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今日ときめいた言葉ではなく、一冊65ー「オリガ・モリソヴナの反語法」(米原万里 著)ーその罵詈雑言がすごい😱

引き込まれるように一気に読み切った。随分前に買ったのに今まで積読にしていたことを悔やんだ。今までで最もガツンと手応えのある物語だった(と言うより、これは、作者 米原万里氏の体験と公的資料を丹念にあたって調べ上げた事実を元に書き上げたノンフィクションだと思う。この作者がもうこの世にはいないことが残念でならない)

「ああ神様!これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだ。こんな才能はじめておめにかかるよ!あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだね!」

これは称賛の言葉ではない。子供達は、彼女特有の「反語法」の表現だと理解する。ダンスの時間に、オリガ・モリソヴナからこんな言葉が発せられたら「天才」とは「うすのろ」の意味で、さらに手厳しい言葉が浴びせられると身構える。

「そこの驚くべき天才少年のことだよ!まだその信じ難い才能にお気づきでないご様子だね。何をボーッと突っ立ってるんだい!え⁈」

「ぼっ、ぼくの考えでは・・・・・」

「ぼくの考えでは・・・・・・だって。フン。七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ」

ってな具合だ。さらに指導中の彼女から発せられる罵詈雑言ときたらここに書くのも憚られるほどだ。ちょっと品の良いものを紹介すると、

「頭ん中糞でも詰まってんのか!お前の足が重いってんだよ!蝶の舞なんだ、これは!まさかカバの日向ぼっこのつもりじゃないだろうね⁈」とか、

「自分のチン◯コよりは高く飛べないものなんだよ」

といった具合に激しい情熱の言葉が投げつけられる。

このオルガ・モリソヴナは、主人公の少女の通う学校の舞踏教師である。彼女の踊りはその場に居合わせた人々を圧倒するほど素晴らしく、この少女がバレリーナを目指そうと心に決めるきっかけを作った人だ。ただものではない人物であることが、そのエキセントリックな人物像、言動、いでたちから伝わってくる。

ただ事でないのは、この日本人少女の通う学校もそうだ。時代は1960年代。東西冷戦真っ只中。ソ連は東側陣営の国々を衛星国化し、チェコスロバキアのプラハにソビエト社会主義共和国連邦大使館附属八年制普通学校を設立して、その構成国の子弟をロシア語で教育した。50を数える出身国の生徒たちと机を並べ親交を結んだ少女の体験と記憶をもとに、前述のオリガ・モリソヴナの壮絶な過去がソ連という国家体制の凄惨・残虐な実態と共に明かされていく。

スターリンの大粛清時代を生き抜き、監獄生活、ラーゲリ(労働強制収容所)での苦難に耐え、オリガ・モリソヴナがプラハのこの学校で職を得るに至った経緯が躍動感あふれるタッチで描かれている。最後の最後のページまでその勢いは変わらなかった。あたかもミステリー小説を読んでいるかのように、少女の記憶がオリガ・モリソヴナに関わる資料と付合して行く。結末はどうなるのだろうか、と心がはやった。読み終わったあとは、このオリガ・モリソヴナの精神力と生命力の強靭さにただただ感服するばかりだった。


ロシアの人々は、レーニンによって革命政府が樹立されて以来、現在に至るまで民主主義の十分な体験をすることなく現在に至っている。人が簡単に銃殺されたり、正当な理由もなく逮捕され監獄に入れられたり、強制収容所に送られたりした悲しくおぞましい歴史も十分に総括、反省されることなく、今も言論や表現の自由のない日常を送っている。

ペレストロイカで彗星の如く現れたゴルバチョフ大統領に私は大きな期待を抱いたが、ロシアの人々は彼をあまり評価していなさそうだ。彼の寂しい晩年のドキュメンタリーがそれを物語っている。「共産党時代の方が良かった」という人さえいる。

この国の人々は、表現の自由を制限されることよりマーケットの棚に商品がなくなることを恐れているという。そんな国民の期待に応えるようにプーチンが登場したのだ。

プーチンと対面したクリントン大統領は、彼を大統領に指名したエリツィンに会い、プーチンには民主主義の心は無いと伝えている。そのエリツィンは死の間際プーチンを指名したことを後悔してると言い残している。

その後もプーチンは、メディアを国家の管理下に置き、自分に刃向かうものを排除し、独裁体制を打ち立てる。多くの政敵が暗殺されたり、不審死を遂げたりしている。暴力と戦争を使って、自分の野望ー偉大なロシア復活ーに向かって突き進み、ウクライナ侵攻に至った。彼の途方もない野望のために何千人何万人の命が失われている

(「プーチン 戦争への道〜なぜ侵攻に踏み切ったのか」(NHK BSドキュメンタリー)

閑話休題
帰国して日本の学校に転入した主人公の少女が、日本の教育に対して抱いた違和感が記されている。

「子供ひとりひとりの心の内、理解の程度、ものごとの受け止め方は異なるはずなのに、とにかく外側からは、なるべく同じに整える。差は極力目立たないようにしてあげる。外見上は、皆同じ。それが平等であり、公平である。皆と同じであることから外れるのは、恥であり、恐怖である。そんなことが決して表に現れないように保障してあげることが、学校側の思いやりであると考えているらしいことだった」

日本の教育について、米原氏の考えをこの少女に語らせていることはあきらかだ。米原氏は、帰国した時カルチャーショックを受けたと語っている。プラハの学校の方が自由だったし、試験も日本は○X式か選択式だが、プラハの学校は論述問題ばかりだったと。

民主主義を標榜する日本の教育より社会主義国の教育の方が自由だったというアイロニー。帰国時の1960年代の日本の教育体制についての感想だが、今もあまり変わってなさそうに見えるのだが・・・。

次の動画は、米原氏がプラハの学校時代仲良しだった4人の友人を訪ねる旅である。30年の時を超えての再会は感動的であった。

ー動画の中の米原万里氏の言葉ー
「人間というのは、抽象的な人間はいない。必ずどこかの国に生まれ、どこかの言葉で会話する。抽象的な人間などいない」

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