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なんにだって「理由」はある

幼い頃を振り返ると「怒られる」ことが多かった 
「気ままで難しい子」というのは否めない

「怒られる理由」は色々ある まぁ、正直もう小さい頃のことはあまり覚えていないのだが、、、

食べ物の「好き嫌い」と夕飯前にお菓子を食べてしまって夕飯が食べられなくなるとか「食事」関係は幼い頃はよく叱られた 「偏食」のせいで頬に白い「はたけ」と呼ばれる斑点が出るほどに

衝撃すぎて忘れられないのは、母が「伊勢海老の頭」を使った味噌汁を夕飯に作ったのを「食わず嫌い」(伊勢海老の頭の見た目が怖い・気持ち悪い)で食べないで食堂ではない仏間で叱られ泣いていた

突然、母が優しくなって私をおんぶしてくれたのだが、そのまま外に出て暗い海沿いにある国道の手すりに私を縛り付けて帰っていった

うちの地元の国道は防波堤と一体型
背後は昼間の青い海と違って真っ暗、波音が恐ろしくも感じる 目の前は国道で夜は夜通し走る大型トラックが往来する 波がテトラポットに当たる音とトラックの通り過ぎる音とで泣き喚いても誰にも聞こえない

少しの間、車の往来がない時に私の泣き叫ぶ声を聞きつけた国道側の同級生のお母さんが助けに来てくれて家に帰ったのを覚えているがその後どうなったのかは覚えてない


「食事に関して」以外でもよく叱られていたと思う(笑

イタズラが好きだったり、言葉の意味をあまり理解してないままに祖父にひどいことを言ってしまったり(私の知らないところで母が祖父に叱られていたと最近になって知った)

う〜ん、考えてみたら「気ままで難しい子」というのは間違いではないから、親が他人にそう言うのも仕方ない

口で叱ってもわからない時は「お灸をすえられた」
これは言葉通りで指先に「もぐさ」を乗せられて線香で火をつける 「指先にお灸をすえる」というのには理由がある 「指先」は痛みがダイレクトに感じるし、痕になりにくい

しかし「慣れ」とは怖いもので当初はうつ伏せにした私に母が馬乗りになって暴れるのを押さえつけていたが、小学校に上がる頃には「お灸でしょ」と指を差し出していたのだ(笑

母のために言っておくが、「お灸をすえられた」ことに関しては恨んでないし、それだけ私が「聞かん坊」だったということ


そんな私も幼いなりに自分なりに考えることがあって、それを「言わないで」拗ねてしまうこともあった だから「難しい子」なのは否めない

例えば、両親とデパートへ行った時に姉が好きなものをあれこれ買ってもらっているのを見ていて幼心に「お財布のお金がもうないかも」などと思ってしまう
それで「もう自分は買ってもらえない」から「言わない」で機嫌を損ねるのだ(笑

「機嫌が悪くなる」のには必ず私なりの理由があって、「理由もなしに機嫌が悪い」のではない

ただ理由を「言わない」もしくは「言えない」のだ

中学校の頃に何かで母と口論になった時なんか、母のいる台所の上の部屋へ行き、「どすどす」と足音を立てて「どすん」と座ったら母が部屋までかけてきてこっぴどく怒られた さすがにお灸をすえるには大きくなっているのでお灸はなかったが 叱っても「うんともすんとも」言わない私に「なんか言ってみろ」というので「あ」と一言言ったら思い切りビンタされた

母のために言っておくが、「ビンタされた」ことに関しては恨んでないし、私が悪いのは今となってはよくわかる

ここまで書いていて「なんて私は悪い子だったんだ」と(笑

誤解なきよう自分のためにも言っておくが、あえて「難しい子」の部分を書き記しているだけで、「100%悪い子」ではないので悪しからず


もう一つ、思い出した

姉が小6、私が小3の時だったと思う、実家が建て増しをしたので姉妹にそれぞれの部屋が与えられた

しかし、「女の子は部屋を綺麗に使う」という父の理想に反して、まだ小学生の私たち姉妹は整理整頓せず、朝脱いだら脱いだままのパジャマが「蝉の抜け殻」状態で床にある ベッドメイキングもしないし勉強机の上もごちゃごちゃで父の期待には添えず

「ちゃんと綺麗にしないならこんな部屋、一つにするぞ!」と父が言っても「右から左」で全然改善せずにいたある日、学校から帰宅すると部屋のある2階からチェーンソーの音が・・・・

慌てて駆け上がると父が姉妹の部屋の間の壁を足で蹴って倒す瞬間だった

そこから姉が進学でいなくなるまで1つ(元2つ)の部屋で過ごすことに

半分は赤い絨毯にストライプの壁紙、もう片方は黄色い絨毯に花柄の壁紙というなんとも言えない部屋になってしまった 

チェーンソーで壁をくり抜くなんてなんてエキセントリックな父だと言われそうだが、そうではない そこまで私たち姉妹がさせてしまったのだ 

建て増ししてまだ新しいうちに自らの手で壁をくり抜かないとならない父の心情を思い起こすと歳を重ねるごとに「申し訳ない」気持ちでいっぱいになる 壁を蹴り倒す父の頬に「きらり」と光るものが見えたのはここだけの話にしておこう(そりゃ悔し涙の一つも出るよね)


ただ、「怪我の功名」というか1つの部屋で姉と過ごしたことは、思春期を迎える姉妹にとっては少なからず良いこともあったと思うし、当時は喧嘩もしたけど、今となっては「喧嘩するほど仲がいい」で姉との仲は良い

それに4つ上の姉がなんでも先に行動するので、姉を「お手本または反面教師」にして「いろいろ」と学んだと思う 1番大きな「学び」はどういう流れでそんな話になったかは今となっては覚えていないが「性格を変えたいと思ったら、変えたいと思った時の年齢の2倍の年数かかる」ということを姉から言われたこと

あの一言のおかげで「変われた」
それまでは教室でヒソヒソ話をするような人がいたら「自分のことを言われているかも」と思ったり、「他の人がどう思っているか」を勝手に自己判断して一喜一憂していたが 「他人は他人、自分は自分」と思えるように少しずつ変わっていった

そして中学の時、昨日まで仲良く登下校していた友人が急に無視するようになった
「何か彼女にしたのかなぁ」と考えても何も心当たりがないまま数日を過ごす
もちろん気分良くないし、もやもやするのでその友人に電話をかけて彼女に言った

「私、何かしたかな?何かしたのなら謝るよ。でも何もしてないのなら謝らない」

彼女の返事は「何もしてないよ」だった

勇気を出して電話をしたが、何が理由で無視されているのかはわからなかった
ただ、彼女に対して「私が何か気を悪くさせること」をしたのでないことがわかったので気にしないことにした そんな風に気にしないでいられたのは「姉の一言」のおかげだったと思う

その友人とは半月ほどて元の関係に戻った
「なんで無視したの?」と改めて聞けば、私と友人が仲良くしているのに焼きもちを焼いた子が無視するように言ったのだとか

私が何もしていなくても「無視されるには理由があった」のだ
それも全然自分と関係ないところに「理由」があったとはね



余談だが姉が進学で上京後の3年間、壁をくり抜かれた広い部屋を1人で使えたので快適だった

ちなみにそのあべこべな部屋は、私が親元を離れた後に再び壁が作られて無事元の2部屋になっている



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