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妊活をはじめる決断ができなかったあの頃

「妊活」って言葉はいつから使われているんだろう。
自分が年頃でかつ関心があるからよく目につくのか、それともやはり最近になって一般化した話題なのか。
とはいえ両親が私を産むときにも存在した言葉なのだろうか、とは思う。

何しろ私は、ほとんどの女性がおそらくそうであったように、「避妊をしなければ妊娠をする」と当たり前に考えていた。むしろ「うっかり妊娠してしまわないようにしなければ」とさえ思っていて、夫が時たま避妊を面倒くさがろうものならば飛び上がって注意するほどに警戒していた。
だって若い頃は「気をつけなさいよ」って教えられてきたんだもん!

だから正直なところ「妊活=不妊治療」くらいに思っていて(今でも正確にはそうなのかもしれないけど)、遠い世界の話だと思っていた。
でも実際は妊活って妊娠するまでのアレコレを総括した単語で、本当に一人一人にそれぞれのドラマがあるんだなと今では思う。
そんなわけで、私の場合のアレコレを備忘録も兼ねて綴ってみる。

私が避妊を異常に気にしていた時期は、自身が子どもをもつことについてはっきりと結論を出せない時期でもあった。
私の勝手な解釈では、まず子どもをもちたいかどうか、の希望を決めることが妊活のスタート地点だと思っていて、ここで葛藤する人も年々増加していると聞く。

あえてハッキリと書くと、私には「子どもが欲しい」という気持ちがなかった。世の中には「結婚しなくてもいいから子どもが欲しい」とさえ思う女性もいるという。他人の赤ちゃんを見て、「自分も子どもが欲しい」という感情が湧くとも聞く。母性本能というものなのだろうか。私にはそれがなかった。

子どもが欲しくないわけでも、子どもが嫌いなわけでもない。ぼんやりと、「自分もいつかは子どもを産むのかもしれない」とは考えていて、でも一方で一つの命に対する責任を考えたり、子育て経験者の壮絶な生活を見聞きすると一歩が踏み出せなかった。
もちろん、子どもができれば可愛くてしょうがない気持ちに自然となるのかもしれないとも思っていたが、そんな博打みたいな気持ちで命をつくっていいのだろうかという気持ちもあった。

結婚した時期がわりかしはやかったため、周囲に子どもがいる友人がほとんどいなかったのもあると思う。都心で生まれ育ったのもあってか、年齢的には20代後半でありながら未婚の友人もまだまだ多く、出産に対する実感がわかなかった。

とはいえ、出産経験者がよく使う「子どもは授かりもの」という言葉には「欲しいと思ったときに子どもがすぐにできると思ったら大間違いだぜ」というメッセージが込められていることもわかっていた(正確に言うと、この時点ではまるでわかっていない。後に私はこのことを身をもって痛感することになる)。
様々なもやもやした想いがある中で、唯一絶対的に動かない事実は「出産するのであればはやいほうがいい」ということだった。もちろん高齢出産がダメというわけでもないけれど、妊娠や出産のリスクが変わってくるということは漠然と理解していた。
いつかは子どもを、という気持ちが少しでもあるなら、ここで決断すべきなのかもしれない。十月十日も踏まえて逆算すると、思っているより早めに動きはじめた方がいいのかも、とこの時思えて本当に良かったと今では思う。

というわけで、夫婦2人の時間を過ごしてからそれなりの時間も経ち、すぐには妊娠できないかもしれないし(と言いつつ、この時の私は「避妊をやめてから長くても1年とかぐらいかな〜」とのんきに考えていた)、年齢的にタイムリミットもあるし、ちょっとそろそろ考えてみましょうか、と夫婦で話し合って妊活をはじめてみるという結論に至った。

避妊をやめてから、なんと1ヶ月で妊娠した。

そしてその1ヶ月後、早期流産を経験した。


書き殴っていたら思った以上に長文になってしまったので、次回の記事に続きます。

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