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翡翠の指輪

「訪問先で買った服を着るのが現地に溶け込む最良の方法」とどこかに書いてあった。全くその通りだと思う。特に東アジア(日本も含めて)では、いわゆる「どこの国の人感」というのはほとんど身に着けているものから判断しているのではないかと思う。

「そんなことはない、やっぱ顔だろう。微妙に顔の印象が違うので、俺はすぐわかる」などという意見も聞くことがある。しかし実際のところ人は、身に着けているもの(メイクや髪型、メガネなんかも含む)の微妙な違いを敏感にかぎ取って、うちの国の人、外の国の人というのを瞬時に区別していると俺は思う。少なくとも耳の形や蒙古斑なんかを見て区別している訳ではないだろう。肌の色の違いなんかも決めてにならない。実際、昔「愛のメモリー」を歌っていた真っ黒な人が生粋の日本人だったりする。

昔はその国々での流行が異なっていたり、またタイムラグがあったのでいわゆる自国と他国の人は見分け易かったが、最近はウェブ社会で流行の拡散が早いのか、その区別が昔に比べてより難しくなってきているなあと感じるのである。

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私が遠い昔に、駆け出し青二才商社マンだった頃、出張時にいかに日本人臭を消すかに工夫を凝らした時期がある。

アジア内限定とはいえ海外出張に行くようになった俺は、レストランで見え見えの日本人向け料金のメニューが出てきたり、道を聞いてもなんか違うところに案内されたり、なんだったら全然関係ない買い物を勧められたりと言うことを経験して、結構日本人ってなめられてるなと感じたのだった。

まあ、その程度ならいいが、もしかしたら国によってはあまり日本人然としていると襲われちゃったりする可能性もあるのではないかと思ったりもした。さすが青二才、純粋である。そこで青二才、日本人臭を消すにはどうしたら良いか、一応自分なりに考え始めたのである。

周りには色んな先輩がいた。だれが見ても日本人というスーツのザ・商社マンのような人から、海外駐在が長く「国籍不明」を通り越して「意味不明」見たいな感じになっちゃっている人まで様々だった。なんか、長髪を後ろで束ねて髭面の教祖のような人や、近くに行くとカレーや八角のような匂いがする仙人のような風貌の人もいた。染まり方を間違えちゃった、または染まり過ぎちゃった感じの方々である。さすがに俺は、そっちのスパイス仙人方面を目指すのはやめた。

さて、じゃあどうするか。まずは、やっぱり最初は着るものだよなと思ったのである。そこで、皆が開襟シャツを来ているような国に初めて出張した時に、まず街にでて皆が来ているようなものを買って恐る恐る着て見たのである。これはなかなか難しかった。微妙に色々な種類があるので的確に自分が着るべき正しいものを選んでいるか不安が残った。また、着方も合っているのか自信がない。

たまに日本に旅行で来ている外国の方が、浴衣を「俺、完璧だろ?」って感じで着ているのだが、帯の位置が妙に高く「舶来バカボン」みたいになっているのを見たことがないだろうか。

そういう微妙なところはなかなか付け焼刃じゃ判らないものである。余談であるがネクタイを結ぶ時に結び目の下にへこみをつけて結ぶのが最近主流だと思うが、欧米で葬儀に参列する時にはその結び方はご法度なのである。ご存知の方も多いと思うが、そのへこみが「笑くぼ(dimple)」に見えるからなのである。こういう大前提の常識というのが各国にあるが、しばらくその文化と付き合ってみないと中々判らないものである。

そんなこんなで、俺はしばらく「訪問国の方々の恰好になるべく合わせてその国の人に化ける」という方向で色々チャレンジして見たが、毎回やっぱり微妙にばれているような感じがしたので大きく方針を変えることにした。良く考えると、もともと俺の最終目標は「その国の人に見える」ということではなく「日本人に見えない」ということだったのだ。

そう考えると、一番なめられないどこかの国一本に絞って、その雰囲気をまとうことである。

「一番なめられない東洋人 …… ブルース・リーだ!」
さすが青二才、単純である。

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俺は迷わず香港路線を目指すことにした。

そこで目をつけたのが、翡翠(ひすい)である。英語ではJADE(ジェイド)。漢字もイカスが英語の響きもかっこいい。しかも幸運の石だと言う。この翡翠、おなじみの、緑色にちょっと白が混じったような綺麗な石である。留学時に華橋のクラスメートが身につけていた。そいつはブルース・リーと言うより、毎日いい物食ってる Mr. Boo みたいなやつだったが。

そこでチャイナタウンに行き見つけた翡翠のリング。結構安い! おれは「これだ!」と思い、シンプルながら存在感のあるやつを選んで買って見た。大体、普通の指輪なんかもはめたことなかったのだが、部屋に帰って茶色の紙袋から出してはめて見た。そしてその手を鏡に写して見たのだった。すると鏡の中の男はなんとなく香港映画の二流役者のような感じに見えてきたのである。

「これだ!」俺は再び思った(さりげなく倒置法)

ちなみにこの「翡翠」という漢字、俺にとっては、「読めるけど書けない部門の漢字」の一つである。中国語で翡は緋色(赤色)、翠は翠色(緑色)を意味するとのことで、中国の翡翠のイメージには、緑色だけでなく赤色も加わってくるようである。元々は鳥の「カワセミ」を意味していたらしい。カワセミは全身が緑で一部に鮮やかな赤が入っている。

ま、それはともかく、その翡翠の指輪、次のマニラ出張にはめて行ったのである。そしていつもより少しだけ、なんつーか、抑揚をつけた大きな声で英語でしゃべるようにして見たのである。

すると効果テキメンだった! 全体を通じてなんか今までと扱いが違うのである。変な勧誘や押し売りも一気に減ったのだ。その一方、ちやほやされない感はあったが、急速に気楽になったのである。

それから、その翡翠の指輪はアジア出張のお供になった。さすがに日本国内ではつけなかったのだが、出張の時には必ずつけて行った。取引先の人間はもちろん俺のことを日本人と判っている訳だが、オフの時間知らない人からは大抵の場合、中国系の色男という扱いを受けたように記憶している(思い出は勝手に美化)。

たまに細かい買い物で「領収書をくれ」と言うと、そこで初めて「ん、あんたもしかして日本人か?」と言われることもあった。「なるほど他国のビジネスマンはこういうものは経費で落とさないのだな」などと、変に感心したりした。

その後、俺はサングラスなんかもかけるようになり服装もかなり乱れて行き、スパイス仙人路線とは行かないまでも、自分でも気が付かないうちに少しおかしい独自路線に踏み込んで行った時期もあったような気もするが、まあそれはそれである。

そしてその後、担当する仕事や国も増え行動範囲も広くなり、最終的には臨機応変に日本人臭を逆利用する方法なども身に着けたせいか、いつか気が付くとその指輪をすることはなくなっていたのである。

***

どこかで翡翠の指輪が売られているのを見ると時折あの頃のことを思い出す。今思えばどこの国に行っても新鮮に感じ、慣れると調子に乗って一人でかなり危ないところにも行っていた。

無知、無防備、無鉄砲の三拍子そろった青二才だったので、初対面の見知らぬ男としばらく仕事の話をして、信用できそうだなと思ってその男の車に乗ったらなんだか山の中につれて行かれて身ぐるみ剥がれて捨てられたということもあった。

無謀を絵に描いたようなことをしていたと思うが、もしかしたらあの小さな翡翠の指輪があの青二才を守ってくれていたのかもしれない。


(了)


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