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今を生きるから断捨離しよ。

最近、なんだか部屋の片付けをしたい気分だ。

もちろん日頃から片付けはしているけれど、いかんせん物が多いコレクター気質だったから所謂思い出とか宝物のようなものが部屋中に埋め尽くされている。

過去形なのは、それを手放そうと考えているからだ。

高校2年生から使い始めた紙のスケジュール帳は全て保管している。日記のようにほとんど毎日予定を書いて使っていた。そうじゃない年もあったけれど、それでも捨てないつもりでいたから、その日に撮ったお気に入りのプリクラや映画の半券などが貼られている。
その映画の感想はなんとなく覚えているけれど、共に行った人とどんな会話を重ねたのか、覚えている作品は数少ない。

昔、授業でフランス語を習っていた。文法は全くと言って良いほど理解できなかったけれど、それでも会話は楽しかった。シチュエーションに合わせてキャラクターやストーリーを考えて実際に演じる。演技というにはおぼつかないくらいにカタコトでもはや暗唱に近いようなものがあったけれど、面白かった。そういう授業は好きだった。レジュメとテキストは今でも保管してある。フランス語や文化について教えてくれていた先生は全員で4人いたけれど、コロナ禍よりも前に2人亡くなってしまった。あとの2人のことはもう分からない。

亡くなった2人は、とにかく優しくてフランスに恋焦がれているような人たちだった。放っておいたら24時間語れそうだし、常に笑顔と幸せを湛えたような人たちだった。死ぬまで現役だったと思う。そして愛情深い人たちだった。そんな風に思う。今でも。残るのは悲しさというよりも驚きと彼らがくれた知識と情熱だった。彼らの次の人生があるとしたら、きっとフランスに生まれるのだろう。そうであってほしい。

そんな思い出が語れるくらいには、保存してあるテキストや資料がいくつかある。正確にはそこそこまあまあある。

海外のインターンシップで学んだ資料も山ほどある。そこではチームワークと協調性を学んだ。あれほどまでにチームワークや連携が取れていて慈愛に満ちた職場は見たことがない。頑張って頭下げてでもそこに就職すればよかったのかもしれないけれど、当時の私はすこぶる自己肯定感が低く、それを望まなかった。人はあまりにも自信がないと理想の居場所を心から望めないのだ。人間そうやってできていることが多い。

残念なことに社会人になってからそう言った職場に出会うことはできていない。友人から見ても、本当いつも苦労しているね、と言われるし、かわいそうだと言われる。でも、小中高となんであいつばっかりと疎まれて居場所を奪われるようなことはないから、感謝の心は持っている。

そんなこんなで学生時代の思い出や資料はたくさん残っている。宝物みたいな日々だった。日々が愛しかった。終わりが来るなんてわかっていたけれど考えられなかった。一生モラトリアムなのかも。

でもそろそろ、それらの書類を処分しようと思う。別に何があったわけでない、全くなかったと言えば嘘になるけれど、これから先の未来に持っていく必要はない。

時折懐かしむ必要があるかもしれないけれど、それでもスペースを開けないと本当に欲しいものは手に入らない。今はそんな気分だ。

それに何より、そんなものがなくたって大事なことはこうやって文字にして、いつでも書き綴ることができる。

もし仮に全てをキレイに忘れてしまったとしても、本当に大切なことは思い出せるようになっている。最近そんなことに気付かされた。

手放すことも未来の自分のために必要なのだと言い聞かせて、思い切って処分しようと思う。
せっかくだし、大事なものはデータ化でもしておくかという現代技術の保険を横目に。

大好きだった過去、思い出たち。ありがとう。

迷子みたいな今。ずっとそのままでいるわけにはいかないから。

今を生きるから断捨離しよ。
みなさんならどう思いますか?

今年は実りある良い年にしましょう。

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