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NOSPRツアー2022 ショパンピアノ協奏曲1番編

夢のような日々が過ぎ去った後でも、ふとした瞬間にさまざまなシーンが脳裏をよぎり、夢見心地の気分からなかなか覚めない自分がいる(ヘッダーは鑑賞した4会場の自席から撮影)。

※ 本稿は4公演等の直後に書いたメモと記憶を頼りに纏め、加筆修正して公開する決断に至ったもの。自分向けに書いたものだが、本稿を見つけた方が部分的にでも共感頂けたらさいわいです。

ツアーの発表を知って・・

ショパンの国、ポーランドからオケが23年ぶりに来日。ツアーに選ばれた指揮者はマリン・オルソップ、ソリストは角野隼斗。ビックサプライニュースに大興奮したのは2月末。

それ以来、NOSPRとツアー・プログラムマエストラのオルソップ氏について各種媒体で調べ、音楽を聞いたり、音楽にかける思いを読んだりして予習した。

中学1年生の頃から変わらず世界で一番好きなピアノ協奏曲はショパンの1番。小学生の頃、レコードでルービンシュタインの演奏を聴いて好きになり、生演奏では中村紘子の演奏を聴いたのが最初だったと記憶している。いつかポーランドのオケでショパンピアノ協奏曲1番を聴いてみたいと夢みていた。

あろうことか、その夢が日本にいながら叶う時が来た。このニュースに関するツイートが目に入ってきた瞬間の胸の高鳴りと興奮、今でも鮮明に覚えている(当時ツイートはこちら)。

NOSPRの記者会見へ・・・

NOSPR来日ツアーが楽しみで、関連情報を探していたところ、9/5のNOSPRの記者会見の情報をポーランド広報文化センターのFB(8/26付)で見つけた。私の専門は記者・音楽関係ではないが、自分がショパン愛好家でポーランドが好きなこと、ドリームチームの来日公演を楽しみにしていることを書き添え申し込んだら、空席があったのか、参加OKの返事を貰えた。

※ 記者会見の本編(ぶらあぼ9/6 他)は既出記事を参照。以下良識の範囲内で、ショパンと角野隼斗の音楽ファンの立場で書き残したいことを書く(ポーランド広報文化センターによる記者会見の報告ツイートはこちら)。

在日ポーランド大使館のエントランス

会場は在日ポーランド大使館内のホールで、木目調の壁に囲まれた天井の高いサロン風の場所。

会場(記者会見終了後に螺旋階段の上から撮影)

会場に入って驚いたのは前方の舞台中央に置かれたピアノの存在。蓋が開けられた状態で置かれていた。

もしや??

既出FBにはソリストの参加の記載はなかったので直前に決まったのか。数少ない空席の内、鍵盤とピアニストの横顔が見えそうな前方の席に着席した。

ポーランド広報文化センターより提供

冒頭ポーランド広報文化センター所長の挨拶があり、最後サプライズゲストの紹介が!

やっぱり!!

舞台左側の扉が開き、少しはにかんだ笑顔の角野が姿を現した。会場を見渡し深くお辞儀をした。白いシャツをアウト、モスグリーンのジャケットを羽織り、黒いワイドパンツに白い紐の黒い靴。近距離で見ると、顔がバカンス焼けし血色がよく、髪は結構伸びていた。

角野はピアノに向かい、鍵盤に静かに手を置いて一呼吸おいた後、華麗なる大円舞曲Op.18を弾き始めた。

ポーランド広報文化センターより提供
ポーランド広報文化センターより提供

記者会見の場や参加者層を配慮したのか、この日のワルツは冒頭の同音連打から、聴き慣れた彼の通常テンポよりゆっくりめ、歌い上げる箇所はゆったりとロマンティック、フィナーレも落ち着いた雰囲気に仕上げ、とても味わい深い演奏だった。Shigeru Kawaiの煌びやかな音色がサロン全体を包み込むように美しく響いた。約200年前のパリのサロンで演奏するショパン(かつて見たことがある絵画)と角野の姿が重なり、胸が熱くなった。

演奏後、マイクを手渡された角野は「ジンドブレ」とポーランド語で挨拶した後、日本語で「角野隼斗と申します。この度はポーランド国立放送響のソリストに選んで頂き、光栄です。全11公演、最善を尽くしたいと思います」と抱負を述べ拍手が送られた(当日はポーランド語⇄日本語の逐語通訳付)。

40分ほどの記者会見(NOSPRのエヴァ・ボグシュ=ムール氏によりNOSPRの歴史、活動、シマノフスキコンクールを関するプレゼンテーションが実施)に続き、質疑応答もあり、角野も登壇した。

左から角野、NOSPRのディレクターのエヴァ、通訳(自席から撮影, 記者会見や質疑応答時の写真撮影は可)

会場からの最初の質問は角野向けで、彼には少し酷な内容に思えたが、いまだに胸につっかえていて、時折思い出して辛くなる気持ちを抑えているかのように見えつつも、同時に前向きに答えていた。

「1年前にはとても辛い思いをしました。今回のツアーは自分の中でのショパンコンクールが完結する機会と考えています」
ぶらあぼ9/6

引用した記事は簡潔に纏められているが、実際は「1番をワルシャワで弾けなかったことは辛いことでしたが、1年経ってポーランド国立放送響と共演させて頂くのには特別な思いがありました。1年越しに私の中でショパン・コンクールが完結する感じでもあり光栄です」と答えた(自分のメモを参照)。

【追記 10/7】毎日新聞「ピアニスト角野隼斗さん 動画にアニメ…軽快に越える音楽の垣根」(記者: 須藤唯哉)(途中から有料記事)では、「1年越しにコンクールが完結する」と話していたことに関して以下の後日談が書かれており、これを読んだら、私もほっとした(笑)。以下引用は無料で読める箇所にある。

全国ツアーを終えた今は「あんなことを言ってしまいましたが、忘れてください。辛気くさいので。1年前にとっくに終わっています」と笑い飛ばす。「3カ所目の大阪公演ぐらいからは、もうショパンコンクールの完結がどうとかは関係なく、自分が音楽をできていること自体を楽しんでいた」と語った。
毎日新聞2022.10.7配信

事前に別記事で類似の答え(ABC Classic Guide)を読んでいたため、記者の質問を聞いた時、角野の答えはある程度予想でき、彼が声を発する前から胸が痛んだ。5m位しか離れていない距離で、彼自身から直接聞いたため、約1年前の3次予選の結果発表、角野がSNS(TwitterInsta, FB)で気持ちと今後の抱負を吐露したこと、全国ツアー2022で披露されたショパンの曲をオマージュした胎動と追憶、コンチェルト1番2楽章を演奏する一連の姿などが、走馬灯の如く頭のなかを駆け巡り、彼の発する一語一語に小さく頷きながら彼の姿を固唾を飲んで見守った。

公の場で角野はショパコン結果について多くは語って来なかったが、全国ツアー2022で、ショパコンに注いでいたことを振り返り、言葉にできない感情を音に託したかのような「追憶」と、後ろを振り返らず前に向かって歩んでいこうとする気持ちが感じられる「胎動」は、彼の心の中の相反する葛藤が表現されているように思え、言葉で思いを聞く以上に胸に迫ってくる彼の心の叫びが聴こえてくるようだった。そんな葛藤も今次ツアーをもって、彼のなかで昇華させられるのだと思うと・・・感慨深い。と一言で簡単に言ってはいけないような気持ちもあるが、湿っぽくなることを言うのはやめたい。

ブーニン優勝のショパコン以降、インターネットのない時代はFMラジオや雑誌などでショパコンを追ってきた私は、鑑賞側ではあったが、応援していたピアニストの審査結果を知るたびに悔し涙を流して来たものだ。昨年のショパコンではコンサート、YouTube配信、SNS等を通じて身近な存在となった角野に下された審査結果に何とも言えない悔しさ、いや、悔しさという一言では表現し切れない、さまざまな感情が自分の中で蠢いた。私はSNSでは自分が感じたことを一切発しなかったが、心の中でのモヤモヤはことあるごとに湧いてきた。自分の若かりし頃の挫折、それを糧に新たな挑戦を続けてきた自らの歩みを重ね、角野も新たな挑戦を経てこれを克服していくと願ってきた。

しかし、ショパコンの結果如何に関わらず、世界は彼を放っておかなかった。ワルシャワフィルと並ぶポーランドの一流オケが角野を迎えにきたのだ!シンデレラストーリーの王子版とでも言おうか。ショパンの国のポーランドのオケが角野の音楽性や将来性をかったと解釈し得る。これはショパコンに参加したことの大きな意義の一つだったに違いない。

昨秋ワルシャワホールでワルシャワフィルと共演することは叶わなかったが、かつてワルシャワに本拠地を構えていたNOSPRが20年ぶりの来日ツアーに際し、オファーを出したのは角野隼斗だった。オファーの経緯詳細は明らかにされていないが、来日ツアーともなれば、ソリスト選定はかなり前から進められていたはずだ(他の来日公演の事例から憶測)。

角野はNOSPRのオファーを受けてから、ツアーの公式発表まで一切匂わせなかった。こんな言い方をしては誠に失礼かもしれないが、なかなか機会が巡って来ない来日ツアーのソリストへの抜擢を嬉しく思う反面、謙虚な彼のことだから、セミファイナリストの僕で本当にいいのか、この大役が務まるのか、自問自答を繰り返していたのかもしれない。一方で、2022年1、2月には全国ツアーを行い、その後もさまざまなコンチェルトやクラシック以外のコラボのオファーを受け、あらゆるジャンルに挑戦し続けていた。9月の来日ツアーも意識し、最高の演奏を届けられるよう、自分のテクニックや表現力を磨いてきたように見える。「忙しさは悪」(本人がTV番組の取材中に述べた言葉)の代表格みたいな活躍ぶりを日々見てきて心配にはなったが、SNS等での発信を見る範囲では忙しくても充実しているようなので、陰ながら声援を送ってきた。

さいわい私は今日本に在住しており、彼の奏でる音楽を頻繁に聴く機会に恵まれ、彼の心の葛藤も、目の前の機会を最大限に生かす姿も生で見てきた。まさに「結果で殴る」(2022年8月のメゾンスミノで角野が受験生からのお便りに対し、高校生の時に自ら実践してきたことを話した上で発した名言; 世の中に結果を見せると同義と解釈)を体現してきて今に至ると言えよう。

記者会見と質疑応答が終了した後、【10/1追記】NOSPRのオケメン4人によるモニューシュコの弦楽四重奏曲第1番全曲(参考音源はこちら)が演奏された。私の左斜め前に角野も座り、聴き入っていた。近くで一緒に音楽を鑑賞できた、これまた貴重な経験となった。

ポーランド広報文化センターより提供

その後、関係者の写真撮影が行われた。

ポーランド広報文化センターより提供
ポーランド広報文化センターより提供

最後、ネットワーキングの時間が設けられ、たまたま話しかけて下さったポーランド広報文化センターの方のお取り計らいで、NOSPRのディレクターであるエヴァと直接話す機会を得られた。最初は通訳を介して話したが、英語で話していいかと聞いたところ、快諾された。用意してきた幾つかの質問をしたところ、何でも気さくに答えてくれた。

英語で話し始めた時にまず、カトヴィチェで角野がかてぃんラボ向けに協奏曲の練習場面を配信していた時に部屋に入って来て、ハヤトに話しかけ、スイーツの話もして、日本ツアーにも行くと話していた方ですか、と尋ねたら、満面の笑みを浮かべ、それ、私よ!と。あなたも見ていたのね!と言って、周りのスタッフにポーランド語で私の話を伝え、皆で盛り上がっていた。かてぃんラボでの配信、NOSPRの方々の間でも知られていたのか!

この配信が少人数の特別なものと思ったのかは分からないが、打ち解けて話せるきっかけとなり、とてもフレンドリーに接して下さり、楽しい時間を過ごせた。

彼女からも幾つか質問を受けた。その1つが、どこの公演に行くのか。私が初演の川口と最後の神奈川と、その間に寂しくなるから金沢と回答したら、目を丸くして、3つも?!と驚かれた。私はショパンの国のオケとMo. オルソップとハヤトのドリームチームのコンサートは貴重な機会だから、できる限り聴きたいと話したらとても喜んでくれた。

最後に、記者会見中にも言及していたカトヴィチェのパイプオルガンの工事が終わり、ハヤトを招待することになったら、あなたは聴きにきてくれるかと聞かれたので、Definitely!と即答したら、笑顔で、待ってるわ!あなたもハヤトたち同様カトヴィチェが気にいるに違いない、明後日川口で会いましょう!と。少しの間ではあったが、エヴァやNOSPRが角野をとても気に入っていることが会話の端々から感じられ、1ファンとしても嬉しかった。

当日の配布資料にエヴァの経歴も入っており、私より少し早いタイミングでロンドンに留学していたことが分かったため、一方的に親近感を抱き、英語で話しかけてみて、会話が成り立ち嬉しかった。

記者会見時、座席にあったお土産一式

以下は、Mo. オルソップが川口公演の前日9/6にツイートしたもの。写真はカトヴィチェでのリハの模様。

ツアー 4公演の感想

記憶とメモを頼りに私が感じたことを簡単に書き残しておきたい。

9/7の川口での初演に続き、大阪(9/10)、金沢(9/16)、千秋楽の横浜(9/19)に行った。

川口公演後に音源収録の公式なアナウンスがあり、諸事情(財政状況等)に鑑みかなり悩んだが、後日CDを手にする時に私がホールで聴いたあの時の演奏だと振り返りたく、大阪公演を追加した。

川口公演

川口公演は前日から激しい雨が降り、当日も本降りの雨。これは日本でショパンの国からやってきたNOSPRとマリン・オルソップ、角野隼斗から成るドリームチームの初演を喜ぶ音楽の神様の感激の涙だったに違いない。

開演30分前くらいにロビーの大きなポスターの前で写真を撮影しているエヴァを見かけた。マスクをした状態で顔が認識されるか自信がなかったが、「こんばんは、また会えて嬉しいです」と声を掛けたら、「ようこそ!再会できて嬉しいわ!これがあなたの1番目のコンサートね!」と応じてくれ、ちゃんと記憶してくれていたようで嬉しかった。

川口公演はリリアホールの会員先行で予約し、2階最前列、角野さんの座る位置の直線上の席。オケを見渡せて、オケの響きを楽しみたくここを選択した。角野からは多分プールの長さ、25m位は離れていたかと。ピアニストとの距離は大阪(舞台斜左席, 15m)、金沢(前から9列目, 8m)、横浜(最前列, 2.5m)と縮まっていった。以下は自席から撮影した舞台。

川口(左上), 大阪(右上), 金沢(左下), 横浜(右下)

川口での協奏曲1番は、1楽章始まって間もない頃は、角野は緊張しているように感じた。私の席からは遠くて彼の細かい動きは見えなかったが、弾いている姿や聞こえてくるピアノの音色に緊張を感じた。NOSPRのインスタによると、カトヴィチェ、日本での前日と当日のリハで綿密な打合せが行われていたようだが、満員の観客を前に本番の冒頭は流石に緊張していたのだろう。1楽章の半ばからは曲に没入し、オケとのハーモニーや受け渡しも自然な感じになってきたようだった。

私にとっては角野の協奏曲1番を聴くのは昨年8月以来。ショパコンを終えてからの約10ヶ月間のあらゆる経験から得たものが総動員され、技巧面も繊細な表現も洗練され、音色の豊かさも増していたように思った。特に1楽章の後半、2楽章の透明感のある美微弱音(私の造語)の音色は素晴らしかった。3楽章は打って変わってリズミカルな旋律になるが、遠目から見ても角野が楽しそうに演奏をしていて、(失礼な表現になるかもしれないが)水を得た魚のようで、ショパンピアノ協奏曲1番を弾けることの喜びに溢れていた。

言うまでもなく、ショパンの国のオケのハーモニーは格別だった。ピアノソロが休みの時のハーモニーは音量も上げられ、弦も管も美しかった。川口リリアホールが残響少なめだったこともあり、各楽器本来の音色をダイレクトに浴びられた気がする。

Mo.オルソップの指揮は直近だと、6月のクライバーンコンクールのファイナルで観たが、若いソリストに寄り添っていて、愛情と敬服に満ちていた。生の指揮はダイナミックかつ繊細で、ソリストもオケも安心して委ねられる包容力があった。タクトを振る右手と、各パートに細かく指示を出す左手の細かい動きに終始釘付けになった。

3楽章が終わった瞬間、大きな拍手が湧き起こる中、角野はMo. オルソップと抱擁(その瞬間の写真が角野のツイートから上がった↓)。16歳のユンチャンがクライバーンのファイナルでラフマニノフ3番を弾いた直後の抱擁の姿と重なり、目頭が熱くなり、心の中で角野に対しおめでとうを繰り返した(ユンチャンは史上最年少で優勝)。

2日前の記者会見の場で角野が語った、このツアーをもって彼のなかでのショパコンが完結する最初の日に立ち会え、感無量だった。もしかしたら、この日で完結させられたのかもしれないが、私はこのツアーを成功裡に導き、完走させた時が完結なのではないかと思った。

Ecは彼が全国ツアー2022のEc1曲目で弾いていたポーランドの作曲家パデレフスキのノクターンOp.16-4だった。3楽章の後に、熱くなったホールと観客の心を鎮静してくれるような選曲で、ポーランドから来てくれたNOSPRへの感謝の気持ちも込められていて、こういう心遣いも粋である(川口公演については、N.S.氏のレポートが素晴らしかった)。

大阪公演

ツアー3公演目の大阪公演については翌日書いた感想ツイートを貼る。

なお、本ツアーに関心を持ち、ショパン協奏曲1番の音源化も楽しみにしているイギリス人やポーランド人の友人達ために詳細な感想(英語)を書いたので、ここでは省略する。

金沢公演

ツアー8公演目となる金沢公演では私の座席は前から9列目、ピアニストのほぼ正面の位置で舞台にかなり近づいた。今回のツアーで唯一FC会員枠の抽選に申し込み当選した席だった。

過去2公演では表情が見えづらかった下手前方のバイオリン、上手前方のビオラの皆さんが見えるようになった。その日の晩、宿泊先で書いた感想は以下の通り。

この日、台風の影響によるフェーン現象で、金沢はかなり蒸し暑く、湿度のせいか、角野の髪型はショパンというより失礼ながらベートーヴェンに近い状態になっていた。少なくとも私の席からは髪が一部逆立って見えたのだ。そのせいか、特にフォルテッシモを弾く角野は迫力が増して見えた。色々な機会に「ピアノは自分の身体の一部という感覚」と言っていたが、金沢の角野はピアノの一部になっていた印象が強い。

「ピアノは自分の身体の一部という感覚です。喋るときにジェスチャーをするのと同じように、自然に、身体の延長としてピアノがあります」
『Hibiki』Vol.18 2022年8月1日発行

協奏曲を弾く前、舞台に姿を見せた時は疲労がピークに達しているような表情をしており心配になった。しかし、身体的な疲労など全く感じさせず、大阪公演より力強さと繊細さのバランス、コントロールが秀逸だった。

Ecは静岡(4/11)の英雄ポロネーズ以来のクラシックで木枯らし。予備予選での木枯らしが、あの震える指で弾いたノクターンの後と思えない迫力があって個人的に好きなのだが、この日の木枯らしは圧巻。右手の高速パッセージを華麗に弾きながら、涼しい顔で左手を弾く姿、もうこの世にこれ以上のものを求めませんと言わせしめる演奏だった。しかも3楽章のアルペジオで指を酷使した直後に木枯らし。Bravoしか言えない。この日は金子先生(の感想ツイート)と角野のお母様がいらしており、休憩時間にすれ違った。

横浜公演 (千秋楽)

神奈川県民ホールの表入口

金沢の3日後の横浜での千秋楽の日は台風の影響で、昼頃のみなとみらい駅付近は雨風ともに激しかった。しかし開場直前に雨が上がり、千秋楽を祝福するかの如く青空が広がってきた。

チケットはテンポプリモの最速先行予約で申し込んだ。オケのバランスもいい真ん中辺りの席を内心期待したが、最前列になった。これはSS席ではなくA席ではないかと当初は困惑した。座席表で正確な位置を調べたところ、ピアニストの目の前辺りになると分かった。これはある意味、貴重か。ピアニストの目の前に座るのは緊張するが、自分からは決して買わない、抽選であれば当選確率が極めて低そうな席なので、千秋楽はここで鑑賞することを受け入れることにした(その前にチケットの払い戻しはできない)。公演終了後、このようなことを言っていた自分を大いに責めたことは書くまでもない。

当日座ってみると想定より舞台が高く、ピアノもソリストも相当見上げる感じになることが分かった。私の席はまさに鍵盤前だったが、鍵盤が見えない位置・・。

角野が下手から登場し、ピアノの脇で深くお辞儀をした時、正に私の正面に立っており、あまりにも近く、4公演の中で一番緊張した。角野が椅子に座ったら、本当に近くて協奏曲が終わるまで冷静でいられるか自信がなくなった。前を真っ直ぐ観ていいのか、罪悪感に駆られながら、遠慮がちに観ると、視界には角野しか入らない(汗)。

1楽章冒頭4分間、角野がオケの演奏を聴いて、ソロの入りを待つ間、膝に置いている手や脚の動き、時々Mo. オルソップを見上げるしぐさや表情など全て目で追ってしまった。直視しすぎるのは失礼かと思ったものの、頭を左右にある程度振らないと、オケメンたちが見えないのだ。斜め上を見上げると、ピアノの蓋でMo. オルソップが隠れ、ヴァイオリンに指示を出す時くらいしか姿が見えなかった。ここは角野を見させて頂こうと決心が固まった。

耳にはショパン協奏曲がしっかり入ってきているが、視覚的インパクトが強すぎ、これまでにないほど興奮してしまった。

いよいよ角野の出番が来た。彼が両手で重音の塊を力強く弾き始めたら、ピアノの音がダイレクトに降ってきた。芯のある、一切の迷いもない音の迫力に思っていた以上に圧倒された。

1楽章ソロの始まり(IMSLP/ Breitkopf & Hartel)

神奈川県民ホールは巨大な空間のため、3階席の後ろの席の観客にも届く音量を出さなくてはいけない。ピアノに近い席群の1席に座った私にはソロの冒頭フォルテッシモが相当な音量で聞こえるのは当然だ。

この迫力にひたすら圧倒され、私はすっかり虜になり、彼の全てに耳も目も心も釘付けになった。鍵盤は見えないが、両手は良く見えた。両手の甲より手の平の方がよく見え、もちろん指の華麗な動きもよく見えた。

超特等席だと感じたのは、曲の世界に没入している豊かな表情がずっと観られたこと。時折見せる憂いの表情は、20歳前後のショパンの恋慕や故郷を離れる別離の感情を表しているようで、胸が締め付けられる想いがした。

11公演目となると、ドリームチームは家族になっており(インスタによると、夕方静岡の砂浜で遊んだり、岡山のお店で飲んだり・・)、Mo. オルソップの愛情に満ちた指揮の下、オケは角野のソロに寄り添い、時にソロを引き立てていくのがごく自然のことになっていて、それに安心してソロパートを大事に弾き進めていく角野の姿に終始惹き込まれた。

川口、大阪、金沢、横浜と鑑賞してきて、角野の技巧や表現力がどんどん研ぎ澄まされていったのが、素人にも分かった。

距離が近いためか、強弱のコントラストが(他公演の時のように)明確には感じられなかったが、2楽章の透明感のある豊かな音色は真に美しかった。特に8分休符後の高音域の小節(勝手に妖精パートと名付けている)は、湖の水面に妖精がそっと降り立ち、月明かりの中で優雅に踊っている情景が思い浮かぶ極上の音色だった。

2楽章の妖精パート(IMSLP/ Breitkopf & Hartel)

3楽章はMo. オルソップと一緒にオケを引っ張りつつも、軽やかに踊っているようでもあり、力んでいる感じがしない(のが好き)。最後の40数小節、鬼のようなアルペジオが連続する部分は疾走感があり、ホールは高揚感に包まれて終わった。拍手とスタオベが止む気配がないほど、ホールは熱狂に包まれた。ここはロックのライブ会場の武道館かと思うほどの熱さ(11公演に帯同された関係者の記事では観客の温かさを述べられており、共感)。

ツアーが終わってしまい寂しいが、ショパコンを無事完結させ、新たなフェーズの幕開けとも言えそうなオケとのEc "Ca(teen)ndide Overture"の最高にエキサイティングな共演にも立ち会え、本当に幸せな時間を過ごすことができたことに感謝したい。

来週はトーマス・アデスのピアノと管弦楽のための協奏曲の日本初演に立ち会える。あるレビュー記事によると、同曲のオープニングテーマはガーシュウィンのI Got Rhythmのシンコペーションのフレーズと比較されているようだが、これを意識して、千秋楽の2曲目にI Got Rhythmを弾いたとしたら、すごい。彼はすごいことをカッコつけずにさらっとやるからカッコいい。これからの新しい挑戦に目が離せない。

【追記 10/17未明】
ショパンの173回目の命日に大阪での収録音源がYouTubeはじめ各種サブスクで配信開始。

10/15(土)夜のシンガポールからのYouTubeライブの最後に10/17(月)21時にプレミア公開と話していたのは、このショパンのコンチェルト動画版!私が観に行ったシンフォニーでのコンチェルトが映像付きで観られる日がこんなに早く来ようとは... 感無量。YouTubeの概要欄には

It's been a year.
YouTubeの概要欄

この一言で充分。
あの日から一年。
本当にすごい一年だった。

(終わり)

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