戦争は永遠に終わらない2

先の大戦を知るために国内における身近な映像表現について、2000年代から2010年代にかけての変化から世代の変質を知る。

毎年夏になると戦争を題材にしたメディアが放出される。
一番最初に触れたのは毎年お盆に地上波で流れていた火垂るの墓。アニメだから見やすいは見やすいけれど、当時の生活とあまりにかけ離れ過ぎていて見てもよくわからなかった記憶がある。
成長してアニメ以外も見るようになり、何夜連続放送、映画、テレビ番組、ネット記事の特集と目にとまるものは見るようにしている中で少し気づいたことがある。

2000年代までは男たちの大和や私は貝になりたい(中居正広版)、さとうきび畑の唄やひめゆりの塔(これは学校の授業で見た)をはじめ、CGでの再現やとにかく泣かせるストーリー(実話だから変な表現かもしれないが?ストーリー化している)展開、ショッキングな映像(これも実話だから変な表現なのだが)にフォーカスされていて、平和ボケした人間には見るのに勇気が必要なものだった。
史実に基づいたものもそうだが、フィクションを交えて当時の戦争を表現した歸國や戦国自衛隊、零のかなたへなども、表現としてはハード寄りなのかと思う。

2010年代に入ると映画よりもドラマ放送の方がよく見かける印象になった。
表現としてはマイルドになるが、その分見るのに抵抗と負担が無くなり見た後も色々考えを深めることができて、これはこの流れで良いのだろうなと思う。
この流れになった原因の一つとして表現の度合いだけではなく、見る人にいかに伝わるか考えてもらうかを主軸にした作品が多くなったこともある。
永遠の0は零戦や特攻隊員の宿舎の再現も確かな表現になっているが心の表現にも注力されて思わず引き込まれてしまうし、日本でいちばん長い日は(扱っている題材もあるだろうが)戦闘シーンをほとんど通さずに戦争の重さと虚しさが伝わる映画に仕上がっている。
最近放映したアルキメデスの大戦はそもそも架空の人物が主人公でモデルとなった人物もいないそうなので、フィクションが多いにも関わらずあまりにリアルな感触だった。

ネットで、フィクションの方が伝わることがあると書いてあるのを見かけた気がする。こういうことをどうしてメモしておかないのかと後悔しているが、その言葉にはっとさせられたし2010年代以降の戦争映画にも当てはまる事実だ。

ほぼ日刊イトイ新聞の映像作家佐々木監督のインタビューを読むと少ししっくりくるのだが、事実と真実は異なるということ。
https://www.1101.com/sasaki_shoichiro/2014-11-07.html

戦争という題材を扱うということは事実への深い理解と探求が必要になる。
その点では2000年代までの戦争映画は(それでも事実と比べたらその時代の人間に見やすいように編集しているだろうけど)事実を表現することありきでの登場人物の表現だった。そういう表現が一旦完成したのだろう、2010年代の戦争映画は登場人物の表現が広がり、見る人が戦争を起こさないために平和のために何が必要なのか考えさせる後味がある。

自分たちで考えることで、事実だったものが私たちの領域内に入ってきて、真実と感じられるものにシフトしていくのではないか。
そこまでしないと私たちの領域に戦争体験が入ってこないほど時代が離れてしまったことに一定の危機感と緊張感は保ちつつ、あらゆる方法で過去からのメッセージがある現状はかなり恵まれている。戦争映画は怖いというイメージが強くて見ることができない人にも手がさしのべられている。

次は、そもそもなぜ戦争を知る必要があるのかということを記事にしたい。

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