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タンザニアで考えたこと (その7)

はじめに

ウン十年前にタンザニアでボランティア活動をした時に、経験したこと、考えたこと、感じたことを書き記したエッセイ「タンザニアで考えたこと (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)」からの続きです。若気の至りで語気がかなりきつい箇所が多々あって、ご不快になるやもしれませんが、原文のまま掲載いたします。お許しあれ❗️

# SAFARI サファリ ーNgorongoroンゴロンゴロ、Serengeti セレンゲティからMwanza ムワンザまでー*サファリはスワヒリ語で旅行のこと。狩猟の旅ではない

❶ 怖い体験

ダルエスサラームからモシに至る途中の出来事である。陸路モシに向かっていた我々一行5人は、めったに見ることのない川幅の広い川に差し掛かった。そこに、かかっている橋もなかなか絵になる。それで車から降りて、皆でパチパチ写真を取り出した。

すると、前方から銃を握った兵隊たちがバラバラと駆け出してくるではないか。まるで映画のようだ。「なんだ、なんだ❗️」もしかして最悪、撃たれちゃうのかな、なんて考えが頭をよぎる。

「あ、しまった😱」全員、その時、気がついたのである。橋は撮影禁止区域であったことを。が、とき既に遅し。兵隊が車に乗り込んできて、彼らのキャンプに連行すると言う。あの愛想の良いタンザニア人が、ニコリともしない。媚を売っても無駄かなぁ。ちょっと、緊張する。ああ、もし、ここで命を失ってBahati Mbayaで済まされたら、犬死にではないか。

パスポート、IDカードはもちろん、問題のフィルムも没収である。「こんな粗末な身なりのボランティアが、スパイなんかに見えるか。一体この国の何をスパイすると言うのだ。冗談もほどほどにしてくれ」と相手に通じないのをいいことに日本語でぐちぐち言い続ける。在タンザニア歴7年のボランティアが交渉している。やっと戻ってきて無事釈放。

フィルムもOK。どうせ、こんなことなんだから、あんなに派手なパフォーマンスなんかしなくてもよかったのに。まぁ、何はともあれ、旅行を再開。いよいよモシに近づいてきたが、残念ながら、キリマンジャロは、雲に覆われていて見えない、「ハレルヤ」のコーラスも全く効果なし。

❷ Ngorongoro ンゴロンゴロ

ここは大クレーターの中にあるナショナルパークである。車で下まで降りていくと、そこには広大な草原と湿原が広がっている。後はご存知のWanyamaワニャマ(動物) 至る所、あのグラビアで見るような美しい動物の群!群!群!我ら一同のお目当ては、なんてったってライオン。「ガゼルやバッファローはおどき」なんて、非常識なことを言っては、ライオンを求めてどこまでも走る。

そのために、ガイドを雇ったのに、ちっとも役に立たない。我々がライオンを見つける方が、圧倒的に早い。モーティベーションがあるのとないのとでは、こんなにも違う(そう言えば、モーティベーションが学習効果に影響するなんて考えたことあったっけな)

醜い旅行者丸出しにして、「雄ライオンだ」と言っては急行する。が、雄ライオンが思ったほどかっこよくないのはどうした訳だ。ぐうたらして、あくびばかりしている。ライオンが精悍だなんて誰が言ったのだろうか。これじゃダラーンと寝ている多摩動物園のライオンと少しも変わりない。

それに比べて雌ライオンは、かっこいい。スリムな体をしなやかに動かし、獲物を追いかける。でも、獲物を仕留めた後は、雄の出番。こんなことってあるの⁉️。働かざるもの食うべからずのルールは適用されないらしい。なんだか人間の世界みたいに不公平。それ以来、私の中のライオンの地位は地に落ちてしまった。女子供を働かせておいて何が百獣の王なんだ。チーターや虎のほうがずっと鋭敏で精悍に見える。

Safariを満喫した後は、クレーターの上に立つロッジに直行。このロッジが素晴らしい。あのロバート・レッドフォードとメリル・ストリープの映画「Out of Africa」(愛と哀しみの果て)の世界と言ったらイメージが湧くだろうか。霧がかかった各ロッジの周りには、マーガレットが咲き乱れ、緑の芝生が美しい。コロニアル時代の建物で、何から何まで英国調なのである。ベッドも水道管のタップも、オールドファッション。レストランには暖炉の火があかあか燃え、ブランディーなど傾けたくなる雰囲気である。タンザニアに来て、寒さが経験できるなんて、なんという贅沢。

それだけではない。素晴らしいのは、その翌朝である。6時にドアをノックする音。ちょっと身構えたけれど、恐る恐る開けてみると、外はすっぽりと霧に包まれて、何も見えない。そこにボーイが白のユニフォーム姿で、紅茶のセットを持って立っているではないか。「わー、これがモーニングティーなのか」と大感激。言うまでもなくベッドの中で、熱くて甘いミルクティーをすすったのである。もう一度、タンザニアに来ることがあったら、このロッジをぜひぜひ訪ねたい。それまでどうか、このままでありますように🙏

❸ Serengeti セレンゲティ

360度視界を遮るものがない。この大草原の遥か彼方に、地平線が横たわっている。地平線ー言葉は知っていても、実感したのは、この時が初めてである。広大な大地に1人たたずむ開放感。雲はその影を大地に落として、ゆっくりと動いていく。バッファローが長い列をなして、水飲み場にゆっくりと移動している。「時が止まる」とはこんなことを言うのだろう。

そんな中で、対照的なのは、イボイノシシである。決まって3匹が1列で、尻尾をぴんと立て、チョコマカチョコマカ、忙しそうに歩いている。立ち止まる時も、3匹一緒。その姿は、なんともユーモラスで、思わず顔の筋肉が緩んでしまう。

幸運にも(?)、マサイ族の若者に遭遇した。痩身にあざやかな衣装をまとい、槍を手にしたその出立ちたるや精悍な戦士そのものなのだが、足元はと見ると、裸足なのである。その時、浅ましくも我々みんなが考えた事は、彼らと一緒に記念写真に収まる事だった。「魂が抜き取られる」などと言って怒り出しはしないかとちょっと心配だったけれど、快くこちらの要望に応じてくれた。

日々の暮らしに疲れたり、行き詰まったらタンザニアを旅することをお勧めする。ここでは、我々が常日頃、抱いている価値観や考えなど通用しないことがある。そのために、腹を立てたり打ちひしがれたりもするけれど、今まで自分が信じてきたものにも疑問を抱くようになる。日本の規範の中で苦しんだり、悩んだりしたことへの解答があるかもしれない。百聞は一見にしかず。ぜひお試しを。

❹ Mwanza ムワンザ

いよいよ我々の旅もゴールに近づいた。ここは、アフリカで1番大きな湖、ビクトリア湖のほとりにある街、ムワンザである。タンザニアは、目下、あの悪名高いアミン大統領率いるウガンダ軍と戦争中なのである。そのため、ウガンダ国境に近いこの街は、殺気立っている。至る所、銃を構え、迷彩服を着た兵隊が、検閲を行っている。 1台1台車の中の中まで調べている。

ホテルなどには、酔っ払った兵隊がたむろしていて、kama Mtoto(子供みたいな)の私でも、身の危険を感じるくらいだったと言ったら皆は笑うだろうが、部屋の鍵はみんなかけて、ドアの前を椅子やテーブルでブロックして休んだのであった。

この戦争が終わるとタンザニアの治安は、急速に悪くなった。ウガンダとの戦争には勝ったものの、それでなくても思わしくない経済はますます逼迫し、戦った兵士たちへの報酬もままならなかったようだ。当然、兵士の不平不満は募るばかり。兵士の武器が闇で売買されるようになると、銃を使った強盗が頻発するようになる。薄暗くなったら危険だと言われ、午後4時には、焦って家路を急いだ。

昼日中でも暗がりは危ない。実際、市場から連れ去られた人の話を何回か聞いた。ヨーロッパのボランティア、専門家が軒並み襲われたり、婦女暴行事件をよく耳にした。そろそろ私も、終わりに近づいたかなと思ったくらいだ。

夜、道路を走っていて、丸太が横に渡してあったら、間違いなく、待ち伏せだそうだ。その時は絶対にスピードを落とさずに、そこを突破するか、Uターンして逃げなければいけない。車から降りて、丸太を動かしたりなんかしたら、もう命取りだ。

さて、話が長くなってしまったが、このビクトリア湖には、紙の語源にもなったパピルスが繁茂している。パピルスは、エジプトの専売特許だとばかり思っていたけれど、こんなにも身近にあるのだと知って、感慨深かった。

文字を持たなかったこの国は、エジプトのように、このパピルスを活用して、華やかに有史時代を飾る事はなかった。ただ、ひっそりと歴史に存在していただけなのに、勝手に、暗黒大陸などと呼ばれ、奴隷貿易のための奴隷を供給させられ続けたのである。

奴隷たちは、ダルエスサラーム近くのBaga Moho バガモヨ(「奴隷達が自分の心をここに置いていく」と言う解釈と「奴隷商人達がここで仕事が終わる」と言う解釈があるらしい。)と言う港町からアラブ商人の船に乗せられて、世界のあちこちに散っていった。この街の小さな博物館には、奴隷に用いた手錠や首輪が、陳列されている。また奴隷をつなぎ止めた杭が海岸に沿って整然と並んでいて、当時を忍ばせる。絶望のうちに自ら命を立つためか、あるいは処刑のためか、首を吊ったという大きな木が今も残っている。すっかり干からびていて骨だらけの老人のようである。

ーTo be continued 続くー


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