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【気づき】肩書きは誰が決めるのか?

どうも、地方公務員のばたやんです!
今回は肩書きについて考えてみたので、まとめていきます。


🔷考えていること

「仕事」という言葉の成り立ちってなんだろうと思って、いろいろ調べたりしていく中で、『仕事とは、「事に仕える」ことである』という一文に出会いました。

ほんと、この一文に尽きるなと感じますね。

人や組織に仕えるわけじゃなくて、何をするかに仕える。
ここでいう「仕える」は「忠を尽くす」と捉えてもいいかもしれません。


🔷現代の日本の働き方は歴史的に見てもイレギュラー?

さらに調べていくと、興味深いことがわかりました。

現代の日本で基本的な働き方といえば、1つの会社に勤め上げることでしょう、最近は転職がしやすくなったり副業の議論が持ち上がったりと変化が見られます、しかしながら未だスタンダードなのは1つの会社に勤め続けるスタイルでしょう。

しかしながら、歴史を見ていくと職種の分業や専業が進んできたのはここ100年ほどのことで、300年続いた江戸時代には、農家は農業だけでなく様々な仕事をすることから「百姓」と呼ばれいたり、商人や職人は午前中自分の仕事をして、午後は町内のインフラ修繕などをやったりと1人の人間が様々な仕事をこなしていた期間が長くありました。

こうしてみると、 1つの会社で働き続けるのは、戦後70年程度の日本における特殊な労働環境といえるでしょう。


🔷気付いたこと

個人活動用の名刺を配っていて気づいたんですけど、ばたやんの名刺に肩書きはない。

「シアーハートアタックに弱点はない」みたいな言い方になっちゃった(笑)

話を戻します、そう、個人的に肩書きってどうしても固定化する印象があって、加えて私が行う活動って複数あるのであえてコレだ!っていう肩書きが書けないんです。

だから、ばたやんの名刺には"できること"しか書いていない、肩書きはクライアントが私に何を求めるかで変わるからです。

ときにグラフィックやる人、ときに写真を撮る人、ときにカラーコーディネートする人、人間の本質は多面的なはずなので、何かひとつだけしかできないなんてことはないかなと思うんです。

肩書きなんてのは相手が決めることだし、そこにこだわりがなくなった。

それに気づいた今日この頃でした。


🔷わかったこと

歴史的に見ても現代の日本の終身雇用的な働き方は一時的なものである、そしてそれは徐々に変わり始めている。

いろんな事に仕えるのが人間のスタンダードであるなら、肩書きは結果として複数になる。

複数の肩書きや名刺を持っている状態は「人間は多面的である」という本質に向かう過渡期なのかもしれませんね。




今回は短いですけど、考えたり調べたりしていく中で面白いなと思ったので書いてみました。

それでは、地方公務員のばたやんでした。

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