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疲れに気づくことは、退化じゃなく進化

今日は、退化に見えて進化だなって話をしようと思います。

ここ最近人生が急加速していて、それ自体はワクワクしてたまらないのですが、同時に疲れも感じていたので今日は休息dayにしました。

以前の私なら、「せっかく人生が動き出したのに疲れたなんて言ってる場合か?」とか「これっぽちで疲れるなんて情けない」という声を自分で作り出していたと思います。

今も一瞬はそう思いつつ、

「疲れに気づけてるってすごいじゃん!!」

と思うようになりました。


どういうことかというと、

疲れなかった → 疲れるようになった (=退化)

ではなく、

疲れていることに気づかない → 気づいて休める (=進化)

だなぁと。


かつての私は、詰め込んだ予定をこなすことだけを考え、自分がどれくらい疲れているのか知ろうともしませんでした。

そこに目を向けてしまったら、足が止まってしまうから
足を止めてしまったら、いろんな人に迷惑をかけてしまうから

そう思っていたのかも定かではありませんが、周りに心配されようと聞く耳を持たず、無心で走り続けていたような気がします。


そんなふうに生きてきたから、社会人になってあらゆる不調が出たときも、それがどんなメッセージなのか理解できなかった。そもそも受け取れなかった。

その結果、周りから見たらある日突然会社に来なくなった人と思われる事態になりました。


そんな私が今、「最近張り切りすぎてちょっと疲れが溜まってきたな、今日はゆっくり過ごそう」と思えている。思うだけじゃなく、実際に行動している。

それって結構、かなり、すごいことじゃないですか?(ほかの人はこれを当たり前にやれているのか…?)

私が疲れを感じる原因のひとつに時間に追われている感があります。

「何時から予定があるから、それまでにこれをして…」って逆算しながら日々生きていると思うんですけど、それが正直しんどくて。

今日は久々になにも予定がなかったので、時間を気にせず寝て、ドラマを見て、本を読みました。

時間を気にせず過ごせるだけで面白いくらい回復するんだなってことを、この3年で学びました。

それ以外にも、疲れが溜まった感覚や、自分に合った回復方法がわかってきました。本を読めていないときは比例するように疲れが溜まる、とか。


疲れに気づかなかったときは動き続けていられたから、一見退化したように思えますが、本当はあの頃、定期的にエネルギーが枯渇していました。

周りに助けられながらどうにかやり過ごしていたけれど、無理があったと今ならわかります。

それよりも疲れを敏感に察知してその都度回復させられる方が、ゆっくり進んでいるようで結果的に一番早く目的地にたどり着けるような気がします。

気を抜くとすぐに自分を否定しそうになるから、退化じゃなくて進化だよと、繰り返し思い出すことにします。

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