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たとえどんな犠牲を払ってでも。ないものねだりの話

たとえどんな犠牲を払ってでも僕はーーーーーーーーーーー

むかしむかし、そのまた昔。
私はこの表現がとても好きだった。

この表現は英語の"at any cost"を日本語でいうと、そのような訳になるのだけれど、少なくとも私の周りではこのような表現に触れることは殆どなかったし、そういう感情を持てる程の好きなものが見つけられなかった。

当時の私は、好きなものなんてゲームとアニメくらいしかなくて、成績は中の中。体力テストは上体起こしがあまりにもできなすぎてC。持久走と水泳のクラスはA。なんともアンバランスだ。

中学生で英検準二級を取ることができたけれど、学校の英語の成績はそんなに良いわけではなかった。
ALT講師の先生と会話する時、必ず趣味について聞かれることが多かった。それが本当に苦手だった。好きなものなんて思い浮かばなかったからだ。

でもそれは嘘だったのかもしれない、今思えば好きなものとかやってみたいことには溢れていたのに、「どうせ自分なんて」という自己肯定感の低さと自分の周囲の環境が自然とそうさせた。

ザ昭和の価値観の先生たち。わかりやすく成績が良くて笑顔を向けることができて、顔が良ければ大切にされる。もしくは絶大にやんちゃでやらかせば、問題児として丁重に扱われる。その他大勢は取るに足らぬ。

もちろんそんなことはなかった、今になって冷静に思えば、そう思える人も中にはいたけれど、当時は「男子からいじめられないように生きる」、「自分の身は自分で守る」それが精一杯だった。

全てが終わって家に帰れば、喧嘩ばかり。そんなものは意味がないから辞めなさい。何度言えば分かるの。どうせお前には何もできない。ずっとそう言われてきたら、そうだと思ってしまう。

たとえ具合が悪くても全部自分のせい。日頃の行いが悪いから。

もし、自分に子どもができたら、そんな思いだけはさせない。絶対に。

そんな環境下だったから、好きなものは黙っていた方がいい。大切なものを守れるのは自分しかいない。日本の思春期における「出る杭は打たれるから生きてる意味なんて、」まさにそういう考えに自然と至ってしまうような環境だった。

でも幸運なことに私はそういう考えには至らなかった。家に着く前にい見上げる空がとても綺麗だったから。中学校の期間だけは、他人の目を気にして頑張ったおかげで、友人に恵まれて。

週末のカラオケや部活がない日の放課後など、好きなものを共有できる人たちとは、とことん時間を一緒に費やした。

人が羨む青春なんて、偽りと裏切りと忍耐だらけの産物だと私は思っている。ほんの一握りがその幸運を享受できる。それは努力ではなく、運で得られる産物だ。

それを人は偶像のように輝くものとして映像作品に落とし込んだり、物語を書いたりして、思いを昇華させようとする。

それを夢見て、己の学生生活を悔いて、そんな偶像を心から羨ましがれる人たちがいっそのこと羨ましく思った。

今となってはどうでも良いことだけれど、みんな結局のところ、ないものねだりをしてしまう生き物だと私はそんなふうに思う。

「たとえどんな犠牲を払ってでも〜を成し遂げて見せる」

そのせいかなのか、なんなのか分からないけれど大人になってからもこのフレーズは頭にすぐに浮かんでくる。

それほどまでに何かに情熱を傾けて生きることができていたら、今頃自分の人生はどんな風に変わっていただろうか。

過ぎた日々のことを考えてもしょうがない。けれどこうやって考えを文字にすることは苦でもないし、いっそのこと楽しい。

そうやって日々を楽しみながら、まだ見ぬ世界を見てみたい。今好きなものは音楽と文章と写真と詩。アートも好きだし映画も小説も好きだ。

今度は消費するだけでなく、作る側にまわりたい。狂ったように時間を使える何かに出会いたい。心の底から一緒に笑える人と出会ってみたい。

人間結局のところないものねだりだから。せめて、羨ましいと思ったり自分を恥じるのではなく、これからをどうしていきたいのか考えて、考えながら動いて日々の喜びだけを抱きしめていきたい。

かつての友に言われて、すごく傷ついた言葉がある。お前はそうやって自分に酔っているんだけなんだよ。本気で傷ついたし、腹が立った。でも今は。

この世で自分に酔っていられるのなら、それは最も幸せなことなんじゃないかと思う。

人を傷つけることなく、自由に生きて。自分が一緒にいたいと思える人と笑う。ただそれだけのために生きて笑って。

そのためにもまずは、好きなことをしなきゃね。
ないものねだりの人生だからせめてさ。

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