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思い出の賞味期限

最近断捨離に取り組んでいる。
その中で『大切なもの』をどう扱うかというテーマが出てきた。
断捨離をすると、あまり使っていなかったけど大切だから取っておいているという物がよく出てくる。
私にとって大切なものとは、それ自体の値段や価値のほかに、それに付随した『思い出』が影響していることが多い。

結果としてはいくつか大切なものを手放した。
その時は「もういいかな」という感じになっている。
思い出に賞味期限があるかのように、それを手放すことができたのだ。
手放すときには名残惜しさもあるが、手放すことでの爽快感もある。

一方で、賞味期限が長いものがあるのも事実だ。
私自身が死ぬまで持つものもあるかもしれない。
死ぬまで手放せそうにないもの、それは幻想なのかもしれないが、一緒に棺桶に入れてほしいと思うほど大切なものもある。

長い賞味期限のものに共通するのは「特殊性」のような気がする。
ただ単に限定商品とか、この世に一つとか、それだけではない。
時間やそこでの体験、人との交流というものが絡み合って、『思い出の賞味期限』は決まっていくのだろう。

例えば、何かの賞をもらったとする。
その賞自体が人生に一度しかもらえないものか、人生に何度でも挑戦できるものかという点でも価値が変わってくる。
人生に一度というものでも、そこでの経験がどのようなものだったか、誰が関わったものなのかということ次第で価値も変わってくるだろう。
些細なものでも、もう戻ってこない幼少期から馴染みのものには、たくさんの思い出も詰まっていたりするので、『思い出の賞味期限』も長くなっていく。

これから手に入れるものについて考えるときにも『思い出の賞味期限』は大切にしたい視点だ。
『思い出の賞味期限』を適切に測ることは難しい。
人はどうしても欲望が出てしまうので、目の前の対象に過剰な価値を置き、冷静に長期的な価値を考えることは苦手だ。
それでも、極力長持ちするものだけを手にする努力をすること。
それが、良い選択になっていくような気がした。

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