新訳『イワンの馬鹿』

時々、こんなふうにピタリとタイミングが合う、ということがある。

午前中の会議でもうまく思いを伝えきることができず、その後の打ち合わせでもやはり自分の思いは伝えきれなかった。

ダメだなぁとしょんぼりしていた。
お金をいただいて会議に出ていて、こんなことでは本当に申し訳ないし、情けない気持ちでいた。

でも、しょんぼりしているだけでは仕方ないので、先方に連絡し、詳しく意図を説明した。本来、そんなのプロ失格なのだけれど。

だけど、やはりこのままでは終われないと思うからこそ、しっかり伝えさせていただいた。きちんと受け取ってくださった旨の返信に、心から感謝する。

その後、短い時間で、雨の降る中、緑が覆うとても素敵な古民家カフェへ。

つい先日、原美術館の解体のお知らせが流れてきて、やるせない気持ちに、なっていた。なんとか遺す方向で保てなかったか。税金や維持費が重くのしかかる。

そんな気持ちを深めていたのは、
映画『椿の庭』
https://bitters.co.jp/tsubaki/

を見たからでもある。

あまりにも美しい庭の風景と、失われていくものと人とを静かに描いた作品。最後の建物を壊すシーンが残酷だ。(お話の世界では壊されてしまったが、現実はあのお庭やお家が存在していると思うと安心する)

建物に関しては税金の仕組み自体が変わらないと、次々と壊されていく様を変えることは難しいよな・・・とは思う。

このどちらもの古民家のように、こんなふうに、形を変えて、残っていくとよいな・・・。

携えていたのは、トルストイの『イワンの馬鹿』。

まさしく、形を変えて語り継がれるべきもの。新訳(小宮由さん訳)として、語り継がれたもの。

美しいなーと思う。
お孫さんである小宮由さんのご祖父様である北御門二郎氏が『いつの日か私の訳を凌駕する良心的な翻訳が出現するのを「大旱の雲霓を望むが如く」待ち望んでいる』と書かれたそのイワンの馬鹿をお孫さんが訳した、という。

ここにも書いたのだけれど

どれだけ素晴らしいものであっても、読みにくい文体であるということで後世の人が読まないのだとしたら・・・それをいまの子ども達、今の世の人たちが読める文体にする、というのはとても価値のあることだと思う。

あ、森鴎外×星新一×小金井貴美子さん×星マリアさんのことでも、同じこと書いていたっけ。よほど私はこのあたりのことに思い入れが強いらしい。

そっか、「難しいことをやさしく。わかりやすく。」は私の大事な仕事、だものな・・・。

話は戻って。それにしても。ご祖父様の北御門二郎氏が、晩年まで芽が出なかった話がとても刺さる。上手くいかないことも多々あるけれど、諦めず愚直に進むことこそ道を拓くことになるだろう、と。

そうこうしていたら、ゆっくりとゆっくりと力がわいてきた。

信じた人々にちゃんと気持ちを伝えられたから?
美味しいケーキのお陰?癒やしの古民家のお陰?
報われないと思える日も後で振り返れば通過点の一つに過ぎないから?
本の手触りがあんまり素敵だったから?
本の世界に没頭できたから?

どれも正解。

肌触りが良くて実に美しい装幀の、そしてハンス・フィッシャーの挿絵が素敵な、素晴らしい本。新訳も、すっと入ってくる。

雨と読書は、とても相性がいい。


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