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衝突する覚悟、嫌われる勇気

自分に正直に生きようとするとき、おためしのような出来事に遭遇する。

たとえば人と話していて自分の本音を言ったとき賛同してもらえない、
もしくは「それ違うと思う」と真っ向から否定される的な。

自分としては今まで隠していた氣持ちを表に出し始めたところなので

「大丈夫かな?」

という不安があり、それを見透かされ、つつかれている感じがする。

それが身近な人である場合、心の揺れは大きくて

「やっぱ私が間違ってたのかな?」
「私のわがままかな?」
「氣を悪くさせたかな?」

とひるんでしまう。

でもこれはテストみたいなもん。

誰に何を言われても

「私のホントの氣持ちはこうやねん。これでいいねん」

とありのままの自分でいることを自分に許可できるかどうかを問う試験。

目指す目的地は「ホントの私」という絶対安心の場所。

そこに向かうために日々訪れるテストに挑み続ける。

これが「生きる」ということではないかと思う。

そして自分の本音で生きるとき他者との衝突は避けて通れない。

その覚悟も必要だ。

意見が食い違うことで生まれる摩擦はあってあたりまえ。

だってみな生きてる世界が違うんだもの。

見ているものが、感じているものが違うんだもの。

そこを恐れるあまり自分を抑え丸くおさまるようにしていては自分なんて生きられない。

面倒はイヤだとか、争いは避けたいなんてきれいごと。

自分の言うことで人を傷つけるとか、傷つけれられるのがイヤだというのも他者と真っ向からぶつかることを避けるための言い訳でしかない。

要は嫌われるのがコワイのだ。

でもよく考えればわかること。

私が一番嫌われて困るのは「私」以外の誰でもないということを。

私が私の味方をしなくて誰が側にいてくれるのだろう。

そこを忘れてはいけない。


目の前の人は鏡というけれど私たちは周囲の人を使って自分の本音を知り、ホントの自分に還っていく。

大切なのは私が私でいることだけ。

相手の言葉に惑わされず、自分が自分の中心にいられるとき私たちは絶対的な安心を感じられる。

衝突してもいい。
嫌われてもいい。

あなたがあなたでいる限り何があっても大丈夫なのだから。


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