The Seven Year Itch

三年前の十二月、静かに降り積もる雪の中で抱き合った夜を、いまだに覚えている。

都内で働き始めて一ヶ月ほど経った頃、仕事帰りにふらりと寄ったバーに、彼女はいた。
以前南の島の居酒屋で働いていたのが最近東京に移ってきて、バーテンダーの修行をしているらしい。

「お互い新橋一年生、頑張ろうね」

そんな冗談を言って励ましてくれる年上の「同級生」と飲む酒のおかげで、単調な仕事ばかりの毎日を何とか生き抜くことができたのだった。

恋、ではなかったと思う。

出会った頃は下心もあったけれど、付き合いを重ねていくうちに、違う感情を抱き始めた。

ある時は「お姉さん」、ある時は「同志」。
月並みな上に都合のいい言い方だけど、そういう人だった。

例えば彼女と二人なら、未開の荒野、道無き道へでも踏み出せる気がした。
それはただ愛しているからだけではない。
もしパートナーの僕が倒れても、一人で帰還するか旅を続けるかして、必ず生き残ってくれる「強かさ」があると思うからだ。
(「お姫様」は、城の中で歌や踊りを楽しむか、石畳の道を馬車でエスコートしなければならない。優劣ではなく、関係性の違い)

そんな彼女に「別れ」を告げられたのは、秋も深まった枯葉舞う季節のある夜だった。
東京を離れ、故郷に帰る、と。

いつかは当たり前のように訪れる別れ。
分かってはいたし、受け入れるしかないのだけれど。
新しい道を歩む彼女に付いていって支えてあげることも、自分だけの道を一人で歩き出すことも出来ない僕は、毎日のように飲んだくれ、毎日のように泣いていた。

そう、あの夜もそうだった。

「最後に一杯、飲ませてもらうね」

飲んでいるうちに抑えられなくなった涙を見ない振りして彼女は、さりげない笑顔で言った。

「そういうところ、すごく好きだよ」

媚びない可愛げというか、この人には本当に敵わないなと、心の底から笑うしかなかった。
涙は、いつの間にか消えていた。

「じゃあ、またね」

店の前まで送ってくれた彼女に、作り笑いをする。
ゆっくり落ちる雪にドアの横の照明が反射して、深夜だというのにやけに明るかった。

彼女がどんな顔をしていたか、実はよく覚えていない。

よく見る間もなく、堪えきれず抱きしめていたから。

初めて腕に抱く彼女は思った以上に柔らかく華奢で、思った以上に芯が強かった。

「ありがとう」

彼女の別れの言葉を思い出しながら、僕はタクシーの中で泣いていた。

映画好きの彼女が僕に薦めてくれた監督に、ビリー・ワイルダーがいる。
(旅好きでもあっていろいろ薦めてくれたけれど、出不精でなかなか行けないでいる)

僕は古い映画が好きなのだけど、昔は頭が固くてコメディをあまり見なかったので、不勉強ながらこのオーストリア出身らしい軽妙洒脱な映画作家を意識して見ていなかった。
しかし彼女に教えてもらったおかげで、ハマることになったのだった。

また、現代でも有名な大女優の出ている作品も多い。
今思い付く限りでも、こんな感じだ。
(実際はもっともっとあるのだが、見たことがなかったり、忘れいたり…)

『昼下がりの情事』オードリー・ヘップバーン
『情婦』マレーネ・ディートリヒ
『七年目の浮気』マリリン・モンロー
『お熱いのがお好き』マリリン・モンロー

僕の好きなイングリッド・バーグマンとグレース・ケリー、二大ヒッチコック女優はワイルダーの監督作品には出てないようだ。
契約上の問題なのか、作風の問題なのか…
ちょっと残念な気もする。

しかしヒッチコックもワイルダーも、僕のイメージでは自分のスタイルを確固として持っていて、「ハズレがない」映画作家だなという印象だ。
もっと研究して、記事の一本でもひねり出したいものだ。

…という話を聞いてもらいながら一緒に酒を飲んでいるのは、転校したはずの「新橋同級生」だったりするのだから、人生面白いものである。

七年目の「こそばゆさ」、だろうか。

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