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2022年の果て

湯河原惣湯。存在は知っていたけど、とある取材で建築を担当された岡さんと出会い行くことを決意。

自分にとって今年は色々なことがあった1年。年末の振り返りも兼ねて、一人でリトリート。

ちゃんと振り返ろうと思ってもなかなか振り返れなかったりする、一人の時間をとろうと思ってもとれなかったりする。

そんな自分にとってはすごくいい機会だった。

前日夜は寝付きが悪くて、絶対電車で爆睡しようと思ってたのに、例のごとくTikTokで時間を溶かした。幸先が悪い。


到着して少し山道を登る。ちょっと写真を撮りたい気持ちもあったので朝イチの予約にしたけど、それが正解だった。

日曜朝の万葉公園は人が少なかった。

受付を済ませ、まずはひとっ風呂。「貸し切りやん」と思わず声が出た。墨色の美しい建築に囲まれ、川のせせらぎを聞きながらお湯につかる。
そうそう、こういう風呂に入るために風呂に入る、そんな時間が欲しかった。

サウナもあった。少し気温が低いように感じたのは、椅子が一段しかなかったから。ロウリュもない。
「この温度ならロウリュが欲しい、あのスチーム感が欲しい」と思ったときにハッとした。

「常に何かを足した状態で過ごしてしまっているのではないか」

山道を登る時、ふとAirPodsを外した。なぜか自然の音を聞いてみようと思ったのだ。自分の呼吸と、川や風の音。聞こえないけど朝日の音も、イヤホンがなければ聞こえる気がした。

音楽は間違いなく自分の人生を豊かにしてくれているが、それも何かを足した状態ではある。

思えばここ数年は、常に何かを足してきたような気がする。
足したり、かけたりして大きくなれた部分はもちろんある。

そして2022年は、それがなくなったり、減ったりした一年でもあった。
今まであったものが、なくなったり減ったりすることは、怖いし寂しい。

でもそもそもの状態や、そのない状態って本当に満足できない状態なのだろうか。

あることで満足する自分、ないことで不安になってしまう自分、まずはそういう自分の状態に気付く。今はそれが大切なのかもしれないと思った。

まさかサウナの温度で、こんな気付きを得ると思わなかった。さすがサウナ。

その後もう一度、湯船につかった。
太陽の光が湯気を照らし、粒状の水蒸気がしっかり見える。

湯気なんて、白いきれいな気体くらいにしか思っていなかったけど、よく見たら水の粒たちなんだよな。
こういう小さなこととか、当たり前のことに気付いて、そのよさを感じられる自分でいたいと思った。

こんな風に思考が研ぎ澄まされてしまったものだから、この時点で大満足。
目玉のランチを口にする前に、すでにもう一度来ようと決意していた。

湯河原惣湯には、Books and Retreatというタグラインがある。
年に1~2冊しか本を読まない自分は、リトリートメインで訪れたのは言うまでもないが、風呂上がりに何故か本を読んでみようという気になった。

きれいに陳列された本の中で、特段自分の目を引いたものがあった。
深澤直人さんの、「ふつう」という本だ。

「ふつうってなんだよ…」と気になってしかたなかった。陳列されたすべての装丁を見てもそれに勝るインパクトはなく、「ふつう」を手に取り、自分にとってあまり「ふつう」ではない読書という行為に及んだ。

読みやすさがデザインされたような「ふつう」という本は、読書が苦手な自分にとって最高の一冊だった。(帰ってきて買った)

日常のふつうに気付くこと、ふつうの良さ、心地よさを認識すること、それが自分にとって必要なことだったのかなと思うと、まるで自分が風呂で妄想していたことを知っていたかのようにこの本に引き寄せられたことが不思議でたまらなかった。ご縁だ。

もうここまで来ると自分のテンションはもはや最高潮で、ランチを食べる前にお腹いっぱいだった。(もちろんガッツリ食べた)

今日は絶対にノンアルで…と思っていたのに、気付いたら自分の口から「ビールでお願いします」と出ていた。これが一番怖い。

月毎に料理が変わるこちらのランチ、献立表の小さな紙には「果ての月」と書いてあった。

果ての月という表現があるのかという驚きと、自分は果てに来たんだなと思い、またも感動を覚えた。

残りの時間は、個室を借りてみたりして、更に集中した時間を過ごした。スマホ依存症である自分が、こんなにもスマホをいじらずとも平気だったことは初めてかも知れない。最高の5時間を過ごした。

そしてその後、奇跡がおこる。

「先ほど隣にいた者です。この後予約制の骨董屋さんに行くのですが、よかったらご一緒しませんか?」

とDMが来ていたのだ。ボサボサの髪のまま全てに興奮しながら過ごしていたので、恥ずかしさ極まりなかったが、こんな誘い方してもらえることも、そんな奇跡的な出会いもないと思い、二つ返事でOKした。(共通の友人が多く、前々からフォローしてくれてた人だった)

いい日を過ごし、いい人たちと出逢えた。こんなにも幸福で「ふつう」ではないことがあるだろうか。いや、いい日を過ごすことも、いい人たちと出逢うこともそれだけ見たら「ふつう」なのかもしれない。その「ふつう」を噛み締めたい気分だった。


2022年は、動きが多かった年。湯河原惣湯という素晴らしい場所に助けられながら、年末らしい年末を過ごせた。
誰かに付いて行くのではなく、自分の意思で訪れたい場所。

日常にあるふつうに気付き、それを噛み締め、大切にする、そんな人間になれるよう来年も精進していきます。

新たな一歩も踏み出す予定です。

少し早いけど、今年もお世話になりました。いつもありがとうございます。

河野涼

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