【私小説】美少女戦士だった小4の私は、目の前の『悪』について考える。
注意:私の子供の頃の体験談(実話)なので、胸のすくような結末は特にありません。あらかじめご了承ください。
1、小4の私
私が小学4年生の時、女の子の友達も男の子の友達もいっぱいいた。
2歳年下の妹では、もう遊び相手には不足で放課後になるとクラスメイトとばかり遊んでいたからだ。
多くは近所の神社の境内でバドミントンをしたり、河原の近くのサイクリングロードでローラーススケートをしたり、川で釣りもした。
川で釣りをするなどというと、どこか牧歌的な感じもするがその当時、住んでいたところは、東京都の隅の方の市だ。
私は、長女と言うこともあり少し姉御肌だった。
運動神経はよく、お転婆でお節介焼き、それでいて正義感が強い性格だった。
男子が女子を泣かせていると、必ず呼ばれて矢面に立たされることも多かった。
とはいえ、男子にウザがられるということもなく、よく遊びに誘われた。
たぶん、昆虫を怖がらず、釣りの餌のワームも自分でつけられたからだと思う。
大人になった今では気持ち悪くて到底できやしない。
けれど、今では決してできない色々なことが、子供の頃の私にはできていた。
2、ローキックは誰の為?
私はその頃、刑事ドラマや時代劇、そしてアニメの正義の美少女戦士に憧れていた。
可憐な女子でいながら、正義と愛を貫くヒロインを模し、私はいつもスカートを翻し駆け回り、ローキックを繰り出していた。
暴力はよくない。
分かってはいるが、誰も反撃しなければそれがいけないことだと分かってもらえないから仕方がない。
大人しい女友達が意地悪な男子に泣かされたら?
スカートめくりをされたら?
男子に、突き飛ばされたり蹴られたりしたら?
それは、やり返すのは当然だと私は思っている。
復讐というわけではない。
少し乱暴な男子は、ほとんどがそれをされたことがない子が多い。
特に、女子はやわっこくてやられると痛いんだと言うことを、反撃と言葉で突きつけてやる必要がある。
だから、私のローキックは自分から放つことはなく、あくまで反撃のためだけだった。
そういう態度のせいか、私は気がつけば女友達からはリーダー扱いされ、男子からはあまり女子扱いされない男友達枠のようになっていた。
*
小4女子の私は、なぜか頻繁にローキックを繰り出していた時期がある。
誰に?
何のために?
疑問に思うのはもっともだと思う。
小4にもなれば、女の子はもっと大人っぽい。
女子同士で群れになって遊ぶし、おしゃれにも気遣う。母性もあって小さい子の面倒を見たりもする。
男子もそうだ。興味のある女子にいたずらをしたりはするが、取っ組み合いのような喧嘩は、そうそうない。
大半は、暴力は悪いことだと分かっているし、私もできればしたくない。
けれど、そうせざるをえない事情がひとつだけあった。
*
それは小4の時に、転校してきたある男子のせいだった。
そいつは杉田といい、割と背が高くハンサムだった。
頭も大変良く、お受験の勉強をすでにしているとかで、もう中学生の勉強をしているということだった。
授業中に『因数分解でやった方が簡単だ』とか、その時の私には理解できないことを言っていた。
別に頭がいいのはかまわない。それを鼻にかけてクラスメイトを馬鹿にするのはいただけなかった。
でも、まあいけ好かないくらいなら別によかった。
ほおっておけばいいからだ。
特に、女子の私は一緒に遊んで楽しくない男子と無理に遊ぶ必要もない。
*
そうして、静観していたのだが杉田は、頭がいいことを鼻にかけるだけでなく、暴力を振るう奴だった。
気に食わないことがあると、机やイスやらの物にあたる。
そして、クラスメイトに向かって、
「そんな問題もできないなんて、愚かだな!」
「バカがうつるから寄るな!」
「愚図はムカつく!」
などと暴言を吐いて、周りを馬鹿にした挙句に、つき飛ばしたり、蹴りを入れてきたりするのだ。
はっきりいって杉田は、イカれた奴だった。
その普通じゃない態度に、男子の間でも次第に嫌われてしまった。
3、本気の蹴りを食らうと息がつけなくなる
男子は、杉田に蹴られても蹴り返したり、殴り返したりできる。
できない子がいても、長井くんという酒屋の息子のやたらでかい男子がいて、その子がかわりに杉田にやり返してくれていた。
私は、長井くんとは一緒に遊ぶほどの仲ではなかったが『弱い者いじめはダメだ』とハッキリ態度で示せるところは、好感を持っていた。
そうして、杉田は男子からハブられるようになった。
自業自得だ。
(仲良くしたい素振りが少しもないんだもん。当然だよね。
それに、杉田は理由もなく暴力を振るうし、誰も友達になんかなりたくないよ)
杉田は、男子から無視されてもその態度を改めなかった。
そうして、ボスの長井くんが杉田を押さえた結果どうなったか?
困ったことに、杉田の暴力は男子にではなく、女子や下級生に向かうようになってしまった。
目が合ったり、そばにいるだけで押されたり、蹴られたりするのだ。
本当に、どうしようもない。
近寄らないようにはしても、狭い教室だ。
班活動や掃除当番が一緒になれば、否応なく話しかけなければならない。
私も「ちゃんと掃除をして欲しい」と言っただけで蹴られた。
気の弱い子などは、突き飛ばされただけでびっくりして泣いてしまう。
そうなると、私や数人の気の強めの女子は間に入って抗議するしかない。
「どうしてこんなことするの! ユウちゃんに謝りなよ!」
そう言われて大人しく謝る杉田ではない。
「るっせー、バカブスは引っ込んでろ!」
そう言って、囲んだ女子をまたつき飛ばしたり、蹴ったりするのだ。
それが、生半可な蹴りではない。
たぶん、格闘技の経験のない人に言っても分からないだろうが、人間は蹴られると息がつけなくなる。
それは、腹を蹴られたときだけでなく、背を蹴られたときもそうだ。
漫画で『ヴッ……』とうめいて前のめりに倒れると言う場面があるが、まさにあれだ。
一瞬、呼吸が止まり、膝から崩れ落ちそうになる。
私は、杉田にそういう蹴りをされたことがあるから分かるが、女子にしていい蹴りではない。
杉田がやっていることは喧嘩ではなく、明らかな『暴力』だった。
*
担任の教師は、とても優しい年配の女性教師で私のことをとてもよくかわいがってくれて、私は大好きだった。
宮下先生は、勉強があまり得意ではない私のことも、挨拶が元気がいい、周りの面倒をよく見る、人がいないところでも善行をしていることをクラス内でいつも褒めてくれた。
そう、テストの点が悪くとも宿題を忘れずにやって、礼儀正しくすることを尊いこととして高く評価してくれた。
そういう先生だからこそ、勉強がいくらできても他人を傷つけてはダメだと根気よく穏やかに杉田に注意をしてくれたし、その保護者にも学校での様子を話し、家庭でも気を配るように伝えていた。
そのおかげで、杉田の暴力は少し減ってはきたが、それはあくまで先生たちがいる前だけで、子供同士になると度々暴力沙汰があった。
(杉田はどうしてこんなひどいことをするのだろう?)
杉田のことは大っ嫌いだし、許せないヤツだったが、どうしていつもイラ立っていて、周りに暴力を振るうのか私は全く理解できなかった。
4、石の雪玉事件
その冬、事件は起きた。
めずらしいことにその冬、雪が積もった。
それは、雪合戦や雪だるまができるほどで、みんなで校庭へ出て、声を上げおおいにはしゃいだ。
東京での雪は本当に貴重だ。
楽しく男女問わずに、雪合戦をして遊んでいると杉田が混ざって来た。
(さすがに楽しそうだから混ざりたくなったのかな?)
大っ嫌いな杉田だったが『お前、あっちに行け』というほど、私は意地悪ではない。
混ぜてと言わなくても、問題を起こさなければ別にかまわないなと放っていたが、すぐに異変が起きた。
「きゃっ! 痛いっ!!」
杉田の投げた雪玉が顔にあたったヒロミちゃんが、しゃがみこんで泣き始めたのだ。
(少しザラメ雪になっていたから、硬い雪玉だったのかもしれない)
そう思い、私は心配して駆け寄る。
「大丈夫? 顔を狙うなんて、ホント意地悪だよね」
と、その子を助けに行って額を見れば、赤く腫れていた。
「え、これって……」
見れば、当てられた雪玉は普通のものではなかった。
他に、杉田に雪玉をぶつけられた子が口々に怒っていた。
「痛いじゃない! 雪に石を入れるなんてどうかしてるよ!」
そう、杉田はすべての雪玉に石を入れていたのだ。
*
雪玉に石を入れるなどというのは、いたずらではすまされない。犯罪に等しい。
私は、完全に頭にきた。
(杉田を野放しにしてはいけない。
こいつは、痛みを知らないとダメだ。やられたら痛いってことを分からないと、何度でも同じことをする)
「杉田ッ! これは絶対にやっちゃいけないことだろうが! あやまれ!」
私は、杉田の胸ぐらをつかんで叫んだ。
そのくらい大声を出さないと、杉田の心には響かないと思った。
杉田は「やかましいわ、ドブス!」と、私の鳩尾《みぞおち》を蹴った。
一瞬、息がつけなくなる。
(だから、どうしてこんな蹴りができるのよ! 頭おかしいよ!)
私はひゅっと細い息しか吸えず、せき込むが、呼吸が整いざま杉田の太ももに渾身の蹴りを繰り出し言い放つ。
「ドブスでも関係ない!
お前は、もっと、ちゃんと、人の痛みを知れ!」
人を蹴ると痛いと言うより、足がしびれる。
だから、蹴りたくなんかない。
人を傷つけるのは怖いことだ、
だから普通、顔や頭、脛や腹は狙わない。
だいたい、兄弟喧嘩の一つや二つすればそこが狙ってはいけない急所であると分かるものだ。
狙うなら、腿《もも》か尻《しり》だ。
そこなら、痛みはあるが大怪我はしない。
杉田は、腹や背を蹴るし、雪玉は顔を狙っていた。
知らないでやっているなら、誰かが教えてやらなければいけないと私は思った。
しかし、杉田は、「痛てーな、バカは死ね!」といって、少しの悪びれもなく嗤いながらまたしても、私の背を蹴った。
(痛ったい。本当に人間を物か何かだと思ってるの?)
こんな力の蹴り、普通ではないとどうして分からないんだろう。
私は、ひるまず杉田を睨みつけて怒鳴る。
「バカはお前だ! 蹴られたら誰でも痛いんだよ!
顔に怪我したら、いっぱい血が出るんだよ!
お前は知らないからそんなことができるんだ。
お前の方がよっぽど大バカだ!」
私の真剣な言葉も、杉田には届いてはいないようだった。
「雑魚《ざこ》が、るっせーよ!」
杉田は、私の周りに友達や先生がやってくると、さもつまらなそうなふてくされた顔をして逃げて行った。
5、杉田の家の事情
そんなことがあって、私と杉田は完全に敵対した。
というか、もう私には打つ手がなかった。
先生が杉田に注意をしても、杉田の母親に注意をしてもどちらも聞く耳を持たなかったからだ。
杉田のお母さんは、怪我をさせられた子の親が抗議しても『うちの子は、そんなことしません! 妹の面倒もよく見てくれる優しい子なんですよ。言いがかりはよしてください!』と、事実を認めないらしい。
私は、雪玉の件で杉田と激しい喧嘩をしたことを母親に告げると、母が苦い顔をした。
「やられたらやり返すのはいいわよ。蘭の方が女の子で分が悪いんだから、怪我しない程度なら反撃してもいいんじゃない」
うちの父も母も、勉強でも運動でも負けて悔しいならやり返せというタイプだ。
「ただ、あの子とはあまり関わり合いにならないで欲しいかな……。ちょっと、家の事情が複雑みたいだし……。
蘭ちゃんはお姉ちゃんだから教えるけど、凜ちゃんには言わないでね」
凜ちゃんとは、私の2歳年下の妹のことだ。
「凜ちゃんと同じ学年に、杉田くんの妹がいるの知ってるよね?」
「ひなちゃんだっけ? 小っちゃくてかわいい子。いつもニコニコしてるし、全然、杉田に似てない」
「うん。ひなちゃんは支援学級にいるよね」
「わかるよ。少し“ちてきしょうがい”? っていうのがあるんでしょ? 凜ちゃんよりずっと子供っぽい感じ」
「そうなのよ。杉田くんのお母さんは、妹のことをすごく気にしてかわいがってるのね。で、杉田くんにはひなちゃんの分もいい学校に行って欲しくて期待してるから、いくつも塾に行ってすごく勉強している。それってどう思う?」
「どうって……」
杉田は、鼻持ちならないが何もしないで頭がいいわけじゃないということだ。
(努力はしてるんだ……)
でも、それを振りかざし、他人を蔑み暴力を振るうのは明らかにおかしい。
「家ではいい子っていうのも、たぶん本当のことなんじゃないかなぁ。家では、お母さんを困らせないように我慢していい子にしている分、外ではイライラしてるんだと思うよ」
「だからって、蹴られて許せるわけないじゃん!」
「そうだよね……。でも、知ってどう? お姉《らん》ちゃんなら、凜ちゃんの分まで勉強がんばれる?」
「凜の方が頭いいじゃん。わかんないよ」
私は、聞きたくないとプイと横を向いて、テレビをつけた。
いや、本当は分かってる。
(私はドラえもんで、妹はドラミちゃんだ。
私は、凜ちゃんの分まではがんばれない)
杉田も妹に対する劣等感があるのかもしれない。
少し同情はしたが、かと言って到底暴力を許せる理由にはならなかった。
6、5年生になった
さすがに、石入り雪玉事件があって先生や怪我をした子の親だのが杉田の家に押し掛けたこともあり、杉田は少し大人しくなった。
ただ、いつでも八つ当たりの矛先を狙っているかのような嫌な空気は漂わせていた。
誰も、杉田に近寄らない。
それはそうだ。言葉を交わしただけで突き飛ばされたり蹴られたりするのだから。
だから、この無視はいじめではないと私は思う。
友達ではない子としゃべらないのはあたりまえだ。
自分をいじめる子と遊ばないのもあたりまえだ。
これは自衛の手段で仕方がないことなのだと私たちは、自分自身に言い聞かせていた。
杉田との小さな小競り合いはありつつも、大事件は起こらずに私は小学5年生に進級した。
クラス替えがあったが、担任の先生も同じでクラスメイトも仲の良い子とはなれずに済んだので、ホッとしたが杉田とはまた同じクラスで気がめいった。
大人っぽく絵が上手いタカコちゃんにそのことを愚痴ると、たーこちゃんはこういった。
「蘭ちゃん。杉田くんは、悪いことを悪いことだって教わらなかったかわいそうな子なんだよ」
「たーこちゃんは心が広すぎるよ。私は謝ってこない限り絶対許せない。それに、私が悪いことだって教えてやってるのに、全然わかってくんないんだよ」
「そうだよね……。蘭ちゃんみたいに強かったら、私もやり返したのかなぁ。できないから、諦めてるだけなのかもね……」
「いや、たーこちゃんは心が広いからやり返さないだけだよ。私はそういう本当に頭が良くて優しいたーこちゃんが好き」
そう、本当に頭がいいと言うのはたーこちゃんのような人をいう。
杉田のように、中学生の問題が解けるというのは、頭がいいと言っても種類が違う。
私の憧れる頭の良さではない。
「私も、蘭ちゃんのみんなを守ろうとしてくれる優しいところが好きだよ」
私は頭のいいたーこちゃんが、私がただ意地で杉田に反撃をしているのではないことを分かってくれていたことがうれしかった。
7、ザリガニ釣り
暖かくなってきて、私は仲の良い男子の西野くんと新開くんと一緒にザリガニ釣りに行った。
大川には脇に細く引かれている用水路のような川がある。
そこに、スルメイカをぶら下げた小さなお手製の釣り竿をおろすと、黒っぽいザリガニがハサミでつかみ釣り上げられるのだ。
「すっごい発明だね。誰が考えたのこれ!」
私は、男兄弟はいないのでこういう遊びがとても新鮮で興奮気味に二人に聞く。
「父ちゃんに教えてもらったよ。この穴場は新ちゃんに教わった」
「ザリガニ釣り、面白いよね」
新ちゃんはニコニコしている。
西ちんは、私と同じ町内会で町内会の遠足やお祭りを一緒にするので仲がいい男子だ。
快活で裏表なく気持ちがいい奴だ。
新ちゃんの方は、川沿いに住んでいて、いつもだらしないし、私よりもお馬鹿なのだが、ものすごく芸術的な絵を描いたり、工作をしたりが得意な子だ。
それはもう天才的で、私は叶わないと尊敬すらしている。
女子には人気はないが、魚をいっぱい飼っていて心根が優しい。
近くの工場《こうば》でダンボールや厚紙の端材が出ると、同じく工作や絵が好きな私に山分けしてくれからという理由だけで好ましく思っているわけではない。
二人が持ってきたバケツには、ザリガニが面白いほどたまってきた。
「なあ、天城。杉田のことだけどさ……」
釣り糸を垂れながら西ちんが、言いづらそうに杉田の名前を口にした。
「杉田がどうしたの? また何かした?」
「いや、お前、女だしあいつにあんまり関わるな」
「私だって、別にかまいたくてかまってるわけじゃないよ」
私は頬を膨らます。
なんだか、私が積極的に絡んでいるように言われるのは心外だ。
「そうじゃなくて、あれは普通じゃないからいくら言ってもダメだってことだ」
西ちんが、困ったように頭を掻く。
「……?」
私は、意味が分からずきょとんとする。
「ニシちんは、ランちゃんのこと心配してるんだよ」
「ありがと。でも、なんで急に??」
「この前、姉ちゃんに杉田の話したら。『どうしても、ダメな奴っているから関わるな』ってハトの話をされた」
「ハト?」
脈絡のない話しに私は首をひねる。
「天城は、学校の近くの神社のハトによくエサやりに行くだろ?」
「うん。あの神社、近くの店でエサ売ってて面白いほど集まるんだもん。マンションでペット飼えないから、楽しいんだよね」
私は、手品師みたいにハトがバサバサと羽音を立てて手に乗って来るのが大好きだった。
「……足のないハトいるだろ。何羽も」
私は、釣りをする手をピクリと止めた。
知っている。境内にはBB弾もたくさん落ちているし、テグスが絡まって足がプラプラしているハトやもう完全に片足がないかわいそうなハトもいた。
偶然の事故にしては、数が多いとは思っていた。
誰かが意図的にやっているとうすうす気が付いていた。
「……それ杉田がやってるの?」
「ちがうちがう! そうじゃなくて……。
世の中には、そういう理解できない『悪いこと』をする奴がいるって話だ」
西ちんが苦々しい顔をしているのに、新ちゃんは、我関せずとザリガニを釣り上げる。
「だったら、誰かが杉田にダメなことはダメだって教えてやらないと、いつかそうなっちゃうかもしれないじゃん!」
「それは、お前じゃなくていいんじゃないか?
俺らも一応言ってるんだけど、聞く耳もってもらえないし、女子のお前じゃますます聞きやしないって」
「…………」
西ちんが、私のことを心配してくれたのはよくわかったが、なんの解決にもならないことに胸がモヤモヤした。
「ランちゃん、ザリガニほしい? もってくー?」
新ちゃんが、場の空気を読まないで機嫌よく聞いてきた。
「いらな~い。釣るの面白かったけど、私の金魚が食べられたら困るし、新ちゃんにあげるよ」
「やった。これで絵かくー」
「私も絵描く。新ちゃんちに行っていい?」
「いいよー。ランちゃんくると、おばあちゃんよろこぶし」
「俺も行くぞ。新ちゃんちのおやつうまいからな」
新ちゃんの家は町工場《まちこうば》で、両親は見たことがなかったが、遊びに行くと優しいおばあちゃんがいつもかりんとうやらお饅頭といった私の大好きな極甘なお菓子を出してくれるのだ。
私たちは、釣果を持って新ちゃんちへ向かった。
この苦々しい胸の内も、甘いものを食べれば少しは晴れるかもしれない。
8、手を引く決心
私は西ちんの話を聞いて、あまりにも怖いもの知らずだったことを思い知った。
杉田は、まだハトに危害を加えてはいないだろう。
けれど、アリや虫を踏みつぶしたりする姿は目にしていた。
だから、ハトの話をされたときにふと西ちんの話が合点がいった。
杉田は、私に決して理解できない『悪』を抱えている。
それを取り除くのを、諦めていいことではないかもしれない。
けれど、もともと杉田の方が体は大きいし、このまま以前の調子でやりあったら怪我をするのは私の方だ。
だから、西ちんが私に告げたことはたぶん、西ちん一人の考えではなかったのかもしれない。
私は、杉田の件から手を引いた。
色々な理由はある。
けれど、一番の理由は男勝りでも結局は女の子で、杉田にはもう敵わないからだった。
9、人を傷つけると言うこと
私は、杉田が転校してくる少し前に友達に怪我をさせたことがある。
それは不可抗力で、事故だった。
河原で一緒に水切りをして遊んでいた仲良しのキヨミちゃんことキューちゃんに、誤って石をぶつけてしまったのだ。
私が川に向かって投げようと振りかぶった石が、手をすっぽ抜けて後方にいたキューちゃんの眉のあたりにぶつかり、額が切れて血がいっぱい出た。
私が、泣きながら謝ってハンカチで傷口を抑えても、血は止まらなかった。
「ごめんね。キューちゃん。こんなにいっぱい血が出て、キューちゃんが死んじゃうよぉ」
私は、わあわあと泣いた。
「蘭ちゃん。このくらいじゃ死なないって。おでこは怪我すると血がいっぱい出るんだよ」
「でも、でもっ!!」
「お兄ちゃんが野球で切ったときもそうだったから、大丈夫だって。泣かないで」
キューちゃんは、自分が怪我をしたのに、私の心配をしてくれた。
私が両親と一緒に謝りに行ったときも、キューちゃんもその両親も『気にしないでまた遊んでね』と許してくれた。
私だったら、傷が残るような怪我をさせられて許せたかどうか分からない。
その難しいことを、キューちゃんはさも当然のようにしてくれた。
それは、とても難しいことだと思う。
誰もが、キューちゃんのように許してくれるわけではない。
けれど、何かあった時、私はキューちゃんのように許せる人になりたいと思った。
10、大人になればわかるのか?
人に怪我をさせると言うことは、とても怖いことだ。
何度も謝っても相手には傷は残り、時間をまき戻すことなどできない。
私は、杉田に自分を重ねていたのかもしれない。
私のように、人を傷つけてから後悔して欲しくなかった。
誰かを傷つける前に、止めてやりたかった。
私は、人を傷つけると言うことが、自分が傷つくよりもはるかに痛く苦しいことを誰よりも知っていたからだ。
けれど、それは自己満足で傲慢だったのかも知れない。
(杉田、ごめん。私はもう怖くてあんたとはやり合えないよ……)
ケンカをしているうちに、力加減を覚ええくれるかと期待もしたが、こちらのあざが増える一方だった。
私は、杉田は私とは全く違う人間で歩み寄れないことを知った。
杉田の抱える『闇』や『悪意』は、私には少しも理解できなかったからだ。
そして、私の人を傷つけないで欲しいと言う気持ちは、杉田には決して届かないと悟った。
私は、完全に杉田から距離を置いた。
何かやられても、今までのように反撃はせずに距離をとり、先生にすぐに言うようにした。
反撃をしなければ、追加の攻撃を食らうことはない。
悔しいが2回攻撃を食らうよりは痛い思いもしなくて済んでかなり楽になった。
*
結局、杉田が最終的にどうなったのかは私は知らない。
小学5年生の冬に私は東北へ転校したからだ。
クラスで行われた私のお別れ会の時、杉田は参加していなかった。
その頃もう、杉田はあまり学校に来ていなかったのかも知れない。
私はその後も時々、杉田の凶暴性は生来のものなのか、あるいは環境がストレスとなって表れたものだったのか考えたが答えは出なかった。
ただ、どんなに本心を叫んでも、どんなに本気でぶつかっても、殴り合いの喧嘩をしても漫画のように友情が芽生えて和解することはないことが現実だと知った。
小4の私はクラスメイトを守るために闘う美少女戦士だった。
そして、子供の私では理解できない『悪』があることを知った。
いつか大人になったら分かるのだろうか?
杉田の気持ちが、
そして本当の『正義』や『悪』が何なのかを……。
お わ り