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誕生日の空

先日、とあるイベントに行った。そこで温灸をしてもらったのだけれど、その鍼灸師さんにこんなことを言われた。
「自分に"私は幸せになる"って言うのよ。脳は、それが誰に言われたのかは区別しないの。だから、誰かに言われるのも自分で言うのも変わらないのよ。朝起きたら"私は幸せになる"と言ってみてね。本当に幸せになれる気がしてくるのよ。」と。
なるほど、脳の思考に悩まされている私にとって、この言葉は必要であり有効だと感じて、私もやってみようと思った。

そのあと、朝起きて自分に"私は幸せになる"と言うことをイメージしてみた。すると、想像した途端、私の上半身にもやーっと不安がまとわりつき、怖くなった。やっぱりか、と私は思う。
というのも、思春期の頃から自分を否定的にみていた私にとって、私と「幸せ」が結びつくことはなく、結びつくとしたら何か代償があるのだと、なぜだかずっと思い込んできた。それが故に「幸せ」と「怖い」という感情が心の中でこんがらがり、セットになってしまっているのだ。
「幸せになる」ことへの高い壁を見上げ、私は早々にその試みを諦めた。

そんな私も30代後半。私がこんがらがった心をちょっとずつ解いている間も、時間はむしろ速度を速める様に進んでいく。今年もあっという間に誕生月が近づいた。
30代後半のプラス一歳は、個人的にとても重い。歳を取るのも憂鬱なお年頃になっていた。
そんな時、これまた先のイベントで温灸とは別に、占いもしてもらったのだけれど、その占いによれば、ちょうど誕生日を迎える歳から私の運気は上がっていくのだと言う。このあとの十年二十年と、本当に良い運気なのだそう。その言葉を聞いて私は俄然、誕生日が待ち遠しくなった。

けれど現実はちっとも甘くない。誕生日までのカウントダウンが始まったというのに、とても大切な日に嬉しくないことが起きたり、それが理由で将来を案じたり。私なんて私なんてと、心はどんどん曇っていった。
そしていよいよ誕生日前日の夜。いよいよだと思いながら、私は救いを求める様に明日の扉に手を伸ばし目を閉じた。

朝。目が覚めた。最初に目に入ったのは、シーツに染みた見事な涎。シーツを汚すことが嫌いな私は「オーマイガー!」と小さく叫ぶ。そしてはたと気づく。今日は誕生日だ。そしてその一言目が「オーマイガー」だなんて!やってしまった!咄嗟に何かで打ち消さなければと思った私は、力強く、「私は幸せになる!」と言った。
占いの言葉と咄嗟の勢いで、その瞬間幸せが怖くなかった。

人間とは、おそらく本来は単純な生き物なのだろう。しかし、脳や思考が複雑化するにつれ、生きることすら難しく考えるようになり、心がこんがらがってしまっているのだろう。
「幸せになる」ことへの高い壁だって、心が映し出した雲なのだ。はっきりと立ちはだかっている様で、実際は視界が悪いだけの微粒子。
余計な考えを巡らす隙さえ与えなければ、晴れた空の様にクリアな視界が広がり、怖がらずに未来に向かえるのも知れない。そしてふと気づけば、幸せにだってなっているかも知れない。



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