高野山にて春季胎蔵界結縁灌頂を受けてきました。
高野山の僧侶と参加者の真言が堂内で反響し、エフェクトする様は圧巻でした。教えてもらった印を組みながら、自分も真言を唱え、目隠しをして歩きます。 前の人の背中に指を当て、その感覚をたよりに歩くことになります。
そして僧侶に誘導され、樒(しきみ)という華を曼荼羅に落とす投華(とうけ)を体験できました。
樒を落とした先には曼荼羅があり、自分と縁を結んでいただける仏さまがいます。そこで自分が見たものは密教の決まりで誰にも話してはならないことになっています…。
さてさて。前回のnoteで、仏教&真言密教の世界観とTCP/IPの世界が似ているということに触れました。
私はこれから先の人生は、世の中のためになるように、すべて読むこと書くことに使いたいと考えています。上記の仏教的な世界観とインターネット網がよく似ているということは、これから作品を書く上でとても大切なテーマになりそうです。
このテーマに気づいたきっかけは元職場の研修中に、電話網やインターネット網のしくみが人の集合意識の仕組みに似てるなって思ったことでした。最初は仏教的な世界と言うよりはユング的な精神世界のイメージだったと思います。今では10年ほど通信インフラの現場で働き、人と人をネットワークで繋ぐ仕事をしてみて、ある種の身体感覚も感じています。
しかし残念なことに私は営業マンでした。それもどちらかというと容量が悪い方の…。現場ではいつもエンジニアさんに頭が上がりませんでした笑。こういうことは、私よりずっとChatGPTさんの方が得意なはずなので、さっそく相談してみました。
私の推しメン・落合陽一さんがオブジェクト指向プログラミングを真言密教になぞらえてChatGPTに説明させているので、ChatGPTのプロンプトは落合さんのnoteを参考にさせていただいています。理解するのが大変だったけど、一度わかるとかなり共感。仏教には様々な宗派があるなかで、真言密教をチョイスするところなんか最高にわかりみがヤバいのです。
ちょっと荒いところもあるけど、やっぱり悪くない。いやむしろ気持ちいい。大事なことなので2回言うと、インターネットって人の精神の形を模して作られたんじゃないかってくらい、仏教的な世界観と形と仕組みが似ていると私は感じます。元職場のエンジニアさんに読まれたらめっちゃ怒られそうだけど知ったこっちゃない。こちとら小説家じゃい。想像力で先行させていただきます~。
1876年にイギリスでグラハム・ベルが初めて電話の実験に成功したときは、確かに通信は一本の"線”だったはずです。それが世界中のたくさんの人たちを繋ぐうちにだんだん”網”の形になっていった。それが世界中の人達を繋ぐ集合意識、阿頼耶識、曼荼羅の形にだんだん似ていったのは自然なことに感じます。…なんだか凄くロマンがないですか?
最後に、私が知らなかったことをChatGPTさんが教えてくれました。
世界中のすべての人が平等に阿弥陀如来に繋がり、悟り、心の平穏を得る権利があります。同じように、本来なら、世界中のすべての人が平等にインターネットに繋がり、学び、情報を得る権利があります。両者の根本の思想はとてもよく似ていると私は感じます。
シンギュラリティがいよいよ間近に迫った今、今までは一方的に使われるだけだったテクノロジーと、人は良いパートナーシップを築くことが求められるでしょう。その時に、テクノロジーは人の心を模して作られたという哲学が、人を助けるだろうと私は信じています。
シンギュラリティ後のテクノロジーは、侵略者でも服従させる対象でもなく、もの凄く賢い可愛い弟分(兄&姉としてはちょっと複雑)なのかもしれません。