見出し画像

早期流産を経験した話

前回の記事の続きです。
タイトルの通りです。詳細を書いてはいませんが、ご自身の心と相談の上読み進めていただければ幸いです。

▼前回の記事はこちら

妊娠がわかった私は、型にハマったようなマタニティハイに突入した。
当時はマタニティハイという言葉すら知らなかった。

妊娠した。おなかに、命がある。

驚きと喜びと不安と実感のなさでソワソワしていた。
「妊娠初期は不安定」ということはもちろん理解していたものの、心のどこかで「自分には関係ない」と思っていた。さすがにSNSで報告したりはしなかったものの、心拍が確認できた頃にはつわりの症状も出ていて、会社の同じチームで働くメンバーには共有したりもしていた。
(本旨とは逸れるが、初期の頃の妊娠を隠すのって結構難しい。体調も悪くなるし、急にお酒やカフェイン、生魚を避ければそれだけでわかる。察しても言わないのが大人のマナーなのかもだけど。)

そして、早期流産を経験した。

この頃のことをどう書いていいのか迷った。
正確にいえば、どこまで文章として形にしていいのかが決められなかった。

何が起こったのかはすべて覚えているし、書ける。どんな感情になって、時間の経過とともにどうやって気持ちが変わっていったのかも、書ける。
けれど、言葉にできるものを包み込むように言葉にできない靄がかかっているような感覚があって、私はそれを丸ごとハッキリさせないまま、ずっと自分のおなかの中に残しておきたいと思うのだ。

流産は、家族を失うことだ。
幸い、私は子どもの他に身近な家族を亡くす経験をしていないのだけど、きっと同じような感覚になるのではないかと思った。時間と共に整理される部分もあればずっとできない部分もあって、でもそれを丸ごと、ぐちゃぐちゃのままで、自分の中に残しておきたい。

つらい過去も後々自分の糧になる、というようなありきたりの表現はしたくないけれど、流産を経験したことで得られた気づきもたくさんあった。
一つは、出産の奇跡を改めて思い知ったこと。周囲の何人かには妊娠を伝えていたため当然流産のことも伝えることにはなったが、意外なことに「私も経験した事がある」と打ち明けてくれる方が多かった。
巷で言われている以上に身近なことなのだと思い知ったし、「避妊をすれば当たり前のように妊娠し、当たり前のように元気な赤ちゃんが生まれてくる」という若い頃から抱いていた固定概念をガツンと砕く事ができたのは自分にとってプラスだったと思う。

もう一つは、「私、子どもが欲しかったんだ」と認識できた事。
たった数週間でも自分を母親にしてくれた我が子には感謝しかない。あんなに不安しかなかった妊娠・出産に対して前向きな気持ちになることができた。私は母親になりたかったのだと、自分の気持ちに気づかされた。

妊娠・出産は当たり前のことではなく、奇跡の連続だ。そのことを頭で理解していることと、身をもって実感していることには天と地ほどの差があると私は思う。
人から無神経な言葉で傷つけられることは時折あっても、傷つける側ではなくて本当によかったと、心底思う。

この長い文章を最後まで読んでくれた方の中には、きっと同じ経験をしたことがある方もいるのではないでしょうか。
誰よりもつよく、誰よりもやさしいあなた。どうか自分を責めないで。
笑って、生きていきましょう。
あの子たちが心配しないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?