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虫喰いの四葉

散歩中に虫喰いの四葉を見つけて「私みたいだな」と思った。
みんなより余分に一枚葉がついていることも、だからこそ他の人より幸せになれるかもしれないことも、それでもその葉が食べられていることも、もはや三葉に擬態していることも。

皆より一枚葉が多くついていることにはっきり気づいたのは、ごく最近のことだった。
それまでも周囲と私はどこか違うと思ってきたし、そのせいか生きづらさは感じてきた。
それでも私は自分が三葉であることを信じてきた。三葉であることを前提に、三葉に合わせて生きてきた。
だから余分についた、ある意味ギフトかもしれなかった四つ目の葉が蝕まれても、気にも留めなかった。だってその葉は〝一般の人〟〝私〟にはないはずのものだったから。

しかし自分が三葉でないと気づいてから、急に自分が〝特殊〟で〝特別〟なものに思えてきた。これまで頑張れば三葉として歩いてこれたのだから、それはある意味間違いでもあり、そしてやっぱり、正しくもあった。
やはり三葉と四葉では生まれつきに何かが違う。三葉の方が特性的に有利なこともあれば、四葉の方が有利なこともあるだろう。その両者が被っている(三葉でも四葉でも変わらず得意なこと)もあるだろう。
ただ、四葉でないと感じられない幸せも存在するはずで、それを満喫する前から葉を喰われたのなら、不幸せと言えるだろう。
そうやってこれまで〝自分の幸せ〟を損なってきた結果、私は病気にもなったし、今も葉を喰われた時の痛みに悶えている。

それでも一つだけ言えるのは、私はまだ四葉として生きているということ。もう三葉になろうとしなくていいし、到底なれないことは知っているし、四葉としてしか楽しめない何かを探して進むしかない。
三葉にまだ憧れているし、これから先も、得意なことの多い三葉に憧れて、嫉妬もするだろう。それでも、珍しいからこそ幸せの象徴としてたたえられる面を持っていて、そうなれるかもしれないという可能性を信じながら、私は自分を虫喰いの四葉に重ね合わせようと思う。

私はあなたたちを羨む。あなたも私を羨むかもしれない。羨むのは自由だ。でもなれやしない無理な理想は捨てて、お互いの特性を理解したい。我儘なことかもしれないけど、叶わないかもしれないけど、四葉だって三葉だって、同じ地面に生えている。

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