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私はひとを否定しません、とは。

【仮初】

私はひとを否定しません

と、言う方は。。。

それを目指しているけれど、
まったく出来てなく、
否定心にも気づいていらっしゃらない方も存在するんです

そういう方は、

他者を否定しない方の言動を、
こうだろう、
と再現するのみであるため、

私は、
話を聞きたがられても。。。

話せないのです。

【他者を否定しているのに気づけていないから】

○○家ー、家訓!みたいなのがあるならば。
日本人ならば、

言葉で他人を判断せず、
目の前の方が言うことを、
鵜呑みにすることなく、

『日本人であるならば、日本人の、一般的なあるべき姿の中で、人間の道としているものを指針として』

目の前の方が
行動するすべてを、
そのまま見て、

この人とかかわりたくないとか、
この人が好き!という方と、
自身の気持ちを押し付けることなく接して
(そうしていても自然に行動、言動に出るから、お互いに人間として好きなら縁が出来るため)、

自身で判断し、

かかわりたくない方とは、
近づかず、
【君子、危うきに近づかず➡️悪道を悪いと思っていない者はあなたひとりの手に負えない】

そして、
普段の生活を淡々とこなす中で、
自分の感情を
ゆっくり感じることが出来るようになったら、
※そういう歩み方をしていたら自然に分かるようになるもの(自分を信じることです)

自分の意見を言う時を見定め、
動いているだけで、

自ずとあなたが、
本物の

【他人批判を本気でしない者】となるのです。

言葉を変えると、
本気で他人批判しない方が、

『あのクソババアと思いました笑』と言っても、
それが単なる、
優しい愛に包まれた気持ちから生じる言葉であることを知るのです。

…こういうことを私が伝えると、
マリーアントワネット時代のように、
フランス政治家に、
相談を受けたとき、
【そんなことも分からないの?という諺であり、
さらに言うと、灌漑事業の見直しの指示、そして、さらには、あなたの閨閥関係を洗えばそのくらい分かるわよ?】ということを言ったら、
ケーキを与えればよいと言った!と
広めることで、
私の地位を落とそうとする者が現れるのは、
いつの時代もおかしなものですね。

たとえば、
ダウンタウンの松本人志さんが
文春により、
記事が掲載されることで、
Xで、
事実無根なら会見をすべきだと、
何故か、
まったく知見も持たない、
松本人志さんとは無関係の方が、
まるで自分の言うことを正しいと言わんばかりに主張するのは、
本気で思い遣りがない行動であると思うものなのです。

それを決めるのは、松本さんであり、
事件?に無関係の方は誰も、
記者会見を開くことを強要することは出来ず、
それを知っているならば、

きっと、
無罪なら、
それを主張しろよ!ということだと認知できるので(意訳なので、発言した当人は否定する可能性がございます)

言葉をコメントに残すのならば、

【松本人志さんは、加害行為をしていないというのならば、疑いが出たなら、文春に対して然るべき処置をしていただきたい!それが、日本国民の目に触れる仕事をするために倫理、道徳の根本は破っていない!と示すことになるから、日本のお笑いをするものとして、他人を幸せにする仕事をするものとして、それを示してください!】
と、
コメントしたら、
道徳、倫理規範に則った発言に変えてみると、
同じ意味になるのではー?
と思うのです。

考えずに発言すると、
知らずに
社会的に害になる発言をしてしまいます。

言論の自由とは、
すべて、完璧な人間はいないから、
ある権利であり、

それにより、
他人を害する目的に使用してはならないのです。

言論の自由以前に、
土台に、
基本的人権の尊重があるのだから。

by天照皇大神

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参考までに。。。

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