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なぜ山田さんとは仲良くなりそして今も友達でいられるのか

さて、今回は山田さんと私の場面緘黙症の関係性について書こうと思う。

(pixivFANBOXで3回に分けて投稿したものをまとめたのでとても長いけど、興味のある方は読んでいただければ嬉しいです。個人の話なので参考になるかはわかりませんが…;)

ここを読んでくれている方は説明せずともわかるだろうが、山田さんとは私の小学生からの幼馴染で、場面緘黙症時代から現在にかけて唯一付き合いのある友人である。
今でも遊んだり、悩んだ時やしんどい時話を聞き合ったり、気が付けばお互いの事で知らない事はないのでは…?という関係だ。
普通に言えば「親友」と呼ぶべき存在なのかもしれないけど、心を通わせ合っているというよりは、過酷な家庭環境や学校生活を共に生き抜いた戦友のような、生き方を観察し合っているお互いの傍観者のような、近いけどとても遠いような…そんな感じだ。(どんな感じだよって思われるかもしれないけど、マジでうまい言葉が見つからないのだ。)

第5話のオマケ漫画で、私が場面緘黙をカミングアウトするまで、私が昔話せていなかった事に山田さんが実は気づいておらず衝撃だった話を描いたが、彼女が気づかなかったのは、「山田さんの前では私が話せていたから」以外にも理由があると考えている。

そしてその理由は私が場面緘黙症でも山田さんとは話せた事、様々な躓きを乗り越えて20年近く経った今でも山田さんと交友関係を続けられている事とも、大きく関係していると思う。


場面緘黙症で特定の人としか話せない事はもちろん大変ではあったが、
私自身の生きづらさを何より助長し続けてきたのは、
「自分が他の人と何かが違うことが誰かにバレてしまう」という恐怖心だ。
この恐怖心は場面緘黙の発症の要因にもなったし、人との付き合いにおいても常に自分を苦しめてきた。


大きなきっかけは覚えていないが、私は初めての集団生活の場である幼稚園に入った時点で、
「どうやら私は皆と何かが違う。」
というのを感じ取っていた。

集団生活の中でどんな風にするのが良しとされているのか、その場で求められている事を察する事はできるのに、どうしても自分をそこに上手い事当てはめて行動する事ができない。
皆が当たり前にできている事が、とても不安だったり恐ろしく感じる事がある。

でもそう感じている事が誰かにバレるのもとても恐ろしい。


「他の人にとっては大した事なさそうな事でも、とてもとても緊張してしまうのをバレたくない。」

「友達を沢山作って皆で仲良く元気に遊ぶことが良い事で、だから一人が好きな自分をバレたくない。」

「皆が好きな流行りの曲も、噂話も悪口も、興味が持てないのをバレたくない。」

「あの子達がどうして話が噛み合わず喧嘩になっているのか、すれ違いの原因が私にはわかるけど、それがわかってしまうのは子供らしくないし、おこがましく傲慢な気もするからバレたくない。」

「皆で仲良く遊ぶ事にあこがれているはずなのに、同時に自分には理解できないし煩わしいとも思ってしまっているのをバレたくない。」

「皆が大笑いしているけど、何が楽しいのかわからない。うるさい。そんなふうに思う自分は嫌な奴だからバレたくない。」

「女の子達はそれぞれ可愛い遊びを楽しんでいるから、私が虫を捕まえたり自然の中で遊ぶのが大好きなのはバレたくない。」


皆が何の気もなくできる事に、ものすごく緊張したり恐怖を感じたりする。
皆が楽しんでいる事にあまり興味が持てないことが多い。
まわりの女の子達が顔をしかめるような遊びが実は好きだったりする。

「私がそうやって何やら皆と同じになれない事が、誰かと関わったり会話した事で露呈されたらもう私は終わってしまう!」

ずっとそうした気持ちがあった。
物心ついた時から当たり前にそう思いすぎていて、自分でその思いをしっかり自覚できたのはまだ最近の事である。

どうして他の人達は当たり前に、「自分」のままで次々に色んな人と話したり怒ったり笑ったりできるんだろう。
「あるがままでいればいい」って言われるけど、本当にあるがままの自分は皆とズレているから引かれるのはわかりきっている。
だから自分自身の事より先に「相手がどう思うか、傷つかないか、相手から見て私は変じゃないか」そんな事が気になってしまうし、そこを気にして相手に合わせた自分を演じていると「○○さんの前での自分」は会う人によって変わってしまうので、複数人の前だとどの「自分」を出せばいいのかわからなくなる。

皆とズレていたっていいという考えは、自分の中には存在しなかった。
何が何でも良い子でいなければ許されない。
だって皆と違うと思うのは、私がダメな子だからで、皆に合わせられないのは私のワガママだから。


どこか皆と同じになれない自分を、とても恥ずかしく化け物のような存在だと感じていた。
何か皆と少しでもズレた行動・発言をしたら化け物の自分がバレてしまうに違いない!

そう思っていると、集団生活の場ではどんなささいな事でも発言する事が命がけになってくる。
言葉を求められても、何てことない会話の「正解」がわからなくて、喉の奥で何かつかえたように話せなくなっていった。
自分がどう動けば間違えでないのかもわからなくなり、体は硬直し机に張り付いたように動けなくなってくる。
なんだかずっと息が詰まって呼吸が苦しい。

でも皆の普通に合わせようとしただけで、こんな風になっているなんてバレたくない!
ますます変に思われる!


生まれ持った不安になりやすい気質・その他様々な性質・状況を悪化させる環境等、
私の発症には複合的要因があると思うのだが、(これは今後漫画の中で描いていく予定。)
自分の言葉で一言にまとめると私にとっての場面緘黙症とは、
「普通にならなければという思いとの戦い」だったと思う。

皮肉な事に、自分が普通でない事がバレるのを恐れるあまりに、普通ではない事態に陥ってしまっていたのだ。


だから化け物ではないその他大勢の人達が、私が話せない事について過剰に反応したり、話せない事を前面に押し出した上で関わろうとしてくる事は、自分が他の人と違う化け物である事を露呈させられる行為でしかなかった。
どんなに好意的に近寄ってきてくれたとしても、「普通」ができている人が側にいるだけで、自分が化け物である事を実感させられみじめな気持ちになるだけだった。

そんな私が誰かと交友関係を深め、持続するのはとても難しかったと今でも思う。
(好意的に関りを持とうとしてくれる事にはありがたい、感謝しなきゃという思いもあったが、その思いもまた、最終的には話さないのを良い事にサンドバッグ代わりにされたり、宿題をカンニングされたり、挙句には性的被害に遭ったりと、悲しいかな都合よく利用される事も多かった。)

でもそんな事言ったって、実際にあなたは話せないのだし、他の人と違うんだからしょうがないじゃん!
じゃあどう関わればいいんだよ!と思う人もいると思う。
っていうか私自身、周りがそう思うであろう事もわかっていて、それもわかっているからこそ、周りに理解を求められずどうしようもなく孤独で、ますます身動きが取れなかったのだ。


そんな非常に難しい状況の私と山田さんは小学4年生の時に出会い、気が付いたら20年近く友人を続けられているのである。なぜなのか。


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