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<兄の話:15杯目>この部屋は人が死んでいない

即位礼正殿の儀という素晴らしい祝日の1日前、兄の家を見に行ってきた。

祝日ではケースワーカーさんにご迷惑がかかるので、有給を使い月曜日にした。
ケースワーカーさんとは9時半に現地集合と約束している。
この日は念の為、カーシェアリングで車を借りて向かった。
約束した時間の少し前に着いたが、ケースワーカーさんも廃棄業者の方も既に到着していた。
お待たせしましたと挨拶し、早速兄の部屋に向かう。
兄の部屋の扉には不動産会社からの書面が挟まっていた。
鍵を開け部屋に上がり、換気の為に窓を開けた。
部屋の中は加齢臭か、はたまた兄の体臭か、兎に角我慢できない臭いが充満していた。
窓を空けたはいいものの、1つだけで風は抜けなかった。
持参したマスクを付けて見積り確認が終わるのを待った。
廃棄業者さんは5分くらいで荷物の量を確認し、持ち帰って金額を連絡しますと帰って行った。

さて、ここからが本番だ。
まず照明のスイッチを押して、電気の供給が止まっている事を確認した。
乱雑した部屋の中は窓の明かりでは少し薄暗い。
掃除はほとんどされていない様で、汚部屋という言葉が頭に浮かんだ。
転倒時の傷のせいか、床の所々に薄く血痕が残っていた。
気味が悪いというか、なんというか。
嫌な気持ちで心が一杯になった。
孤独死があった部屋を掃除する特殊清掃の方はこんな気持ちなのかなと一瞬考えた。
(この部屋は人が死んでいないから大丈夫)
そんな思いで探索に取り掛かった。

引き出しや書類が入っていそうな入れ物を、ケースワーカーさんと片っ端から漁った。
どうせ全部捨てるんだという気持ちでいるので、丁寧にちまちまやる必要はない。
ただ、必要なものは見逃さない様に注意しながら漁った。
幸いなことに欲しかった書類等はそれほど苦労せず発掘できた。
几帳面さなのか、何を捨てていいか判断できなかったのか、光熱費の請求書から区の書面、医療費の領収書、借金の督促状、過去~最近まで付き合っていた女性達からの手紙に至るまで、ほとんど取っておいた様だ。
借金関係のものは東京に出てくる前の頃からのものまであったし、賃貸契約書は1つ前の賃貸の物まであった。
”取っておいた”と言うよりも、”溜めこんでいた”と言う方が正しいかもしれない。
2枚のキャッシュカードと千円札1枚も見つけた。
目当ての物は見つかったが他にあったら困るとケースワーカーさんに言われ、書類等がありそうな場所は全てひっくり返した。
あらかた探し終わった所で、キャッシュカードや賃貸契約書をコピーする為にケースワーカーさんだけコンビニに向かった。
その間わたしは、空いているリュックに下着や靴下、部屋着に使えそうな服を少しと、冬用の上着1着を詰め込んで車に運んだ。
それから部屋に戻り、ケースワーカーさんを待ちながらクローゼットの段ボールを引っ張りだしてみた。
必要そうな書類がない事を確認していた段ボールだが、気になるものがあったからだ。

気になったのはアルバムだ。
分厚いものから薄いものまで、全部で6つくらいあったと思う。
その内5つは実家で目にしたことのあるものだった。
兄の幼少の頃の写真が絶対にあると分かっているので、中は確認せずにとりあず全て車に運び込んだ。
そうこうしている内にケースワーカーさんが戻って来たので、一緒に部屋を出てお礼を言い別れた。
それからわたしは病院に向かい、兄の病室にリュックを置いてから帰宅。
家に戻ってから早速アルバムの整理を始めた。
アルバムの台紙は茶色く色あせてボロボロだった。
写真だけ抜いて捨てようと思い、台紙から写真を剥がし続けた。
生まれてから小学校卒業辺りまで、両親はたくさん兄の写真を撮っている。
子供らしい笑顔の写真がたくさんあった。
父と一緒に撮った写真、母と一緒に撮った写真、祖母や叔母、叔父、たくさんの人と無邪気に笑って写真に納まっている兄を見ていると、哀しい気持ちになって来た。

中学生時代に入ると、友達と撮り合った写真ばかりになる。
ふざけてイキった写真が続く内、哀しい気持ちは収まった。
この辺りの年代から、兄が写っていない写真は全て捨てるコースにした。
最後に実家で見たことがなかったアルバムを開くと、1冊まるまる昔の交際相手との旅行写真が納まっていた。
旅先を見るに東京に来る前だと分かる。
2人で写っているものを1枚だけ残そうか残すまいか、少しだけ考えながら数ページめくる内、ベッド写真が目に飛び込んで来た。
速攻で閉じてアルバム毎捨てたいと思ったが、しかたなく全て引っぺがし袋に包んでごみ箱に入れた。
気付くと日が暮れており、不動産会社への連絡は祝日明けにする事にした。


。。。親の夜の営み級に見たくない

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