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<兄の話:4杯目>ソーシャルワーカーとの面談

兄が搬送されたD病院に行った翌日、看護師長さんから電話を頂いた。
内容は、追加で記入の必要な書類があることと、ソーシャルワーカーさんとの面談の日程についてだった。

前日に担当医師と話しをした際、病院側で兄と意思疎通が取れない為、連絡が取れた家族(わたしor両親)が兄に代わり意思決定を行えるか、入院費用などの金銭的な支援を行えるかどうかを尋ねられていた。
お金の話が早々に出たのは、腫瘍治療の入院中か経過観察の外来で、兄は自らの金銭的に困難な状況や、元彼女に頼った生活をしていると話していたのだと思う。
兄は数十年前に失踪し、両親は縁を切っている。
わたしも兄と連絡を取るようになったのは1年ほど前で、意思決定の責任は負うが、自分の経済状況からも金銭的な支援はできない。
と、わたしは担当医師に回答した。
では、後日病院の相談員と話してもらえますかと言われ帰ってきていた。

電話をもらった日、師長さんを介してソーシャルワーカーさんとの面談が2日後に決まった。
どんな人と話すんだろう、威圧的な人だったらどうしよう、とりあえずわたしが払えるだけ払えと言われたらどうしよう。
悪いことばかり考えていた。

面談当日がやってきた。
面談の約束は15時だったので、職場には兄が入院して手続きをしてきますと話し、勤務時間中だが1時間ほどと言って中抜けさせてもらった。
この日は時間がなかったのでタクシーでD病院に向かった。

病院に到着し、まず兄の病室がある階に移動した。
ナースセンターで追加の書類に署名し、今度はソーシャルワーカーさんのいる相談室へ移動する。
対面したソーシャルワーカーさんは優しそうな方だった。
実際に話ていても優しい人だなあと感じた。
ソーシャルワーカーさんもまた、担当医師と同様に腫瘍治療の際に兄と話していて、幾分事情が分かっていたらしい。
■ 兄が運ばれる2日前に生活保護を受けるつもりがあると話していたこと
■ 所持金や銀行口座にほとんどお金はないと元彼女から聞いたこと
■ 両親、わたしは経済的に金銭の援助ができないこと
以上を伝えた。
現状を踏まえ、病院から福祉事務所に連絡を取ってもらえることになった。

金銭面の方針が決まったところで、わたしは兄の飲酒生活について話し、
体調が整った後、アルコール依存症の診療を行っている病院に転院させたいと相談した。
ソーシャルワーカーさんからは、事情を聞くに依存症と診断できればそうした方がいいと思うが、医師の指示や本人の承諾がないと難しいと言われた。
この場で難しいと言われた以上、何を言っても仕方ないと思い、「では福祉の件、お願いいたします。」と話しを締めた。

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