シビれました。経営の哲学を学んだ一日。
こんにちは。あずまです。
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昨日はマジでシビれた1日だった。
という振り返りから今日のnoteは始まります。
さて昨日、某県の某酒蔵に訪問してきましたよ。
そこでの話を書きたいと思います。
(シークレットな部分もあるので一部になります。すみません。)
僕自身は経営者ではありませんので、あくまで一般人の立場として書きますね。
❶その方のどこが「スゴい」と感じたかについて
まず、その経営者の方のどこがリスペクトできたかと言うと、言葉の隅々から、ご自身の経験に基づいた話をされていると感じた点です。
言葉の端から端まで何の偽りもない。自分が今まで経験してきたこと、考えてきたことに基づいて話されているなと直感で感じ取りました。
そこに世間体「こう話せば好かれる」とか「こう話した方が美しい」とか見繕った表現は一切存在せず、自分の信念に従って行動されていることが肌感覚で伝わってきました。
❷実は雇われ社長だった。
実はその方は雇われ社長です。親会社が別で存在し、親会社の酒造事業部として機能しています。ゆえに、酒造会社という表現よりも、酒造事業部という言い方の方が正しいかもしれません。
親会社が存在するということは、自分は「雇われ社長」になるということです。雇われ社長になるということは、親会社の意志の元で経営を行うということです。つまり自己決定権が通常の株式100%の経営者よりもはるかに弱いのです。
❸だからスゴイ。肩書きなんてどうでも良いんだと。
でもその人は自分が「雇われ社長」であることに対して、何の文句もコンプレックスも持っていないそうです。
なぜですか?
「雇われ社長」というポジションは本人は気にしてさえない。どうでも良い。
つまり、肩書き(つまり周りからの見え方)など彼にとってはどうでもよく、「自分が船長を務める○○酒造(事業部)という船に乗ってくれる仲間(従業員)を幸せにする責任がある」という考えでいらっしゃいました。
その覚悟は自分の立場が「雇われ社長」であろうが何であろうが変わらない。自分についてきてくれる人たちがいる以上、その人たちを幸せにすることが自分の使命だと深く自覚されているのです。
普通ありえないですよね。徹底的にGIVER精神を感じました。
❹その方の考え方に感動した。
従業員の幸せを実現することが自身の責任であり、そこに対する妥協は一切しない。ずーーーっと会社のことを考える。逆に「世の中の経営者は何目指してやってるの?」とまでおっしゃっていました。
利益が出る体制をひたすら考える。逆に利益が出ないことは一切やらない。
そして、完璧なビジネス設計で得られた利益を従業員に還元する。
↓
従業員が満たされ、それが従業員の働くエネルギーになる。
↓
このプラスのエネルギーは従業員の生産性向上につながる。
↓
生産性向上が会社の発展に大きく寄与し、利益体制が盤石になる。
↓
そしてそんな会社で造られたお酒が美味しくないはずがない。
こういう考え方のように解釈しました。
❺ある種の経営に対する覚悟と責任、胆力だと思った。
製品化前のテイスティングは必ず自ら行うそう。そしてOKが出るまでひたすらタンクに戻し瓶にお酒詰め直し・・・を繰り返す。
それが商品、つまり会社の利益の根源に対する責任。従業員とその家族を背負うという経営者の覚悟の表れでもあるなと。
従業員に責任転嫁し、我関せずな経営者とは違います。責任はあくまで会社の経営者にある。それが経営者であることの責任だと。経営哲学です。
まだまだたくさん学びました。これはお酒に関わらず、すべてのビジネスに通ずると思います。
肩書きに囚われない。自分についてきてくれる従業員を幸せにしたい。そのために経営者自らが責任をとる。還元する。大切にする。
このサイクルが仕組み化できている組織が世の中どれだけあるか。
本当に昨日は勉強になリました。
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