表現

表現の不自由展について【私はロランバルト『明るい部屋』を曲解して語る】

 遅ばせながら、私も多くの議論を呼んだ「表現の不自由展」について語りたいと思う。しかし、私は憲法については門外漢であるし、表現の自由についての議論など、およそ語ることができない。だが、私には憲法の問題などの次元とは別の次元に、この展覧会の核心が、この議論の核心があるように思えて仕方がない。そのため、私は「表現の不自由展」について、現在行われている議論とは別の次元で語りたい。

 私は「表現の不自由展」について語るために、まずロランバルトの主著『明るい部屋』に依拠しようと考えた。彼について詳しい人からすれば、曲解しているように思われるかもしれないが、それでも、私なりの解釈として理解していただきたい。彼はこの本の「狂気をとるか分別か?」という断章の中で、写真の真価としての「狂気」が、社会制度によって分別を与えられてると述べた。つまり、社会制度によって写真は分別の領域に囲い込まれ、その狂気を覆い隠されているのである。狂気を覆い隠された写真には、二つの行き場しかない。一つは、単なる鑑賞物としての「芸術作品」としての写真、そしてもう一つはコード化された写真である。コード化というのは、社会制度によってある一定の意味を持たされるということである。つまり、広告写真なら広告のメッセージとしての意味であるし、社会風刺であるならばその風刺のメッセージとしての意味である。バルトはまた、これをストゥディムとも呼んでいる。ストゥディムとは、写真を取ったものが意図している社会的なコード(意味)なのである。よって、被災地の写真を見て、それを悲惨だと思うのは、単にストゥディムを読み取っているというだけに他ならない。バルトは、ストゥディムに対して、プンクトゥムという概念を挙げている。プンクトゥムとは見るものを突き刺す狂気であり、コード化されていないものである。ストゥディムが「好き/嫌い」の次元に属するのに対して、プンクトゥムは「愛する」の次元に属する。しかし、このプンクトゥムも、写真の分別によって、覆い隠されてしまうものである。

 この写真についての議論が「表現の不自由展」とどのように関係があるのかということだが、それは、芸術の狂気(プンクトゥム)とその封じ込めに関係している。長らく、芸術は完全に鑑賞物としての芸術の領域に封じ込められ(社会によって分別を与えられ)てきた。それによって芸術の狂気は覆い隠されてきたと言ってもいい。確かに、芸術は政治の領域に還元されえないが、それと同時に、鑑賞物(デザイン)の領域にも還元され得ないのである。今回「表現の不自由展」で展示された作品は政治的ストゥディムを持った作品ばかりである。それらの作品の中には、確かに芸術的真価としての「狂気」(プンクトゥム)を有していないものもあるだろう。しかし、問題はそこではない。「表現の不自由展」が一向に憲法の領域で語られるのは、芸術をデザインの領域に押しとどめてきた人たちにとって、これらの作品が領土侵犯をしているように思えるからだ。本来芸術には政治的な力は内包されているはずであるにも関わらず、過度な政治的な領域への侵犯は芸術の権利違反だと思われたのである。「表現の不自由展」はこの領域侵犯を行うことで芸術の既得権益を取り戻そうとしたと言えるだろう。実際、「表現の不自由展」の作品は、完全に政治的な判断基準によって語られている。つまり、世論が「表現の不自由展」について語るとき、作品は全て政治的領域に還元されて語られるのである。しかし、「表現の不自由展」の誤りもまた、そこにある。つまり、「表現の不自由展」は芸術を完全に政治的な領域に還元してしまっているのである。しかし、だからと言って「表現の不自由展」が全て間違っているということにはならない。本来、芸術は全ての領域を内包する。しかし、現在芸術に与えられた領土はかなり小さなものである。芸術は全ての権利を取り戻し、己のプンクトゥムを、自らの狂気を覆うヴェールを解き放たなければならない。

 そのために、芸術は手始めに、政治的領域の権利を取り戻しに掛かった。「表現の不自由展」とは芸術が己の狂気を解き放つ革命の序章であり、その展示が政治的議論を巻き起こした時点で、既に目的は果たされたのである。

【参考文献】ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』(訳・花輪光) みずず書房(1985)

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