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フリースクール支援と本来の学校の存在意義

滋賀県東近江市長の問題発言でスポットライトが当たったフリースクール支援。「不登校の大半は親の責任だ」という発言が一番問題視されているようだ。切り取られた発言を見るだけでは意図を正しくは測りかねるし、子どもの不登校に親の影響があることは、全てではないにしろ事実ではある。正論だとしても思いやりのない発言のし方は不和や誤解を招き、リーダーとしての素質を疑われる行為なので、市長は叱られるべくして叱られているのでそれはそれとして。

その後の弁解では、「文部科学省がもう少し運営の基準やカリキュラムなど、制度設計をしてから自治体に支援を求めて来るのが普通で、そういったこともないまま、支援するということに対して抵抗を覚えたから」で、国に対する問題提起だったとのこと。その点については私も同意したい。

子どもの不登校29万人超、10年連続で増加。少子化で子どもが減る中、不登校の子がどんどん増え続けているということに、学校に行く意味、義務教育の意味とはいったい何なのかという疑問を持たざるを得ない。今の子どもたちが作っていく新しい社会と、日本の義務教育の求める人間像のとんでもないズレ。それを解消せずにフリースクールを支援して受け入れ先を増やすというのなら、もはやフリースクールの方が義務教育の場として成り立つことにならないだろうか。

もちろん教育改革は一夜にしてなるものではないし、フリースクールをひとまずシェルターとして多く設けるということは必要だ。私もそういう場を作りたいと思っているので、支援を受けられるということは経営者にとって大きな手助けになると思う。ただ、本来の学校、教育現場や教育者の労働環境の改善を具体的に図らないまま、フリースクールに頼るためにこれといって方針のない支援を自治体に丸投げ、では、市長が嘆く気持ちも分かる。

ある意味、炎上商法的なやり方でここに注目が集まったことは好機かもしれない。フリースクールなどの受け入れ先で子どもたちを守りながら、根本的な教育の改革を社会全体で考え実現していくこと。大水槽の大掃除のために魚たちを一旦安全な水槽に分けて避難させるようなイメージで。そのためにも、市長の発言を咎めた後は、もっと客観的にこの問題提起を取り上げて、多方面から知恵を集めて協力体制を作っていく流れになれば、とても大きな一歩になるのではないだろうか。そんなことを願った。

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