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腕利きの〝経験料理人〟になりたい私

日頃から、考えること、迷うことが多い私。

今年に入って、考える前に行動しよう!ぐらいの勢いで、決断して動いている(つもり)。

先日、昨年の手帳の一月のところを見てみた。
昨年の今頃あった出来事をいろいろと思い出した。

そして合わせて思い出したのは、
やったことというより、やると決めるまでの自分の気持ちの変化。

ちょうど一年前、かねてから気になっていたことにチャレンジした。

初心者向けの2日間集中講座みたいなのがあって、それに思い切って参加したのだった。

思い切って、というのは、ある程度費用がかかること、週末2日丸々費やすこと、昨年は身体を壊したので、体力的な心配もあったこと。

それらを考えると、やってみたいという気持ちは確認出来ても、なかなか決断に至らず、しばらく迷っていた。

お金も時間も体力も大丈夫では?
いや忙しい今の時期、きついかも?
この先また同じことで悩むの? などなど。

結局…なんとかなるさ、で、えいやっ、と思い切って2日間の講座に申し込んだのだった。

あれから一年。

講座終了者のみに参加が認められる会に定期的に顔を出している。

皆いい人たちばかり。
とても居心地のよい時間を過ごせる機会になっていて、毎回の参加にも迷いはない。毎回新たな学びと気づきもある。

あのとき思い切った自分がいて、新たな経験を得た。
本当によかったと思う。

当時自分にほんの少しの勇気がなければ、今参加している会については存在すら知らないままだし、参加して得られている心地よい時間を味わうこともない。

そして、これらの経験は、今年さらに次の可能性に繋がりそうな予感。

ここからまたどんな世界が広がっていったり、自分にとって味わい深い経験を得られることになるだろうか?

経験はすべて糧になる。
この先自分が生きていくうえでの栄養になり、血となり肉となる。

あまりに激しいキョーレツな経験はしたくないなって思ってしまうけど、
それでもどんな経験からも学びはある。

あえて自分で勇気を出して引き寄せる経験もあれば、全く望んでないのにせざるを得ない経験もある。生きていればどちらもある。

そしてそれらの経験を活かすも殺すも自分次第。

どうせ手にするものならば、自分の手に収まった経験を、ひとつひとつ大切な材料として見極めたい。そして、それらから最高の味が味わえるような料理が作る。そんな腕利きのシェフのような自分でいたい。

この一年はどんな経験という材料を手にするだろう?
それらでどんなお料理が出来るだろう?

ついなにかと食べ物関連に例えたくなる食いしん坊な私は、新年始まってからそんなことを考えている。


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