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出産記録②〜無痛分娩当日〜

陣痛

38週を過ぎ、次の検診が翌々日に迫った朝。

生理痛のような、下腹部がぎゅーっとなる痛みを感じはじめました。もしやと思い、時間を記録すると、ちょうど1時間に一回の頻度。

そしてお昼を過ぎると少しずつ間隔が短くなってきて、夕方に母が帰宅する頃には、30分間隔くらいになっていた。

母と相談し、遠方だし、初産だから明日の朝まで様子を見ようということになった。一応荷造りの仕上げをしておく。

0時を越える頃には間隔は8分くらいになっていた。不安になり病院に電話すると、どうしても我慢出来なくなれば向かってくださいとのこと。

子宮口開いてなければ、入院できない可能性もあるものの、遠方ということも留意してくれているようだった。

運転してもらう母になるべく寝ていてもらいたくて、ひたすら我慢。耐える。3時ごろには4.5分間隔になっていて、じっとしているのがけっこうつらくなってきた。

そして再度電話し、3時半ごろ、出発することとなった。

病院まで来るまで2時間強。4.5分間隔でくる1分くらいの痛みに耐えながら向かう。

日の出を迎えるころ、病院に着いた。

すぐ診察してもらい、子宮口が2センチ開いているから、入院できることになった。

待機用のベッドに通される。朝ごはんの後に麻酔を入れるとのこと。朝ごはんは8時。約2時間半後。


一人は立ち会えるとのことだったから、病院の中で母も一緒に過ごせるかと期待していたけれど、出産の直前にしか中に入れないと告げられる。

早朝にチェックインできるホテルも近くになく、待てる場所もなかったので、立ち会いは諦めた。

いつから病院に入れるか、事前に確認しておけばよかったと反省。

母には退院時にまた迎えに来てもらうようお願いし、自分の入院用の荷物を受け取ったあと、帰ってもらった。

そこから朝食まで、痛みとの戦い。寝てても痛いし座ってても痛い。尾骶骨を絞られるようなかんじ。立っていて、痛みがきたら痛みに合わせて息を吐きながら屈伸するとちょっとマシな気がして、朝食までの時間を耐えた。

無痛ってなんぞや…と思った。

朝食が来て、痛みがない時間に急いで食べる。屈伸。食べる。屈伸。

なんとか歯磨きして、着替えをしたりしていると、やっとお迎え。

LDR室へ移動する。荷物の運搬は看護師さんが手伝ってくれた。

そしてあとあと分娩台にもなるベッド?にのり、点滴。点滴が終わったら麻酔と言われる。すぐに麻酔かと思っていたのにガッカリ。また痛みに耐えること約40分。

無痛分娩

やっと点滴がおわり、麻酔にうつる。先生が来て、背中を丸めてちくっと表面麻酔?されて、本当の麻酔の管を打たれてテープ で固定された。

注射はどっちも陣痛より全然痛くなかった。覚えてないくらい。ふつうの血液検査の注射くらいだったような。

しばらくすると陣痛の痛みが和らいだ。携帯をいじれるくらい。家族に連絡したり、テレビみたり。2時間くらいゆっくり過ごした。

何時間かに一回、助産師さんがきて、子宮に手をつっこんで状況を確認していく。

麻酔が効いてるから痛くはないんどけど、筋肉が伸びるイヤな感じはある。麻酔なかったらどんだけ痛いんだと想像。

お昼をすぎるとだんだん痛みが増してくる。え、麻酔効いてる???何度か助産師さんに痛いと言ったけど、「圧迫感は残ってるはず」と返される。

圧迫感なのか…?かなり痛いんだけど…。尾骶骨を絞られる感じ。間隔も短くなっているし。

時間の進みが非常に遅く感じた。

15時頃、出産は早くて19時ごろだろうと言われ絶望。ただ、痛いけど、叫ぶほどではなかったから、やはり麻酔は効いていたんだと思う。無言で耐える。

早く痛いのが終わって欲しいとひたすら願いながら過ごす。痛みは2.3分おきで、痛みのない時は呼吸を整えることで精一杯。携帯をいじる余裕はない。遠くにテレビの音が聞こえる。時々別室の麻酔なしであろう出産の叫びが聞こえ、来たる「その時」に怯える。

16時頃。突然医師と助産師がやってきて、今からやってみようといわれる。

痛みが終わる時が近いことにホッとする。早く産んでしまいたい。

4.5回いきむがでてこない。吸引され、恰幅の良い方の助産師さんがお腹に全体重をかけてくる。早く痛みを終えたくてふたたび2.3回いきむと、生まれた。

痛みが終わったという安堵。赤ちゃんが泣いている。元気なようだという安堵。

終わったー、赤ちゃん抱っこしてみたい、電話しなきゃ、写真撮らなきゃ、と考えていると、先生の様子がおかしい。

また子宮に手を入れてぐりんぐりんし始める。圧迫感、伸ばされている感じが強く、痛い。大きな違和感。

どうやら胎盤がでてこないらしい。

癒着胎盤

何度も何度も子宮に手を入れてぐりんぐりんされる。

やめてほしい、早く終わらないかな、ってひたすら我慢。

助産師が増員される。手が小さいからという理由で、別の医師が到着し、再びぐりんぐりん。

麻酔しててこの違和感と痛さだから、自然分娩だぅたらとんでもない痛みなんじゃ…?

40分ほど経ったころ、やっと胎盤が出てきたらしい。

ぐりんぐりんが終わって心底ホッとする。赤ちゃん連れてきますねーと言われ、楽しみに待つ。

するとまた医師ふたりの様子がおかしい。ボソボソ話している声が聞こえる。子宮内反かも、急いでエコーとってこい、院長よんでこい、輸血、などと部屋が再び慌ただしくなる。

子宮内反

分娩時医師1人助産師2人だったのが、医師2人助産師8人くらいに増え、みんな忙しそうにしている。

そして院長到着。

院長がエコーで見て、またぐわんぐわんが始まった。ここでパニックになった。まだやるの、痛い、やめて、赤ちゃん抱っこしたい、と心の中で叫ぶ。

何回目かのぐわんぐわんで、もうヤダ、痛いのイヤ、ヤダ、と抗議してしまった。痛すぎて誰かが握ってくれている手を全力で握っていた。大勢の方々が痛いよね、がんばれ、と励ましてくれた。

だんだん眠くなってきて、目を瞑ろうとすると、起きてと言われる。返事できますか、大丈夫ですか、と問われる。仕方なく返事をする。自分では、大丈夫、少し眠るだけ、と思っていたけど、輸血、救急搬送するか、家族に電話しろ、と周りがザワザワしているのが遠くで聞こえた。

そして分娩から約1時間後、やっと、本当にやっと、ぐわんぐわんが終わった。

会陰縫合と輸血

助産師さんが輸血のために注射を足に刺そうとしているが、血が取れないらしく何度も刺される。

ぼーっとしている間に会陰を縫合してくれている。チクチクしてちょっと痛い、と伝えると麻酔を増やしてくれた。

縫合がおわり、騒動から30分くらいして、人が減ったころ、赤ちゃんは元気ですか、と助産師さんに問うと、とても元気ですよ!と優しく返された。ここで気持ちの糸が切れて、ぼろぼろと泣いてしまった。

びっくりしましたね、と慰めてくれた。天使かと思った。

何が起きたのか天使に聞いたら、癒着していた胎盤を手でとった時に、子宮がぺこっとへこんでしてしまって、それを院長が治してくれたんだ、と教えてくれた。

その後すぐ赤ちゃんを連れてきてくれて、やっと抱っこできた。ちっさーと思った。

院長が家族に連絡をしてくれ、家族と通話。ここでも安堵で泣いてしまう。大丈夫だから来なくて大丈夫だといったけど、様子を見に向かってくれていると。遠いのに。2時間かかるのに。遠くの病院でごめんね、と申し訳なさが募る。

輸血をしているからか、ベッドから降りることはできずに横になって過ごす。夫や家族と連絡を取る。

夜9時ごろ、母到着。父は感染対策のため入れず駐車場で待機。

母の顔を見ると安堵で再び涙が。手に力も入らず、起き上がらないよう言われたので、運ばれてきた遅い夕飯を母が食べさせてくれた。

30分ほどして、母は退室。父と一緒に帰路についた。ふたりとも還暦をすぎているし、申し訳なくて、無事に家に着くまでは気が気じゃなかった。本当に、病院は近いに越したことないなあと身に染みて感じた。

もっといろんな地域で無痛分娩を選択できるようになればいいのに。

深夜1時ごろ、やっと輸血がおわり、病室に移動できることになった。車椅子で移動する。

その後

会陰切開の傷が痛く、乗り降りに苦労する。でも、腹腔鏡手術で痛みを経験していたから、思ったよりも我慢できると思った。痛かったけど。

ロキソニンをくれたので、飲んで朝まで眠った。早く赤ちゃんと触れ合いたいなーと思った。

産後の痛みを恐れていたけど、我慢せずロキソニン飲んで大丈夫ですよーと言われ、気になりつつも我慢せず飲むと、そんなに痛くなかった。

その後も何日間か、ぐわんぐわんされた衝撃が忘れられなかった。

母子別室だったので、体を休められてとても助かったけど、昼間オムツを変える時にウンチがカピカピでこびりついていたり、退院時にすごい向きぐせがついていたのは、別室の弊害だったかなーと思いました。

でも次があればまた母子別室がいいなー。

出産した病院からは、今回たまたま対応できたけど、また癒着胎盤になる可能性もあるから、次があれば大きな病院で産んでくださいと言われました。

癒着胎盤は、事前にわからないみたいだからこわいなあ…

最初はまたあんなことになったら怖いから、息子ひとりでいいやーと思ったけど、息子を育てている中で、兄になった息子もいてみたいと思う。

そのうち2人目もほしいなあ。

今回のことで、出産は「ふたりとも無事が当然」のことではなくて、ふたりとも無事なのは奇跡みたいなことなんだなあ、と実感しました。