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たとえ悩みが解決しなくとも。

大好きなおいちゃんの危篤の連絡が入って、病院に駆けつけ、一旦おうちに戻って、嵐の前の凪のような時間を過ごしている。

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ギャンブルと女の子が大好きなお茶目なAさん。

私と目が合うたびに、私が化粧バッチリな日もすっぴんの日も「今日もかわいいですね!」と相好を崩してくれました。

作業所の給料日にはいつもコンビニスイーツを買って帰ってきてくれましたよね。私が御礼にコーヒーを淹れて、ささやかな茶話会を開くのを毎月楽しみにしてくれました。

繊細でストレスを溜めこみやすいAさんは、深刻な顔をして事務所にやってくることも度々ありました。あれこれと悩んでは「ホームを出たい、野宿に戻ってもいい」とよく涙ながらに訴えてきましたね。

その度に私は「Aさんがいないと私が寂しいです。いつも笑わせてくれるAさんに私は助けられているのです」ということを訥々と語り、最後にはAさんが「本当ですか?それならホームに残ります」と晴れやかな顔をみせてくれるのがお決まりのパターンでした。

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悩みを真正面から捉えて解決することは時には必要だ。けれども、人生において考えて答えがでるような悩みだけを私達は抱えているわけではない。

そんなときは、なんとなくで良いから毎日を楽しいと思ってもらうこと。自分が必要とされているということを日々感じてもらうこと。

そんな瞬間を共有することのほうが、たとえ悩みが解決しなくとも、明日を生きる希望に繋がるということをAさんとの関わりのなかで私は教えてもらった。

悩みに向き合うだけではなく、繰り返される日々のなかで、ささやかな楽しさを見出してもらうことも私の役割のひとつなのだと。

一方で、私と過ごす時間をいつも無邪気に楽しんでくれたAさんに他ならぬ私自身が救われていたことは言うまでもない。支援者・非支援者という枠を超えて私はAさんと確かに日常を共有していた。

そんなAさんがいま最後の命の灯火を一生懸命に燃やしている。

これまで何度か死の間際に立ち会って思うのは人の命はひっそりと静かに終わるのではなく、最後に煌煌と燃え盛るということだ。

このあと、嵐のような感情の揺れと大波のような忙しさが私を襲ってくるだろう。

でも、家族のような楽しい日々を一緒に過ごさせてもらった誠意として、逃げずに立ち向かいたいと思う。

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