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山田洋次 息子

人生観に影響を及ぼす本とか映画というのは、誰にでもいくつかはあると思うが、この「息子」は私にとってその中の一つだ。1991年公開であるが、私がこの映画を初めて見たのは1993年の暮れだったと思う。大学受験浪人時代の当時、勉強ばかりしていた中で、数少ない気分転換が近所のツタヤで借りてきた映画のビデオを見ると言うもので、毎週末に最低一本は見ていた。かなり古い名作も見たりしてたため、この浪人時代は勉強以外の人間的成長が完全停止状態だった中で、映画を見る目は少し肥えたと思う。でも、大学に入ったら趣味:映画鑑賞とか言ってる連中のレベルが凄すぎて、とても映画鑑賞が趣味とは言えなかった。履歴書の趣味欄にも「趣味:映画鑑賞」と書いたことも無い。

今はそうでもないが、私が高校とか大学の頃は、日本映画(邦画)など金を払って見るべきものでは無い、と言う風潮があった。邦画の地位は極めて低く、高校時代や大学時代、邦画を映画館に見に行くなどと言う行為は信じがたい愚行と言うイメージがあり、私自身も高校時代に邦画を映画館に見に行ったことなど無かった筈だ。それを変えたのが浪人時代で、洋画だけで無く邦画を週末に借りて見ることで、大学に入ってからは周囲の雰囲気をよそに、邦画も結構見に行った。当時、私のこの行為はあまり理解されなかったが、でもそんなのカンケーねえと思っていた。面白いものは面白いのである。山田洋次監督の映画もその後かなり見た。幸せの黄色いハンカチとか学校とか、どれも人生を考える上で素晴らしい作品ばかりだったが、一番好きなのはやっぱりこの「息子」だと思う。

私の中でこれ以上絶対失敗したくないと言う大学受験直前となる1993年の暮れ、ツタヤで「息子」を手に取った理由は全く覚えていない。この作品自体は評価が高かったので、見てみようと思った、だけかと思う。

「息子」は三國連太郎演ずる、岩手の農家を守る父親に、二人の息子と一人の娘がいるという設定で、二人の息子は東京に出ていて、娘は地元に嫁いでいる。息子二人は対照的で、長男は都内の大企業に勤めるエリートサラリーマン風であるが、次男は定職に就かずに都内でフリーター生活をしていると言う設定だ。この映画が撮られた時代も映画内の背景もバブル全盛の頃であるが、物語の性質上(多少あったが)あまりそれを感じることは無い。この中で次男は若き日の永瀬正敏が演じており、永瀬正敏はこの作品で数々の映画賞を総なめにした。

物語は新宿の居酒屋に勤める次男が、明け方までバイトをしていると言うシーンからスタートする。明け方にバイトから帰った次男は、その日にあった母の一周忌に出るため、岩手に帰郷し、親戚一同と岩手の夏を過ごすと言う第一部、居酒屋バイトを辞めて尾久(上野の一つ先の東北線の駅)の鋼材ストック屋で肉体労働の職を見つけて働く第二部、そして父が東京に暮らす二人の息子に会いに来る第三部と続いていくと言う構成だが、第二部では次男の恋人(そして将来の妻)となる役柄で和久井映見が出てくる。この映画を見て、私は永瀬正敏と和久井映見のファンになり、永瀬正敏や和久井映見の出ている作品はその後よく見た。和久井映見もこの作品で数々の映画賞を受けることとなった。それ程、彼らの演技は素晴らしかった。

1993年にこの映画を家で初めて見て、見終わったときの感想は、

「大学に行くことで幸せが得られる、と言うことでは必ずしもないんだな。」

だった。大学受験直前で。

こんなことは当たり前のことで、当時の私ですら理屈では思っていたことだが、学力があるならなるべく名門大学に入って、社会に出る前にしっかりした基礎を作るのが大切だと、当時は平凡に思っていた。だから、この映画を見て、幸せってのは何なんだろうな、と考えることになった。この映画で永瀬正敏演ずる次男である哲夫が、和久井映見演ずる征子と幸せになっていくこと、東京でフラフラと定まらない生活をする哲夫を、心配し続けてきた父親である三國連太郎が、哲夫が征子と幸せになるのが嬉しくてしようが無いと言うこと、この様子を見て、こう言う人生があるんだ、としみじみと思った。

これによって簡単に人生観が変わって、大学に行くことをやめた、と言うこと無かった。その後受験に向けての勉強に気を抜くことは特に無く、第一志望は滑ったが私は大学に合格して入学し、大学院にまで行って、普通に就職した。これは「息子」における長男の人生に近いのであるが、大学に入った後も会社に入った後も、たまにこの「息子」を見ては、次男哲夫の人生に生きていくことの意味を考えたものだった。

人にはそれぞれの幸せがある。人は他人のことを気にすることがあるから、他人と比較して自分の幸せを計ることがあるかも知れない。これも幸せを理解する上での一つかと思うが、「息子」を見て思うのは、こんな表面的な比較を通じた幸せじゃなくて、人それぞれが自分で感じる幸せとは何か、であると感じる。そして、ある程度厳しい境遇にいても幸せを感じている人は、恵まれている境遇にいても幸せを感じられていない人よりも、やっぱり幸せなんじゃないかと、ここに至って実は幸福と言うのは比較出来る、と言うのも感じる。

因みに、以前この映画を見たとき、永瀬正敏の兄役である、長男の生活に幸福を感じていなかったが、今見るとそう単純には思わない。長男だって、奥さんと娘二人を持って、幸せに暮らしてるじゃ無いか、と今は普通に思う。

あと、これまで何度も見てて感じなかった良かった点というか、何となくじーんときた点は、哲夫が職場で汗水垂らして一生懸命働いている、と言うところだった。征子との接点が出来たのがこの職場だったのだが、職場の人たちと仕事を通じた絆を深めているところが、何だか新しく「良いな」と思ったことだった。

こういう風に、同じ作品でも年を経ると違ったり新しい感想を持ったりする。

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