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場面緘黙でも学校に通ったり学校のイベントに参加するべきか?

場面緘黙で上手く話せず学校に通うのが辛くても、将来の事を考えて全日制の学校に通い続けるべきか?

修学旅行等のイベント事も参加するべきなのか?

もし通信制の学校に進学するなどして、人と会う機会を減らしてしまったことによって、場面緘黙の改善の機会がより減ってしまったらどうしよう?

そうした事に悩んでいる当事者の方や親御さんも多いのではないでしょうか。

場面緘黙を大人になってから知った私は学生時代は話せないながらに全日制の学校に通い、学校のイベントもほぼ参加していましたが、自己分析が進んだ今の私がもし過去に戻れるならどんな学生生活を選択するかというのはよく考えていて、いつか記事にしたいなとずっと思っていました。

そんな中で場面緘黙の子を持つ親御さんから、上記のようなお悩みについて質問をいただくことも何度かあったので、今回ようやく文章にしてみました。

私は専門家ではないので、自分の経験を通しての「今の私だったらどうするか」といういち個人の考えとして聞いていただければと思います。


まず最初に簡潔に答えると、
学校は通信、イベント事は不参加でもいいと私は思います。
そうするべき、というよりも当事者の希望を尊重したほうがいいという意味です。
(話せなくても学校に通うのが苦ではない子ももちろんいます。)

私は高校は全日制、修学旅行等の学校のイベントは高校1年生までは全て参加していました。
でも場面緘黙を知り、自分の色んな特性を知った今の私が過去に戻れるとしたら、私は学校は通信で、イベント事も不参加にすると思います。
(もしくはもし周りの協力が得られるなら、イベント事は無理のない範囲で時間を決めて参加)

私は小学校中学年位から自分の話せなさに危機感を持っていて、周りからも「社会性がない」「そんなんでこの先どうするの」なんて言われたり、言われなかったときも無言の圧力をずっと感じていました。
社会に出る前になんとかしなきゃ!こんなんじゃ大人になるにつれてもっともっと大変になるに違いないと思っていました。
きっと今場面緘黙に苦しまれている方やその親御さんもそういう不安もあるんじゃないかと思います。

でも私がそうした思いで必死に通い続けた学校で得たものは、今でもフラッシュバックするいじめ経験や失敗経験、自分が周りと同じようにできないという劣等感、自分は駄目な奴だ生きててごめんなさいと常に思ってしまう思考のクセ、異常な自己肯定感の低さなどでした。
嫌でしょうがなかったけど行くしかなかった林間学校や修学旅行も、皆の輪に入れず、ずっと不安とみじめな気持ちでいっぱいで、いい思い出は全くありません。

唯一高校2年生の修学旅行は家庭の事情を表向きの理由に(でも半分は自分がもう集団旅行がしんどすぎるのをわかっていたから)行かなかったのですが、
同学年が誰もいない学校に登校し、自習室で数時間勉強して帰る…というのは、それはそれでなんだか特別感があって楽しかったです。
むしろ今まで行った旅行より一番楽しかったしわくわくしたかもしれません。
修学旅行はほとんどの人が経験しますが、行かなかった経験はそうそうしない貴重な経験ですしね!

少し無理をしても、学校で色んな人と接した方がいいのでは…?
学校に行かない事を認めてはますます話せなくなるんじゃ…?という気持ちもわかるのですが、
なんとかしなきゃ!と先の事を考えるがあまりに今無理をして、トラウマを増やしたり心を壊してしまっては意味がないんですよね。
私はいまだに気圧や天候などによっては物凄いメンタルの調子が悪くなったりするし、一度壊れた心を完全に元に戻すのは難しいというのを実感しています。

私の場合2冊目の本「話せない私研究」でも描いたように、場面緘黙を知り自分の事を分析していった結果、
自分の話せなさには発達障害に近い傾向(確定診断は受けていないのですが、色々と当てはまる所があります)や聴覚・感覚の過敏さが関係しているとわかってきました。

いまではさらに自己分析が進み、こちらの記事でも書いたのですが↓
https://note.com/amemorinaga/n/n8cb3df4d8c87?magazine_key=md7434d95d9fc
この生まれ持ってしまった特性がある以上は、学校のような強制的に集団行動をし続けなければならない場所では、例え今の私でも場面緘黙や緘動に似た状態に陥る可能性は高いと考えています。

学校というのは常に大勢の人が騒がしくしていて、授業中も休み時間も人の声の刺激から逃れられない、色んな予測不能の事が起きる、自分の特性と相性最悪な地獄のような場所なんです。
ましてや旅行となるとそこにさらに、行ったことのない場所で日常とは違う様々な刺激に晒されるという、楽しいより負担が上回る過酷なものだったりします。

集団生活に馴染めない事を私はずっと甘えだとか社会性がないと思っていましたが、
よくもまあこの特性を持っているのにあんなに長い間、ボロボロになりながらも学校に通い続けられたな!?と今なら思います。
(結果的にそれで心を壊したわけですが。)

学校に通うのが辛い場面緘黙の方みんなが私と同じような特性がある訳ではないとは思いますが、当事者自身もよまだくわからない、目に見えない話せなさの理由があって、学校という集団行動の場はその理由と相性が悪い可能性もあります。

話せるようになるためのステップとして必要な事は、普通に学校に通う事にこだわるよりもまずは

・過ごしやすい環境を模索し、心身が安定できる場所を増やしていく事
・専門家の力を借りたり色んな経験を通して話せなさの理由を一つ一つ紐解いていく事
・スモールステップで少しずつ段階を踏んで話せるよう取り組む事
・将来的には話しやすかったり過ごしやすい仕事を見つけて働けるように試行錯誤していく事

などなのではないかなと思います。

もちろん勉強は大事だし、無理なく学校に通えればそれが一番なのは間違いありません。
しかしそれは、心が壊れない範囲で問題なく学校に通えるタイプの子の場合です。
学校以外でも色んな経験はできます。
むしろ全日制よりも通信制の方が、自分の生きやすい環境を探す時間が取りやすいし、悪いものとは限らないんじゃないかなと思います。

場面緘黙の専門家の高木先生は、子供の将来の選択肢を増やすためには「まずは色んな経験をしてみる事」という趣旨のお話をされていました。

私は話せるようになる為に役立ったのは学校生活よりも、同人活動を通しての人との関わりだったり、色んな職場を転々をした末に出会った自分の性質と相性の良いゆるい職場のおかげだと感じています。
林間学校や修学旅行は楽しめなかったけど、同人活動で得た友人と自分の特性をカミングアウトした上で旅行に行き、大人になってから友達との楽しい思い出を作る事もできました。

そして今、接客業をやめて漫画家・イラストレーターとして個人事業主になりましたが、ほとんど人と話さないで済む仕事ができてとても楽で、今までの苦労は一体…もっと早くこういう生き方を選べていれば…と若干唖然としています。
もちろんこの仕事でもすごく苦手な通話をしなければいけなかったり、不安定な仕事ゆえの悩みや辛い事もたくさんありますが、自分のやりたい事・そしてもう後がないと思えば、心を折らずに頑張る事ができています。

今の私が過去に戻れるなら通信制の学校を選び、もっと若いうちから自分の興味ある事(私の場合は絵ですね)を伸ばし仕事に繋げるよう試行錯誤したり、興味のある分野のコミュニティに参加してみたり、病院に行って専門家と繋がって無理のないステップで人と関われるようにしていたと思います。
学校に通わないからといってただ引きこもるのではなく、自分なりにできそうな事にチャレンジしてみたり、将来の事を考えつつ色んなアプローチをしていくという感じですね。
学校行事に関しては、旅行などで自分が安全に休める場がなく負担が重すぎそうな時は不参加、
学校内で行われる行事については音の刺激から逃れられるように数時間ごとに静かな場所で休ませて貰ったり、最初の2時間だけ…など参加時間をあらかじめ決めて参加したと思います。(※周りからの協力が得られた場合)

今はどんどんと多様性が認められてきて、今まで「普通」とされてきた生き方以外にもいろんな選択肢はあります。
そして若ければ若いほど、その選択肢は多いです。

こういう事を書くと、あなたは元々絵を描く才能があったから普通以外の選択肢を選べただけでしょ、なんて大抵言われるのだけど、そうではありません。

それ以外の事が人並にできなくて、絵だけは人並程度だったんです。
だから怖くても、普通なら心が折れそうな時でも、これを手放したらいけないって必死こいて描いたり色々工夫して続けてきて、今になってようやく仕事に繋げるようになったのです。
本当に才能があれば今もこんなに貧乏生活は送っていなかったでしょう。
漫画絵に関してはずっと描き続けて来たのにまだまだ下手くそです。
絵を描く事が純粋に好きと思えるようになったのもこの数年位の話です。

でも、最終的に私が絵を仕事に選んだのは、他の科目よりは理科と数学がちょっとだけできるから理数系の道に進もうって考えるのと何ら変わりはないのではと思います。

ものすごく特出した何かを持っていなくったって、自分の手持ちの札の中でより無理のない進路を選ぶのは自然な事。
だからこそ、普通にならなきゃ!と無理に普通の学生生活を送るのではなく、もっと若いうちから自分のできそうな事、得意な事を見つけて、それを伸ばせるような生活の仕方をしたり、将来仕事に繋げる努力をもっと具体的に考え行動しておけば良かったと思うのです。

場面緘黙を知らずに大人になってしまい、選択肢がほとんどなかった私としては、普通以外のいろんな選択肢も視野に入れていただけたらいいな…と思います。

他にも以前参考になりそうな質問回答もしていますのでよろしければこちらもご覧ください。
https://note.com/amemorinaga/n/n7ab533332183?magazine_key=md7434d95d9fc
この他にも場面緘黙関連のコラムも色々と上げています。


※追記※

やりたい事によっては学校に通わなくては取れない資格が必要だったりする事もあると思います。
その場合は合理的配慮を受けながらできるだけ通った方がいいとは思います。心が壊れない範囲で。

私も美大や美術系の専門学校を出ていればもっと絵の仕事の選択肢も広かったのに…とは思っています。
(でも当時の私の精神的にあれ以上の学生生活は無理だった)

ただ私がネット上で作品を発表してそこから書籍化したり絵の仕事を貰えるようになったように、今は正規ルート以外にもやりたい事・できる事に近い仕事をする方法があったりするので、色々模索してみるのも手。
特に若ければ失敗してもリカバリーが全然効くので、失敗してもめげずに色々試してみたほうがいいよ~!と思います。



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