ぐらしあすの「自分を守らないということ」

ぐらしあすの対人関係苦手さは、「常に自分を守る」という昔からの癖が原因だと思います。
自分を守る(心理面も行動面も)ということはとても重要なことです。

ただ守りすぎると、自分をさらけ出すことを恐れ、自分と他者との境界線が、かなり自分よりになってしまい、それゆえ他者に近づけない(近づいていこうとしない)状況が続いているのだと思います。

昔の友人たちとのコンタクトを自分から「取りにくく」なってきました。
数少ない親友にさえ、自分から境界線を相手に近づけにくくなってきて、それは親友からしたら、ぐらしあすが「そっとしておいて」という目に見えない遮断のようなもの(それは本当は逆の意味)として捉えているのかもしれません。

ぐらしあすの「こころの中」では、友人に対して境界線は近いので、余計にさらけ出せずに臆病になっているのです。
これ、友人に説明するとしたらかなり難しいです。
言葉を通り越してしまうどころか、言葉の手前までしかいけないと思います。

今友人を例にあげましたが、
自分をさらけ出して友人に会いたい →  ある意味「自分を守らない」ということ

自分をさらけ出すのが怖くて友人にコンタクトをとれない → 「自分を守る」こと

ぐらしあすと他者との関係は、その親密具合によって、自分を守るか守らないかはバランスをはかればいいと思うのです。そして「この人と知り合いになってもっといろいろと話したい」と感じれば、どんどん相手の懐に入っていけば良いのです。

理屈ではそう思っていますが、現実はなかなかそう簡単にはいきません。 

「会いたい」「会えない」という心理的拮抗が、ずっと苦しくて、人間関係をうまく築いていくことが苦手な癖が今もって続いています。

対人関係のみならず、「石橋をたたいて渡らない」みたいな面が強く、そのことはぐらしあすの行動面にも大きく影響をし、結果、ここ30年程前からは、一時が万事の状態で今日に至っているのだと思います。

ではどうすればよいか、どうしたいかが今後1番の課題です。

「振り返らずに前を見ろ」とは、よく聞く言葉ですが、振り返りは重要で、そこから先どうしていくかはもっと重要だと、自己内省しております。
そのあたりのぐらしあすをぐらしあすが変化していかないと、なんら望む方向へと変わっていけないと思います。

恥ずかしながら人生の峠を越してから、「自分を知る」ということを考えるようになってきました。


ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。