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結婚明夜

どうにもこうにもお酒に弱い。

父は私が4歳の時に亡くなったが、記憶している限り毎晩ビールを飲んでいたし、飲んでは裸で踊っていた。今写真を漁ってみても、ピースをする父はいつも顔が赤く、陽気そうに映っている。

母もほとんど毎晩ワインで晩酌している。若いころはビールが好きで、父が居なくなってからワインを嗜むようになった。好きが高じて、趣味でワインアドバイザーの資格を取得してしまった程だ。そのため我が家の壁には、大きな世界地図と、その上にいくつもの産地のポストイットが貼られている。

そして兄は音楽家である。音楽家というものは大体そういう生き物だ。穏やかで柔らかい人柄だが、いつもどこかのポケットにお酒が入っている。その果てにどこでも寝てしまう。実家の玄関前や近所の公園、はたまた最寄りの駅構内で転がっている姿を目撃したこともある。深夜まで仕事をがんばって帰宅したとき、リビングに兄が転がっていると「このやろう」と言ってよく蹴り飛ばしたものだ。しかし、どちらも実家を出た今、酔っぱらった兄がギターを弾きながらポロポロこぼす四方山話を愛しく思い出す。やたらとおいしい手作りおつまみのことも。

さて、この家庭で育った私は、お酒がほとんど飲めない。
自分が一番驚いたし、大学生のころは、氷結の缶チューハイで誰よりも先にグラグラする頭で「まだ体が子供なのかもしれない。いつか強くなるだろう」と考えていた。
結局その日は来ないまま、しっかりすっかり大人の年齢になった。

そんな私にとっての「乾杯」は、お酒に弱いからこそ特別で、味わい深い思い出ばかりだ。

*

私事だが、先日家族が増えた。
増えた、というのは、入籍して旦那さんの性をいただいたことにより、家族がごっそり倍になった、という意味である。

なんてお得なんだろう。と心から感じた。
ブラコンとして長年やってきたが、この歳でお兄さんが増えるとは予想していなかった。しかも旦那さんと同じような顔の形状をしていて、旦那さんと性格が真逆なお兄さんだ。深夜アニメみたいな出来事が現実に起こってしまった。

お料理が得意で元気なお母さんも2人になった。私が「ソーセージが好き」などとアホみたいな自己紹介をしてしまったせいで、たまにシャウエッセンを送ってくれる。図々しくも毎回連絡を楽しみに待っている。

そして、何より、お父さんができた。
私のお父さんを想って大泣きしてくれた、とても優しいお父さんだ。結婚って、新婦のお父さんが怒っているシーンを想像するが、その代わりの役割を果たすように、このお父さんは自分の息子のことを改めて叱ってくれたのだ。もちろん気まずい空気が流れたが、この出来事は私の背筋をピンとさせてくれた。

普通で、ありきたりで、温かくて、少しぎこちなくて、最高の家庭だ。私の家族もへんてこりんで最高だと思っていたが、知らない家庭の匂いって涙が出るほど愛おしい。


挨拶も終わり、そんな家族に迎え入れてもらった最初の日は、夏の始まりの頃だった。
お父さんは照れ笑いを浮かべながら「今日くらい飲めば」と、私たちに勧めてくれた。旦那さんはまだ思春期が終わっていないみたいに、両親の前になると口数が減る。聞くところによると、今まで家族の前でお酒を飲んだことは一度もないらしい。

少しの沈黙の後、旦那さんから慣れない口調の「じゃあ一杯だけ」を聞いた。お父さんは静かにむちゃくちゃ嬉しそうな表情に変わっていき、それもかわいくて少し泣きそうになった。

これは父から息子へのはじめてのお酌なんだ。そう思うと私までドキドキしてしまう。お酒を一口飲むだけで、こんなに人を喜ばせてあげられるなんて、すごいことだ。

乾杯は小さなグラスに注がれたビールで、夏の香りがした。炭酸は滅多に飲まないけれど、シュワシュワしている感じが夏っぽくて好きだ。暑い日にビールを飲みたくなる気持ちはすごくわかる。仕事終わりにビールをゴクゴク飲んで「クー!」ってやる人の顔もすごく好きだ。私はそんなことをやったら倒れてしまうのでしないけれど、なんだがこの日はうれしくて、お父さんに注がれる度にへらへらしながら飲み干してしまった。

遅れてやってきたお兄さんは、両手に某百貨店の紙袋をぶら下げていた。中にはかっこいいお酒の瓶がたくさん入っていたが、そのうちのいくつかは、お酒みたいに澄ました顔をしたジュースだった。自然な素振りで私たちの近くに置いてくれた。

仕切り直し。本日二度目の乾杯は、お兄さんが買ってきてくれた葡萄ジュースで。甘すぎなくて、渋みがあって、見た目通り大人っぽい味がした。
「ワインみたいでおいしいです」というと「ワインの味も知らねえくせに」と笑われた。もっとお話がしてみたい。そう思ったが、人見知りな上にビールと雰囲気ですっかり酔いが回った私は「へっへへ」と返すだけで精一杯だった。

結局、キャッチボールの玉はひとつも投げられずに終わってしまった。そんな自分に少しがっくりしたが、まぁそんなに焦らなくてもいいだろう。次の行事に期待したい。次があるのはいいことだ。私とこの人たちはまた会えるのだ。だって私たちはもう、家族なのだから。

*

普段飲まない分、誰かと乾杯した日の思い出は、テーマパークに行ったときみたいに大切に残っている。今年の夏はどんな乾杯ができるだろう。誰の知らない話をきいて、知らない顔を見るだろう。暑いのは嫌いだけれど、みんなが「夏だから」と理由をつけて活動し出す、夏のあの空気が、今年も待ち遠しい。


#あの夏に乾杯

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