ジェンダー論(十牛図)

只の直感で書きますね。忘れる前に。
フェミニズムにせよ、マスキュリズムにせよ、
ゴールは何処で、いま何処にいるの?
という見取り図はあった方が良い、と思っています。
で、十牛図が使えるんじゃね?とふと思ったので、忘れる前に。
簡単に言えば
差別撤廃運動のゴールは「無分別」の世界なのだから悟りに至る道が使えるんじゃね?
という事です。

十牛図とは

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。 「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されている 。

十牛図自体は結構難しいので、以下の書籍をオススメします。ガチ勢は座禅か禅問答でお願いします。因みに自分は悟りとは程遠い場所にいますw。

鉄鼠の檻
京極夏彦の京極堂シリーズ第三作目。姑獲鳥の夏、魍魎の箱(漢字は難しい方)を読んでからの方が良いです。因みに京極の本はノベルズで出ていて「撲殺出来る本」として有名。結構分厚い。読み応えありますよ。因みに、これ1/4ってあるから、多分全4冊あると思われ。高いなおい。

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち
飲茶さんの本。東洋哲学が網羅的に語られています。十牛図は最後にちょっと語られていますが、「悟り」とは何ぞやが比較的分かり易いので、こっちの方が良いかも。

十牛図の構成

十牛図、というくらいなので、10枚の絵で表現されています。
というのも、悟りとは言葉でグダグダ語っても悟りには至らないので、絵で表現しましょ、という事(つまり体験無しには語れない)なので、基本、言葉は無駄です。経験で伝達する必要があります。なので本来なら言葉にした時点で野暮ってものです。

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①尋牛:牛を見つけに旅に出る。
②見跡:牛の跡を見つける。
③見牛:牛を見つける。
④得牛:牛を捕まえる。
⑤牧牛:牛を飼いならす。
⑥騎牛帰家:牛と一体となる。
⑦忘牛存人:牛を忘れる。
⑧人牛倶忘:みんな忘れる。
⑨返本還源:ありのままの世界が目に入る。
⑩入鄽垂手:悟りを開いた後。

⑩が非常に難しいですよね。一般には「再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある」と言われていますが、何か違くね?という直感です。個人的には、悟りを開いた後は、その人の在り方自体が周りを勝手に悟りに導く、と感じています。だから「世俗の世界」にいる事が大事なのですよ、というか、俗世の世界から脱する必要も無いと言うか。。難しい。

ジェンダーと十牛図の比較

さてジェンダーを十牛図になぞらえるとどうなるんでしょうか?というので考えて見ましょう。
牛を「ジェンダー平等」と言い換えると良いかも。後はこれをマクロ(共同体)で見るのかミクロ(個人)で見るのかと言う点があるかと。十牛図は悟りの話なのでミクロの話になりますが、マクロを語っても良いかなと感じています。ただ、やっぱり⑩は理解が難しい。

①尋牛:「ジェンダー平等」を見つけに旅に出る。
②見跡:「ジェンダー平等」の跡を見つける。
③見牛:「ジェンダー平等」を見つける。
④得牛:「ジェンダー平等」を捕まえる。
⑤牧牛:「ジェンダー平等」を飼いならす。
⑥騎牛帰家:「ジェンダー平等」と一体となる。
⑦忘牛存人:「ジェンダー」を忘れる。
⑧人牛倶忘:みんな忘れる。
⑨返本還源:ありのままの世界が目に入る。
⑩入鄽垂手:人々を「ジェンダー平等」へ導く必要がある

さて、こう考えると、⑩が目的地なわけで、その途中に⑧がある訳です。
そして悟りという点においては、

「仏教の修行は、悟りに捉われてはいけないし、悟りを開こうという思いに捉われてもいけない。さらには悟りに捉われないことにも捉われてはいけない」(正法眼蔵)

と言われており、これをジェンダーに当てはめると

「ジェンダーに捉われてはいけないし、ジェンダー平等になろうという思いに捉われてもいけない。さらにはジェンダーに捉われないことにも捉われてはいけない」

と言う事になるかと。つまり⑧を目指す修行という事かと思います。
そしてその後、⑨、⑩を目指す形になるかと。

今のジェンダーの位置

上記から考えると、いまジェンダーを叫んでいる人達というのは、恐らく
④得牛、⑤牧牛
辺りかな?と感じます。
つまり、未だジェンダーという檻に捕らわれている状態。
多分、自分もこの辺だと思います。

そして多分ですが、みんなが言っている「ジェンダー平等」って

⑥騎牛帰家:ジェンダー平等が当たり前

なんじゃないかな、という直感です。

因みに上野千鶴子氏が言っている「ジェンダー平等」は多分

⑦忘牛存人:ジェンダーという概念がない
人牛倶忘:自分もジェンダーも存在しない

じゃないかな、という直感です。

でも悟りで行けば、実はその先があります。

⑨返本還源:ジェンダーという檻がある世界
⑩入鄽垂手:ジェンダーという檻はあるが、それに捕らわれていない世界

つまりゴールは⑩です。更に言うなら、

傍から見て①尋牛と⑩入鄽垂手の人は区別がつかない

という事。これ、非常に重要です。

まとめ

ただの直感なのでそうかどうかは不明です。只の妄想と言われてしまえばそれまで。
ただ、一番簡単なのは「檻」を無くす事、つまり「全ての言葉を捨てる事」です。それさえ実行出来るなら、簡単に全ての差別は無くせます。それこそ1世代かければ確実に。
具体的には
本を燃やす、全ての記録装置を壊す、学校を無くす
とかとか。
ありとあらゆる記憶伝達手段を徹底的に無くせば、確実に差別は無くなります。これは断言できます。

ただ、それを本当に実行出来るかと言えば「例えどんな正論を持ってきたとしても出来ない」と思われます。根拠はありませんが。
だとするならば、東洋哲学的なアプローチもあるんじゃないかな?という事が誰かの何かのヒントになれば。と思いました。

何千年と「悟り」(=救済)を追求してきた仏教、そこにヒントがあるなら活用するのもアリなんじゃないかな?と。
それこそ世界で活躍している有名な人達(エマ・ワトソンとか)には出来ないアプローチだと思うので、価値はあるのかな、と思いますが、如何でしょうか?

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