一時間に一本のタバコ、一杯の酒、一杯のコーヒー。ひとつの哲学。

「普通の人はこいつを一時間で飲むんだよ」

お代わりのスコッチを差し出しながら、マスターは言った。
最近飲み過ぎての失敗が多いから、たしなめたかったのだろう。

正直弱い方ではなくて、一時間で3-4杯飲んでも休めばすぐ回復するのだけれど、ダイエット中だったり、ストレスが溜まっているとまわりやすくなる。
他人に絡んだり暴れたりすることはなく、自暴自棄になる感じ。谷底に落ちたことはないが、崖っぷちで片足を踏み外したことぐらいは何度かある。

「お酒に対して失礼な飲み方しちゃダメだよ。女の子にもね」

飲もうとしたミズナラを横から奪ってすする彼女は微笑んでいたが、眼は本気だった。
僕の歌姫は、いつも本気だ。彼女なりの仕方で、この上なく誠実だとすら言える。

片手でグラスを受け取り、片手で彼女の肩を抱く。

「here’s looking at you, kid!」
「kiss is not a kiss without your sigh」

乾杯の代わりに軽やかで冷たいキスをして、彼女はステージに上る。
唇に残る甘いウイスキー混じりの接吻の薫りを舌先で転がしながら、僕は店を出た。

次に訪れたバーではまずテキーラ好きのバーテンダーと一緒に駆けつけ一杯を煽って景気をつけてから、ブランデーを頼んだ。

実を言えば、酒よりも葉巻を味わいたかった。彼女はタバコが嫌いで、隣で吸わせてくれないのだ。
この前別のバーで久しぶりに吸って味をしめ、自分で買うまでしていたので、いい機会だった。

チューブ型の缶に入った、吸い口を切ってあるリーズナブルなタイプだが、シガーはシガーだ。
バスコ・ダ・ガマという葉巻で、あとから知ったがラムのバルセロ・インペリアルで薫り付けしているものだったらしい。

葉巻特有の、奥行きのあるほの甘い薫りがする煙を鼻の奥で燻らしながらカミュを口にふくむ。
いつの間にかバーテンダーと興じていたポーカーの役を考えていると、ちょっとした命題、というか警句が思い付いた。

一時間に一杯の酒、一本のタバコ、一杯のコーヒー。ひとつの哲学。

昔から生き急いでいるというか、せっかちだから、好きなことでさえも早く「終わらせて」しまいたいと考えがちだ。
酒を飲むのも早ければ、タバコを吸うのも早い。
本を読んでいても人の話を聞いていても、「結論」とか「オチ」を急ぐ。途中で読めてしまうともう先を読まない(聞かない)。

多分、本質的には「働き者」なんだと思う。
「働かされる」ことや「無駄に働く」ことがイヤだから働かないだけで。

そういう意味では、まだまだ遊び足りないのかもしれない。

葉巻は一本吸うのに一時間くらいかかる。
またそれぐらい吸いつくすと、火が口元に近づくにつれて変わる風味の変化が面白かったりする。
葉巻と一緒に一杯、上質な酒を啜りながらゆっくりと話したり、ゲームをしたりする。
学生時代にビールとシガレットでやっていた丁々発止の切り返しのような議論というよりは(それはそれで是非とも必要なのだが)、ゆったりとしたテンポの談笑を。
そういうゆとりが持てることが、「大人」なのかな、と。

さて、僕の手はフルハウス。
なかなかの名手、これは負けないだろう。

「上手い! でもゴメンね~」

笑いながらバーテンダーが出した役は、ロイヤルストレートフラッシュだった!

約束した通り、彼女にテキーラを一杯ご馳走し、僕も一杯頼む。
乾杯した二秒後、空のグラスをカウンターに置くのと、ドアが開くのがほぼ同時だった。

「酒にも女の子にも、失礼なことしないでって言ったでしょ?
 例のお茶淹れてるけど、来る?」

一時間に一杯の酒、一杯のお茶、一人の女。
ひとつの哲学。

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