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“天才”とは才能に縛られた者のことである【蜜蜂と遠雷】

きっとこの本に惹かれるのは私が「天才でない」からだろう。
あちらから見える景色を感じたいと、
1ページまた1ページと本を捲っていく。
あんなに羨んでいた彼らなのに、全てを読み終わったときに同情さえ感じてしまう。
〝天才〟とは才能に縛られた人たちのことなのかもしれない。


『蜜蜂と遠雷』恩田陸 感想


『蜜蜂と遠雷』は恩田陸の長編小説。
第156回直木三十五賞 第14回本屋大賞ダブル受賞作。2019年には映画化もされ話題となった作品だ。

国際ピアノコンクールに挑む4人のピアニストの青春群像劇。
幼い頃からピアノと音楽に明け暮れてきた天才達の苦悩や葛藤、そして成長する姿が描かれている。

この作品の見どころといえば、小説の中の音楽の描写が細かく、まるで映像を見てるかのように音楽が流れてくることであろう。
作者の恩田陸は「小説でしか再現できない表現を追求した」とインタビューでも回答するほど。
天才たちのピアノの音色を本で体験してほしい。


が、今回はその音楽性よりも
〝天才〟について思うところがあったので感想を書き残しておきたい。


4人の異なる〝天才〟

その業界に名を馳せる人々は物心着く前からそのモノに出逢い、魅せられて、人生の大部分を捧げるのだろう。
この世界で一瞬でもそんな体験をできる人ってあまりいないのではないか。

特に音楽界は、幼い頃から習い事に励んで音大に進んだりするエリートのイメージがある。
この物語の4人の〝天才〟は、私たち一般人が思い描く天才そのもののマサルや
過去にトラブルがありその才能から離れていた亜夜
最年長コンテスタントながら最後のチャンスと〝天才〟に立ち向かっていく社会人の明石
突如として現れた神童、塵
4人(実質試されているのは3人だが)の〝天才〟がただ順風満帆に行くのではなく、ピアノが好きかどうかを常に試され続ける
そんな苦悩と葛藤をここで体感ができる。


〝天才〟とは才能の呪縛ではないか

私自身、ずっと〝天才〟を羨ましいと思っていた。
何をやらせてもサラッと吸収し、いつ見ても楽しそうに表現をする。
影で努力をしてるとは分かりつつも、その輝きに嫉妬をしていた。

ただ〝天才〟はその才能故にそこから離れることが許されない人たちなのだとしたら。
努力して永遠にその才能と向き合う運命なのだとしたらどうだろう。
今まで嫉妬してきた〝天才〟たちにどこか愛おしさえ感じてしまう。
私が〝天才〟になれなかったことにもちゃんと意味があるのかもしれない。
今もどこかで才能という呪縛に縛られる〝天才〟たちへ拍手を送りたい。




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