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障害者やマイノリティの人たちの想いから“多様性”について考える(VOL.1)

車椅子の女性の方が、イオンショッピングモール内の猫カフェに入店できなかった話を、X(旧Twitter)で見ました。

以前車椅子でも入店可のお店に入ったこともあるというその方は
「悲しかったな」「残念」
さらには
「多様性を認めない社会は悲しいね」というようなポストをされていたのだけど
それに対して
「何が理由だったんでしょうかね」
「お店側に段差とかあったからでしょうかね」
とか
「猫に負担がかからないようにっていう意味だったんでしょうかね」
とかいう人はまだいいとして
「何でもかんでも多様性って言いやがって」
「お前は『多様性』を盾に自分のわがままを通しているだけだろう」
「車椅子のお前がやろうとしていることは、普通の人や猫たちのどんだけ迷惑なんだ」
などの否定的なコメントを寄せている人が多数いらっしゃったのです。
「猫好きの者として猫に負担がかからなかったのだから良しとしよう」
とポストしていらして、納得してはいたけれど‥半ば「う~ん‥」という、どこかでもやもやした感じを抱えているような気もしました。

僕はこれだけは言いたいです。
「車椅子だから迷惑だ」っていうのは五体満足で生まれてきた人の一種の暴言だということ。
車椅子生活になる可能性は誰にでもあるのに‥。
それを考えたら、心の狭い人は世の中にいっぱいいるものだなぁ、と思ってしまいました。


そもそも多様性(diversity=ダイバーシティ)ってなんだろう?

「ダイバーシティ(多様性)」とは、さまざまな社会、民族的背景、異なる性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドのこと。
その本質は、「ひとりひとりの考え方の違いに気付き、それをお互いに認め合う」ということ。

【3分解説】ダイバーシティ(多様性)とは?
https://sports-for-social.com/3minutes/diversity/#rtoc-1

そして、多様性を促進することは、「寛容」を促すだけでなく、「受容」の一歩でもある、とされていますね。
今まで、自分と異なる・違うと思っていた人が、お互いの多様性を認め合うことで、実際には多くの共通点を持っていることに気付くかも知れません。このような違いや共通点に精通することで、私たちは今まで持っていた視点を改め、差別を助長する誤解や偏見を減らすことができる‥と。

でも、僕の友達の中に
“多様性 認めないのも 多様性”
っていう川柳じみた風に言った人もいました。
障害者って差別されてきた根深い歴史もありますし
「障る」「害」って書くのだから、そのワードを聞いた時に「うっ」と身構える人の方が大半なんじゃないかと思います。
どう頑張っても受け付けない、受け入れられない、排除しよう、という人や過度な偏見を持っている人は、世の中に少なからずいる!
そうじゃない人は、本人さんか、家族をはじめとした当事者か、医療や福祉に携わっている人か‥ぐらいじゃないかな?と。
仕方がないですよね。

発達障害や知的障害の子どもなんかを例にとっても、そこらじゅう飛び回ったり、奇声を上げたり、大人の言うことをなかなか聞かなかったり‥ていうマイナスなことばっかりが目立っちゃって、どちらかというと悪いイメージしかないものだから、いいイメージもあるんですよって言ったところで、何を言ったらいいのかわからない。
「どんなのがあるんだよ、言ってみなよ」
と問われても、誰も言わない・言えない。
一芸に秀でた人などがたまにメディアで取り上げられても
「それはほんの一部の恵まれた人でしょ」で済まされてしまうことが多かったです。
少数派が声を上げにくい世の中になってしまっているのかなぁと感じています。


お世話になっている、僕のコーチ的存在の方はこう言ってくれました。

マイナス面や、「無い」にしかフォーカスを向けない人たちは、その人の立場を体験したり、想像したりすることをしていないし、出来ていないからわからない。
いいところをちゃんとよく見ていないからよ。

人間ね、知らないものは怖いと感じるの。
でも、「知らないからそのまんま放っておく」じゃなくて、
「知らないのなら知るという努力」をしないと自分の価値観は広がらないし、人間力(生きる力)も向上しない。

自分をよく知るっていうことは
自分が何に困っていて何を助けてほしいのか言語化できるってコト
だから自分に向き合うのが大事。

マイノリティとかマジョリティとか関係なくって 大多数に属しているから少数派だからとか関係なくって
自分がどうなのか、だけが大事。
「このことについて自分はこう思います」
と、アイメッセージ(i message)で言える・伝えられるのが大事。
誰かと比べる必要もないし、劣っているとか優れているとか、比較も要らない。
自分がどういうところが得意でどんなことが苦手で‥をちゃんと把握するの。
障害者じゃなくても、苦手なこと・できないことは人間だれしもある。
「自分はそこが苦手だから、そこのところは助けてくれると嬉しいです・ありがたいです」
っていう気持ちがあれば、障害がある人のことをどーのこーのって言えないハズなんだけどな。


互いが異なるからこそ、互いに助け合うことができるだろうし
お互いが補い合って生きていくものだと思っています。

冒頭の車いすの人は、決して「多様性という言葉を利用して自分の価値観を押し付けたり、無理強いしたり」ということはしていないと思うんです。

そういうものがあるんだ
そういう人が世の中にはいるんだ
そんな世界が世の中にはあるんだと
受け容れなくもいいから認めることはしようよ
、と。
そして
世の中をうまく回していくためには「思いやり」がないとね、と思うのです。

知ることで それまで見えていた世界が変わる
そういう時があるのよ
(中略)
正しいとか間違えてるとかそれ以前に 自分が何を大事としているか
あたしは間違えていた
自分に報酬を与えてくれるモノや人 それが大事だと思ってた
(中略)
知るコトにより見える世界
そして見えたコトによりかわる価値観
かわる自分

(楠みちはる作『湾岸Midnight』VOL..28,pp156-160)」

最後までお読みいただきありがとうございました。

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