見出し画像

18. 高架下山手に歩いて神戸秋

 港にあるクレーン、ビルの並ぶ旧居留地、昭和が香る高架下、カラフルな中華街、海の見える学校、山手の異人館、そして、それらをつなぐ坂道。みんな神戸である。街にはいろいろな場所があって、いろいろな風景がある方が、豊かで楽しい。

18.  高架下山手に歩いて神戸秋

 「渡る世間に鬼はなし」と言う諺がある。それでもテレビドラマの影響か、世の中の実感からか、「渡る世間は鬼ばかり」がなんだか正しく思えてきてしまう。このテレビドラマの主人公は、家族で中華料理屋を切り盛りしていた。テレビドラマに出てくる店なので小綺麗であった。神戸の三宮高架下、狭い路地にもたまに行く中華料理屋があるのだが、小綺麗ではない。小綺麗ではないが、その雰囲気は捨てがたい。安物のアルミ枠の扉を開けて店に入り丸いパイプ椅子に座る。壁に貼ってある油染みた紙のメニューを見回す。「餃子二人前ともやし炒め、ビールを一本」もう一品頼むかどうか迷った末に、「ジンギスカンも」と言う。店員が「コーテル、リャンガー」と勢いのある声で叫ぶ。同時にテーブルの上の小皿を取って、醤油と酢を少し多めに入れ、辣油を三、四滴加えて準備を整える。厨房では、大きな中華鍋が龍のように踊り、調味料を掬うお玉が蝶のように舞っている。餃子を焼く蓋付きの四角いパンからは、ジュージューという音とともに勢いよく水蒸気が上がる。野菜を切るザクザクという音も聞こえる。狭い店内では客たちがガヤガヤと声を出し、ビールをつぐ音がトクトクと聞こえてくる。先に来たビール瓶の栓を抜いて、ごく普通のガラスのコップにビールを注ぐ。そのうちに餃子ともやし炒めがほぼ同時にテーブルに運ばれてくる。程よい大きさの餃子をタレにつけてハフハフしながら肉と野菜の混ざった舌触りを楽しむ。焼き色のついた皮はパリパリで、焼き色のつかない部分は薄くて柔らかい。巧みな焼き加減である。ビールを飲む。ニラの緑が彩を添えたもやしのシンプルな野菜感と染み込んだ中華風味が、口の中にあふれる。すぐにジンギスカンもくる。羊肉と玉ねぎがほどよく混ざり、玉ねぎのシャキシャキと羊肉の歯応えが口の中でスクラムを組んで互いに譲らない。行ったことはないが、モンゴルの草原のような味を噛み締めて、またビールを飲む。その店は1953年(昭和28年)創業で阪急電車の高架下にある。これと並行してJRの高架下商店街もある。二つの高架下商店街の間が路地になっていて、上を見ると細長い空が見えている。競うように派手な色めの看板が続く。最近、阪急側の高架下が小綺麗になり、その店も小綺麗になった。しかし「コーテル、リャンガー」の声はもう聞けなかった。一方、JR側の高架下はまだ昭和が残っていて、空気の色や趣が違う。村上しほりの論文『戦後神戸の都市環境形成に関する研究―JR元町-神戸駅間鉄道高架下における店舗形成と変容過程に着目して―』によれば、

 「1945年2月4日から6月15日まで前後15回に及ぶ神戸大空襲によって焼け野原と化した中央区(旧葺合区・生田区)には、市内を東西に縦貫するように省線高架橋が焼け残った。屋根を求めて高架下に集まった戦災者の傍に食料品の立ち売りが始まり、間もなく物的設備を備えた屋台店舗へと形態も変わり、やがて南側路上を埋め尽くすバラック店舗群へと空間的な範囲も拡大した。」

 とあって、JR高架下が戦後のヤミ市からスタートしたことがわかる。時代の経過とともに、JR(1949年〜1987年は国鉄)や神戸市と店舗運営者との間でルール化がなされ、現在の形に至っているのだろう。空気の色や趣が阪急側の高架下と違うのは昭和のカオスの香りが感じられるからである。我々の年代からすると、こういうところは残して欲しいなと思う。

 私が過ごした神戸の高校は、高架下の空気とは違い南に面した山手の斜面にあり、遠景に港が見える明るい雰囲気のところにあった。男子校から転校してきた私にとっては、男女共学のその学校で見る女子生徒のセーラー服が眩しかった。特に夏は白の半袖に濃紺のカラーと濃紺のプリーツスカート、白いソックスに黒い靴と鞄。清々しかった。家から高校まではバス通学だった。三ノ宮で阪急六甲行きのバスに乗り換えて行くのだが、バスを降りて高校の正門までは結構な登りの坂道で、遅刻しそうなときは息を切らして駆け上がっていた。地獄坂という名前で呼ばれていた。三ノ宮からのバスルートの途中には、女子校があったり美術館や乗馬クラブもあったりして、いい雰囲気だった。おおよそ50年前のことである。今はどうかと、久しぶりに同じ路線のバスに乗ってみた。美術館は公文書館になり、乗馬クラブは移転していたが、女子校や私が通っていた高校はそのままだった。記憶が50年前に飛ぶ。この高校には一年生の秋に転校してきた。教室に入って、転校生のお定まりの挨拶をして席についた。神戸はオープンな街なので、みんなフレンドリーで転校生にとってもすぐに馴染めた。懐かしい思い出である。高架下も神戸だし、山手も神戸であった。

 中華料理に話を戻すと、元町入り口近くで華僑の人たちがやっている神戸元町別館牡丹園も美味しい。象抜(ミル貝の温菜)、炒三鮮(新鮮な三種の魚貝類と青野菜の炒めもの)、冬限定の煎生蠔(カキの広東風お好み焼き)、蝦仁炒麺(小海老のあんかけ焼きそば)など、思い出すだけでも美味しさが、頭と目と鼻と口とに蘇る。新幹線の2年前の車内誌に「平松洋子さんが訪ねる 港町神戸で華僑と日本人が育む中国料理」という記事があり、神戸元町別館牡丹園のことを「神戸の中国料理を牽引する存在だ。」と書いていた。創業から約70年の店である。神戸華僑歴史博物館の入り口にある「落地生根」の額は伊達じゃない。高架下の店も転校生も「落地生根」である。神戸という街は、ダイバーシティ(多様性)に馴染む港町である。

●「渡る世間は鬼ばかり」TBS系列で1990年から2011年まで放送されたテレビドラマ
●村上しほり『戦後神戸の都市環境形成に関する研究―JR元町-神戸駅間鉄道高架下における店舗形成と変容過程に着目して―』神戸大学大学院人間発達環境学研究科 研究紀要 第7巻第1号 2013
●平松洋子 新幹線車内誌『ひととき2021 8月号』収録の「歴史町、うまいもの探検」より抜粋 

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?