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人の数だけある価値観と向き合うこと

2024年になりました。そして年明けとともに続く悲しく不安な出来事に新年早々心がざわざわとする日々を過ごしています。

ここ数日で起きた事について、それぞれ色々な想いを抱えているかと思います。災害にしても事故にしても厳しい事態が起きると人それぞれの考えの違いがはっきりと見えてくるのだなとここ数日感じていました。

特に私の心がざわついたのは飛行機事故におけるペットの問題でした。この件についてはたくさんの人がそれぞれの価値観や見解を述べているコメントが出ていますね。SNSやテレビで「ペットを客室に入れられるように出来ないか」という著名人のコメントに対して猛烈な批判が起きていたことも目にしました。

正直、あの事故をニュースで見ていた時「全員脱出」という言葉に胸を撫でおろすと同時に「貨物室に乗っている動物はいなかっただろうか」と頭によぎり「どうかいませんように」と祈りながらSNSでそのことばかり検索してしまう自分がいました。自分がこの件について気がかりに思ったのは、きっと動物(犬)を家族として迎え、自分の命に代えても守りたいと思う「最愛」の存在として生きてきたからだと思います。
私は心配性で愛犬と少しの間でも離れて移動することは考えられなかったのと、自分の目の届かない暗い貨物室に大切な存在の身を置くことはそれだけで気が狂いそうなので飛行機に乗せたことはなかったけれど、旅行ではなくても移住であったりその他の理由で飛行機移動が余儀なくされる方もいらっしゃるのだと思います。

だから、家族である犬や猫を「ペット」ではなく「最愛の家族」として生きている私達のような人からすると荷物のように貨物室に入れるのではなく、高いお金を払ってでも客室に同乗できるようにはならないかと願ってしまうのは普通なのかなと思います。動物と暮らした経験がない人にとって、今回の事は飼い主のわがままに聞こえるかもしれないけれど、最愛の存在として共に暮らしている人が今回の件で改善を求める気持ちには自分事として経験しているか、いないかの差があるように思いました。

但し、理想と現実が違うこともはっきりと理解しています。一つの空間に大勢の人がある一定時間共存するということは、出来る限りすべての人が快適な時間を過ごす権利があります。動物が苦手な方もいますし、動物アレルギーの方ももちろんいらっしゃると思います。緊急時にパニック状態の中同乗している動物が暴れたら?など反対派の方のコメントはどれも『たしかにごもっともですね』と思うものが多く、愛犬を持つ身としてもそれが現実だと正直思いますし、自分が愛犬家だからと言って、このような意見に真っ向から反対!というスタンスにはなりませんでした。

でも、「じゃぁ、やっぱりペットはどこまでいってもペット。物と同じ扱いになるのは仕方ないでしょ」という考えで留めることは出来ないのです。
もし自分があの場にいて、大切な存在がまだ機内に残されていたとしたら降りることはできなかったかもしれない。。考えたくもないけどそう思います。心のある命で、意思も知能もあって、喜怒哀楽もある家族ですから。

「ペットは家族で荷物ではない」という価値観と「色々な人が居る空間なのだからペットは貨物室に入れるのは仕方ない」という価値観の両者が対立して論争になっているけれど、論争ではなく解決できる方法を考えることは出来ないかと色々な方のコメントを眺めながら考えていました。

正直、現実的に今すぐは難しいとは思います。ペットのしつけ具合も家庭によって異なるし、サイズも様々で、どのように線引きをしていくのかも難しい。ビジネスクラスのように「ペットクラス」みたいな同乗できる区画が出来ればいいのかな?脱出時にシューターを傷つけないケージに入れたら一緒に脱出できるのかな?とかあれから色々と考えていたけれど、現実的なのかは分からない。でも、今回の件で異なる価値観を持つ人達が分かりあえるように工夫できないかを考え続けることが一番重要なのではないかと思いました。

どんなことでも、それぞれ違う考え方や価値観があるのが当たり前で、それぞれの言い分があって、どれもその人の立場になれば「正義」だから分かりあうのは難しいけれど、個人的にはどちらの意見も否定はせず解決できる方法がないかを考えていければ救える命はあるのではないかと思えてなりません。

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