男N

兵庫県尼崎市出身。東京都練馬区在住。オッサンにしてメンヘラにしてニートにして隠者。だい…

男N

兵庫県尼崎市出身。東京都練馬区在住。オッサンにしてメンヘラにしてニートにして隠者。だいたいそんな感じ。生活保護受給中。恵比寿の小さなNPOで少しだけお手伝いをしています。

最近の記事

「当たり前」論

当たり前のことを、当たり前だと主張する、それだけではいけないらしい。 当たり前のことを、なぜ当たり前か説明する、それが必要らしい。 だが、当たり前のことを、当たり前だと説明する、そのことに疲れた。 当たり前のことは、当たり前ではないか、で済ませたい。 当たり前ではないか。 だって当たり前なのだから。 これで済ませたい。 当たり前のことを、説明しなければならないなら、それはもう当たり前ではない。 当たり前のことは、当たり前だ、で済ませられるから、当たり前なのだ。

    • 永遠の「~までは」脚本

      ふと気づいてしまった。 noteを書くことをほぼ日課にしているのだが、 夜の8時~9時くらいは「書かなきゃ」と焦るのだが、 書き終えると、「書いたー!」とホッとするのだが、 これって、「~までは」脚本?! 「~までは」脚本というのは、交流分析の脚本の一種で、 「良いことは、良くないことが終わるまでは起こらない」みたいな、 「何かが終わるまでは自分はOKではない」みたいな考え方のパターンで、 そうすると、 「noteを書き終えるまでは自分はOKではない」という

      • お金プレッシャー

        今月はお金がない。 先月もお金がなかった。 先々月もお金がなかった。 要するに慢性的にお金がない。 まあ、最低限度の生活をしているので当然ではあるのだが。 でも、食べなければ生きてはいけない。 スーパーに行って買うのは納豆とキムチ。 納豆とキムチとご飯、が最近の主食。 それ以外は食べられない。 お金がないから。 そろそろ、飽きてきた。 調子が悪くて自炊していないのでこういう食事になる。 自炊をすればもう少し安上がりになる。 もやしと卵が主食。 もや

        • 祇園精舎の鐘の声

          今日もコピペ。 永田町に向けて声に出して読みたい日本語、平家物語の冒頭部分のご紹介。 といってもあまりにも有名ですからねえ。 せめて現代語訳ぐらいは自分ですることにしましょう。 祇園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、 ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵におなじ。 祇園精舎の鐘の音には「諸行無常」の響きがある。 沙羅双樹の花の色は「盛者必衰」の道理をあ

        「当たり前」論

          弱肉強食?

          Yahoo!知恵袋で以前見つけた質問と回答に「目から鱗」級に感動したので紹介したいと思う。ちなみに「目から鱗が落ちる」というのは、個人的には、「まったく新しい考え」を目にしたときではなく、「思っていたけれど言葉にできなかったことを、言語化してもらえたとき」に使う言葉である。 なお、この記事は完全コピペである。元原稿が消えてしまわないように残すものである。 元の記事はこちら 【以下コピペ】 質問弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い

          弱肉強食?

          「寝逃げ」のススメ?

          最近はnoteの記事に何を書いていいかで悩んでいる。まあ、誰に決められているわけでもないし、自分で決めごとをしていることもないので、別に書かなくてもいいのだが、ルーティーンになっているからか、夜の8時から9時くらいになると、自然に「書かなきゃ」という気持ちになってくる。 今日は夕飯を食べた後、少し眠ってしまったのだが、そのときに、「noteを書かずに済ます」という夢を見た。「今日は調子が悪くてnoteに投稿できなかった。また新たな気持ちで、連続投稿目指して頑張る。」みたいな

          「寝逃げ」のススメ?

          夜に鳴くセミ

          セミの声の主役が、ミンミンゼミからツクツクボウシに代わると、季節はもうすぐ秋・・・かなあ? うん、調べてみると、やはり夏の始まりはミンミンゼミ、終わりはツクツクボウシ、みたいだ。 検索するとなんでもでてくるねえ。 でもそのぶん、自分の知識に自信が持てなくなっている気が・・・。 で、そうそう、セミの声ね。 最近のセミは、夜に鳴く。 これも気になって調べてみた。 やっぱり、最近、ここ10年くらいのことらしい。 なんでも、夜が明るすぎて、セミが勘違いしちゃうんだとか

          夜に鳴くセミ

          生徒会役員共と雨上がり決死隊

          漫画「生徒会役員共」が11月で完結するという。 アニメのファンで、OVAも含めてだいたい見た。映画も1は見た。 妄想が捗るアニメだった。 津田タカトシに憧れた。ツッコミに憧れ、またハーレムにも憧れた。魅力的な女性キャラクターたちに、自分も囲まれたいと思った。 また、津田タカトシ役の浅沼晋太郎にも憧れた。声優になりたいと思った。日笠陽子や佐藤聡美や矢作紗友里に囲まれて悶絶したいと思った。 10年前に、遅ればせながら、アニメファンになった、そのキッカケの作品だった。

          生徒会役員共と雨上がり決死隊

          一貫性、ないよね?

          1か月半、32タイトルの記事を書いてきて、今日が33個目の記事なんですが、今までの記事をザーッと読み返してみたんですが、 書き手のキャラクターがよくわからない、というか、 「~ですます調」でマイルドに語りかけたかと思えば、 乱暴な「~である調」で感情をぶつけたかと思えば、 私信とかいって気取ったメンタリスト調の文章を書いたりして、 一貫性、ないよね? 今日は書くことがあまりないなあと思って、 「note 書くことがない」で検索してみたら、 #書くことがない

          一貫性、ないよね?

          終戦記念日の記憶

          今日は終戦記念日ですね。そのことについてなにか書きたいと思います。 僕が小学生のころは、よく反戦映画を見させられました。 教科書でも、読書感想文でも、戦争ものをよく取り上げていました。 暗いんですよね。 だいたいは日本人の、一般的ふうな庶民が主人公で、家族(主に父、兄)を戦争に取られたり、その家族が遺体になって帰ってきたり、空襲で家が焼け落ちたり、原爆で皮膚が溶け落ちたり、みたいな展開です。最近の作品でいうと、「この世界の片隅に」でしょうか。 当時見たもののひとつが

          終戦記念日の記憶

          「百聞は一見に如かず」の続き

          「百聞は一見に如かず」ということわざがあります。 由来は「漢書」だそうです。 この言葉には続きがある、というのを、10年くらい前に知りました。  百聞は一見に如かず  百見は一考に如かず  百考は一行に如かず 考えるより行動しろ、っていうところが、認知行動療法みたいで好きです。 ちなみに、「百聞は一見に如かず」だけが「漢書」のオリジナルで、続きは後の人による創作だそうです。 そして、さらに続きがある、というのを、今日、検索してみて知りました。 あらためて全部

          「百聞は一見に如かず」の続き

          DaiGo君への私信

          DaiGo君へ 君がまず何よりしなければならないことは、君の発言への謝罪と撤回だ。君がこの社会で生きていきたいと思うならね。 世の中には言っていいことと悪いことがある。そして、取り返しのつくことと、取り返しのつかないことがある。君の発言は、言ってはいけないことで、取り返しのつかないことだ。君の感想うんぬんは関係ない。 だから今後も、「この社会で」「生きたい」と願うなら、速やかに発言を謝罪し、撤回する必要がある。それが本心からのものでなくても構わない。 そうすれば、少な

          DaiGo君への私信

          今日も腹が立っている。 スガに対して、小池に対して、腹が立っている。 だが怒りの収めようがない。 昨日も書いたように、この怒りは反射的なものだから、理性で収めるしかない。 昔、アルバイト先のコンビニエンスストアの店長に対して、とてつもない怒りを覚えたことがある。 やはりその店長も、常識に欠ける人物で、子どもじみた言い訳をするのが得意だった。 その店長に対する怒りをブログで表現したことがある。その記事を貼り付ける。理性とユーモアは大事だね。 ~~~~~~~~~~~

          スガのP

          スガに対して怒っている。いろんな意味で怒りが止まらない。 そして、怒っているうちに、ふと考えた。僕は、彼の政策や政治思想よりもむしろ、原稿に糊がついていたり、大事な集まりに遅刻をしたり、という、いわば「常識のなさ」みたいなことに怒っているのではないか、と。 「自助」を最優先する政策や、新自由主義的な思想に対しては、怒っているというより、批判している、と言ったほうが正しい。そうなのだ。批判の対象なのだ。 だから、心理学理論のひとつである交流分析(TA)で説明すると、人の中

          スガのP

          身近な“MOTTAINAI運動”

          最近の新聞やテレビの劣化はひどいと思っているが、どれほどひどいかはわからない。何度も書いているが、新聞も取らず、テレビも見ていないからだ。 そうすると、疑問に思うことがある。いったい僕は、どのくらいニュースを知っていて、どのくらい知らないんだろうか? 新聞やテレビに普段接している人は、どのくらいニュースを知っていて、どのくらい知らないんだろうか? 例えばこのニュース、2021年8月7日、TBSの報道特集で放送された、オリンピックのスタッフの弁当13万食分が廃棄されていた

          身近な“MOTTAINAI運動”

          テレビをみないという「革命運動」

          東京オリンピックが終わった。インターネットニュースとして流れてくるものが目に入ったくらいで、きちんと見ることは皆無だった。以前このnoteでも書いたように、道義的にオリンピック開催に反対して、積極的に見なかった、というのが一番の理由である。 もうひとつ、重要な理由がある。 我が家にはそもそもテレビ受像機がないのだ。テレビ受像機がなければテレビ番組は見ようがない。 そして、オリンピックコンテンツとして競技を生放送していたインターネットメディアは、(僕の知る限り)皆無であっ

          テレビをみないという「革命運動」