森林組合は大きな木材加工場を保有しており、そこも見学。

田村森林組合が出荷する田村杉の乾燥材は高品質

3日目:半農半林スタイルを見学

三日目は半農半林をしている三浦農園さんを訪問しました。船引町の移(うつし)地区で水稲やイチゴや野菜を作りながら、林業、狩猟もしている三浦さんのお話を聞きました。

農業、林業、狩猟という男が憧れる"the田舎スタイル"の三浦さん

「面積が狭くて森林組合だと費用対効果が悪くなっちゃうような現場でも、うちは農業の合間にのんびりやるから、時間はかかるけど安くできるんだ。少しでも山主さんにも還元したいしね」とのこと。
「施業してたらさ、山主さんが遠くに住んでるお孫さんとスマホでつないで、『ほらバックホーだよ』とか中継を始めちゃうから、作業しているこっち側は緊張するよね。ハハハ」と笑ってました。これも家と山が近い中山間地域ならでは

最後に

3日間みっちり体験の濃厚なツアーに参加しました。お聞きしたお話のほんの一部を書きましたが、他にもチェーンソー体験や重機の操作体験、夜も懇親会など、ほんっっとうに盛りだくさんで濃かった。おかげで、林業業界の全体像が少し分かりました。
そして、本当に田村市の林業が魅力的で、参加すれば移住したくなるツアーでした。
素晴らしいツアーを企画して下さった一般社団法人Switchの岡嵜くん、ありがとうございました!
記事が長くなったので、たくさんの学びについては記事を分けます。

片曽根山をバックに、3日間一緒だった参加者5人+岡嵜くん

印象的だったのは、田村森林組合の専務理事が「木を植えた男」に触れていたこと。「何が良いおこないかなんて結局は分からないけど、少なくとも木を植えることは人間にとって良いことだと思うんだよ」。
私が「木を植えた男」を見たのはずいぶん前ですが、強烈だったのでよく覚えています。思い返せばそこから林業に興味があったのかも。

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