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閉ざされた中で耳を塞ぐ


また虐待のニュースがテレビから流れた。

子どもに薬物と異物を与え殺すという内容にショックを感じて意識をテレビに向けると
日頃から行われていた虐待の内容に「心理的虐待があり保護された過去」があった。

蘇るものがたくさんある。
私が虐待を受けて育ったと気づいたのは大人になってからで、
子どもの頃から父親が唐突に癇癪を起こし母親と揉める、巻き込まれが突発的に目の前で起こっていたこと。
それはよく世間で言う「夫婦喧嘩」、笑い話となるような言い合いではなくて
大声で怒鳴りつけるから始まる暴言、人格否定、果ては周りを巻き込んで八つ当たり、暴力も目の前で繰り広げる。
家の敷地内場所を問わずいつも怖くて自分を責めながら耳を塞いでいた。

「うちはどうやらよその家と違ってどこかおかしい」
「ただこの突発的な親がもたらす現象の名前が分からない」
「ただただ不快だし家に帰りたく無い」

その気持ちは大人になっても消えなくて
帰省するたびに期待しても親は変わらなくて何ならそんな過去はなかったように振る舞ってくるのが不思議で、ある時他の虐待について調べている内に自分がされていたのは「心理的虐待」で、私は被虐待児だったという事実にたどり着いた。

子どもの頃、まだ昭和の感覚が残る地方の片隅では躾に多少の暴力は当たり前で
かつ家庭のことは各家庭で解決する閉鎖的な価値観もあってか父親の何時間にもわたる罵声も隣近所には筒抜けだっただろうけど誰も触れてこなかったし、
私の記憶に一番残っているのは庭で大声で暴れ回った父親と隣家の前を通った時に隣家の外にいた子どもが信じられない顔をして私たちを眺めていた時間で
あの時「あ、やっぱりこれって誰も言わないけどおかしいんだ」って恥ずかしく思いながら下を向いて歩くしかなかった。


悲しい虐待死のニュースが起こるたびにどうして。自らの手で死なせる位なら子ども作るなよ、って思う。

自分の弱さを隠すために弱いものを思うままに黙らせていたぶって傷つける行為が心から許せない。
傷つけらる者への想像力がないからできるのか。

今虐待を受けている子どもがいたら1人でも無事に生きて欲しい。助かってほしい。
誰かがSOSに気付いて救い出してほしい。
子どもは異常だと分かりづらいし言葉が見つからないしSOSの出し方も分からないことの方が多いだろう。私はそうだった。

でも分かったても大人に摘み取られてしまうこともある。どうしたら救えるんだろう。
大人にできるのは。

大人は子どもには親が必要って言うけれどそんなの虐待が起きている家庭には当てはまらない。子どもが折れる形で家庭に戻される必要ないんだよ。

虐待するような親、捨てても良いんだよ。
「親と子」に「家族愛」に縛り付けられないで。
虐待を受けていた、受けているどこかのだれかへ届きますように。


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